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第二章

告解②

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すみません!本日2話目ですのでご注意ください。
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 サマンサ・ベイリーは公示人(国からの通達や教会の報せを口頭で告げる役職)の娘だった。
 といっても、王都や領主の住む城下町のように人口が多い街と、ゼルダのそれとは少し事情が異なる。ゼルダはザウスグランツ王国の直轄地で、国教会の教えが最も浸透している場所のひとつだ。あの時代、一般市民の識字率は王都ですら相当に低かった。しかしゼルダだけは別だ。そこには平民のための学舎がいくつも建てられ、そして住民の殆どが教育の恩恵を受けていた。

 全ては当時の大司教フェリペ三世が教育に熱心だったせいだ。
 読み書きと簡単な計算ができるだけで就業の機会は広がり収入は増える。それは神の教えとは相反する、生々しく世俗的な幸福ではあった。しかし、教育の機会を増やすこと自体に異論の差し挟める者はおらず、大司教の意向とあれば司祭たちに否やのあろうはずもない。
 もちろん建前ばかりのきれいごとではなく教会側にも十分な計算はあり、民が富めば廻りまわって布施が増える見込みがあったし、なにより後年歴史書に愚王として名を刻まれるリチャード王の治世に於いて、「王よりも王らしい」と称された時の大司教フェリペ三世の徳と威光を広く知らしめること自体に大きな意味がある。ザウスグランツ王国直轄地ゼルダは、もはや国教会の治める小国も同然だった。

「ゼルダで公示人になるのは、実際のところそう難しくなかったと思う」

 静かに話すジャスティンを視界の端に留めたまま、プリシラは肩を強張らせていた。一時間。ただそれだけのことだ。両手を固く握りしめる。

「国教会が幅を利かせている地なだけに、他の領地みたいに血筋や財力で役職者を選ぶようなことはしないんだ。本音だろうが建前だろうが、神の下の平等を謳うからには平民であれば都合がよく、少しばかり……そうだな、言ってみれば『民度の高い』者であればなおよかった。そして何より大事なことは、教会関係者でないことでね。実効支配しているに等しくとも、ゼルダは王国の直轄地だ。国の通達を一番に受け取る役を、教会に関わりが深い者にさせるのはまずかったんだろう。……勝手な、権力者たちの思惑だ」

 ジャスティンは苦い口調で続けた。

「サマンサの父親は、それにぴったりと当てはまった。名士ではあっても貴族ではない。財はあっても富はない。ほどほどに豊かで教会への寄進も欠かさず、だが家系に国教会の関係者は一人もいない。……実際、他に似たような誰かがいたらそいつが公示人になっていたんじゃないかと思うよ。そしてそのことを誰よりも一番よく知っていたのが、サマンサの父親だった」

 ジャスティンは目を閉じた。記憶を辿るまでもなく、あの頃のことはいつでも鮮やかに蘇ってくる。どんなに忘れたいと願ったとしても。

「彼女には弟がいた。その弟に公示人の職を継がせたいと、サマンサの父親は思ったんだ。公示人の職は世襲じゃない。では、どうすればいい? どうやれば息子に跡を継がせられる? ……出しゃばらないこと。誰からも恨まれないこと。優秀すぎないこと。容姿は美しすぎても醜くてもいけない。才気走った物言いなど以ての外だ。そうやって、一挙手一投足全てを父親にコントロールされた家族の長女がサマンサだった」

 目を閉じたまま、形のよい唇の端を持ち上げる。

「僕たちは学校で出会った。僕が十歳でサマンサが七歳だった。大人しいというよりおどおどとした、目立たない子だったよ。それも当然だ、控えめにしろ。決して人目に立つことはするなと父親からきつく言い聞かせられていたんだから。一方で僕のほうは友達も多く、年齢相応のやんちゃ坊主だった。だから、初めは彼女の存在に全然気づかなかったくらいだ」

 ふ、と息を吐く。微かな笑い声だった。

「ある日、放課後に遊ぶ約束をしていた友達の都合が悪くなり、真っすぐ家に帰るのもつまらなくて、一人で学校の裏の森に入っていった。しばらく行った先に大きな泉があってね。そこで石投げでもしようと思ったんだよ。そうしたら、彼女がそこにいた。泉のすぐ横の樹の根に腰掛けて本を読んでいた。……あんまり熱心に読んでいたものだから、邪魔しちゃ悪いと黙って後ろを通り過ぎようとした僕は驚いた。その本が、とても難しいものだったから」

 閉じた瞼にキュッと力を込める。

「三つも年下の女の子が、僕にも読めないような本を読んでいるんだ。僕は思わず声を上げて感心した。そんな難しい本をすらすら読めてすごいって。そうしたらサマンサは飛び上がるくらいびっくりした後、かわいそうなくらい真っ青になって、自分がこの本を読んでいたことを黙っていてくれと頼まれた。父親に知られたら叱られてしまうからって」

 茶色の瞳を見開いて、泣きそうになりながら訴えたサマンサの顔を思い出した。

「何が何だか分からないけれど、あんまり必死だから僕も頷いたんだ。誰にも言わない、これは僕と君だけの秘密にしようって。そうしたらサマンサはようやく安心して、それでも膝の上に置いた本をチラチラ見て続きを読んでいいものかと迷っているようだった。だから、僕は彼女の座っていた樹のすぐ横に寝転がって『ちょっと昼寝をするから、しばらく経ったら起こしてくれ』って言ったんだ」

 泉の向こうから吹いてくる風が自分の周りの草と前髪を揺らすのを感じながら目を閉じる。やがて、遠慮がちにページをめくる音が聞こえてきて、それでも百数えるまで我慢してからそっと片目を開けた。声をかけるのを躊躇ってしまうほど真剣な彼女の横顔を、ジャスティンは昨日のことのように覚えている。
 
「それから僕らは時折そこで会うようになった。もちろん約束なんかしていないさ。サマンサはいつも一人で本を読んでいて、ふいに現れた僕を見るといつも困った顔をした。引っ込み思案な彼女にはあまり友達もいなかったから、年上の男の子となんて何を話せばいいのか分からなかったんだと思う。……とても大人びた子で、担任の女教師とのほうが同級生たちよりも余程話が合うようだった。それで、その担任から借りた本を親に気づかれないよう、こっそりと読んでいたところを僕が見つけたんだ」

 ふふ、と今度ははっきりと声を出して笑った。

「最初は多分、ほんの気まぐれだった。もしかしたら、迷惑そうにする彼女を揶揄いたかっただけかもしれない。でも、彼女と一緒にいる時の森はとても静かで。いつもより自分の周りの空気が澄んでいるように感じるんだ。ページをめくる音だけが聞こえる森の泉のほとりで、僕はぼんやりと泉で遊ぶ鳥を眺めたり、石を投げて水切りをしたり、寝転んで昼寝をしたりした。本を読む彼女に声をかけることは滅多になかった。だから顔を合わせてから帰るまで、一言も口を利かないこともあったくらいだ。……いつからか、僕がやってくるとサマンサは嬉しそうな顔をするようになった。そうやって徐々に、本当に少しずつ僕たちはお互いのことを知っていった。厳しい父親のことや、その言いなりになって従う母親のこと。弟を可愛いがっていること。自分は女だというだけで、勉強よりも家事や礼儀作法をやれと言われるのに、弟は幼い頃から家庭教師をつけてもらって、好きなだけ学べるのが羨ましいこと。そんなことをぽつぽつと話してくれるようになった。僕は相談されるのが嬉しくて、いつだって彼女の話を喜んで聞いたよ。……今考えると、あの頃の僕よりサマンサのほうがずっと賢かったし、大人だった。僕のアドバイスなんて何の役にも立たなかっただろうに、いつも、ありがとうって、話を聞いてくれて、嬉しい、って、笑顔で……」

 不自然に途切れた言葉を追うように、プリシラは顔を上げた。ジャスティンは目を閉じ、あの印象的な銀色の瞳を隠したままだ。だがその硬質な佇まいは、彼の苦悩を表しているようだった。

「そんな風にして長い時間が過ぎ、学校を卒業してからも、僕たちの秘密の逢瀬は続いた。会うのはいつも森の中の泉のほとりだ。辛いこと、嬉しいこと、日常のなんでもないことから楽しいことまで全部、僕たちは打ち明け合った。隠し事なんか一つもない。僕が半吸血鬼だということも打ち明けた。だって、絶対に口外されないって確信があったからね。まるで自分自身を信じるのと同じくらい、僕はサマンサを信頼していた。……決して誰にも知らせることのできない絆だ。誰一人……僕の親友のマークですら、僕たちの関係には気づいていなかったと思う。サマンサの父親のことがあるから公表はできなかったけれど、僕と彼女はお互いにかけがえのない存在になっていた。そして大人になって、結婚を考える年齢になって……でも、僕たちの間にはとても大きな問題があったんだ」
「問題?」

 思わず口を衝いて出た問いに、ジャスティンはたじろぐように僅かに肩を揺らした。真っすぐな黒髪もそれに合わせて揺らめく。だが彼はそのまま、目を開くこともなく応えた。

「……僕と母は二人暮らしだった。母は時折り誰かから頼まれて手紙を代筆したり、仕立物を引き受けたりはしていたが、どれもたいした収入ではなかったし、何よりあくせく働く必要はなかった。もちろんそれは父の……ブラックバーン侯爵の資金援助があったからだけれど、傍目にはおそらく『訳あり』の親子だと思われていただろう。実際、色々と噂されていたらしい。どこぞの金持ちの妾とその息子だ、とかね」

 ジャスティンはそれをごく淡々とした口調で説明した。

「僕が二十一、サマンサがもうすぐ十八になるという時だった。結婚するにはお互いしかいないと思っていたけれど、彼女の父親が非嫡出子である僕との結婚を許すはずはないということも分かっていた。それでもどうにか許しをもらいたくて、精一杯きちんとした格好をして彼女の家を訪ねたんだ。……さっき言った、親友のマークのうちが写本屋でね。そこで働いていた僕はそれなりに給料をもらっていたし、裕福ではないまでも苦労させるつもりもなかった。だからもしかしたら、もしかしたら理解してもらえるかもしれない。……そんな淡い希望がどれほど甘いものだったかは、すぐに思い知らされたけれど」



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