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第二章
バージニアの急襲②
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本日複数話投稿していいます。ご注意ください。
****************
プリシラの頭から血の気が下がり、気が遠くなる。まさかこんなところで両親の死の原因を――母の犯した罪を糾弾されるとは思ってもいなかったのだ。
自分の言葉が相手に与える影響力を十二分に確認したバージニアは、実に満足げに微笑んだ。
「あなたが弁えよくザカリー伯爵家から距離を置き、教師として自活の道を選ぶのはとてもよいことよ。でもそこにルーカス様を巻き添えにしては」
「うんざりするほどくだらない噂話だな」
低く鋭い声がバージニアを遮った。未だそこに停まったままの侯爵家の馬車から、カインが無造作に降り立ってプリシラの隣に並ぶ。
「おい。お前がそれを今ここで言う理由は何だ。セント・ルーカスとプリシラを引き離し、代わりにこの屋敷に入り込もうという算段か。それともまさか」
唇を歪めて不快を示しながら、ぎろりと横目でバージニアを睨みつけた。
「我が主に――ブラックバーン侯爵の寵愛を受けるプリシラを蹴落とし、あわよくば自分がその寵を横取りしようとでも考えたか。……やめておくことだな。主がお前を選ぶことなど百にひとつどころか億にひとつもありえない。無駄な努力だぞ」
たっぷりと侮蔑を含んだ言葉に頬を引きつらせたバージニアは、それでも我に返って目の前の少年を見下ろした。華奢な身体に女の子のような可愛らしい顔。たとえ凄まれたとしても実害はないが、いくら侯爵の従者だとて淑女に対する暴言は目に余る。懲らしめの意味でも礼儀を教えてやるべきかもしれない。
バージニアは自分が一番美しく見える角度に首を傾けると、無邪気さを装って言った。
「あら。あなたは侯爵様と一緒にいらした子供ね。どうしてこんなところにいるのかしら」
「お前に説明する必要はない」
「まあ。もしかしてプリシラさんと一緒に過ごすように言われたの? ふふ。まるで姉と弟ね。それとも……教師と生徒、かしら」
「…………」
「いっぱしの従者のつもりかもしれないけれど、あなたのような子供の世話は侯爵様の手に余るのよ。だからきっと、子供の相手に慣れたプリシラさんに預けたんだわ。子守りは大変ですものね」
「バージニア様!」
プリシラは両手を握りしめ、小さく震えながら訴えた。
「どうか、どうかもうそんな風に仰らないでください。従者様は侯爵様のお命じになった役目を果たしておられます。立派な、従者でいらっしゃるのです」
「従者?」
バージニアはせせら笑った。
「この子供が? 一体どんな役目を果たせるというの。ねえおちびさん、あなたのご主人様がどんなことをお命じになったのか、私に教えてくれるかしら。プリシラさんに教理問答でも教わるの? それとも……」
ヒュ……と空気が微かに音を立てた。目の前を何かが素早く横切った気がして、バージニアは数度瞬く。と同時にパラパラと音を立てて落ちたものを見て「ひ……っ」と声を上げた。
エントランスの床にはふさふさとした濃いブロンドの巻き毛が――切り落とされたバージニアの髪が落ちていた。
口をOの形に大きく開き、言葉を出せずにいるバージニアに、カインはどの角度から見ても完璧な愛らしさの顔でにっこりと笑った。
「我が主のことを気安く口にするな。……空気が悪い。早々に立ち去れ」
這う這うの体で立ち去ったバージニアを、プリシラは黙って見送った。エントランスに沈黙が満ちる。プリシラのことを嫌うバージニアは、腹立ちまぎれにカインのことを傷つけようとした。もし自分がもっと上手く受け答えできていたなら、こんなことにはならなかったかもしれないのに。それが申し訳なく、そして父と母が死に至った真相を暴かれたことの恥ずかしさにいたたまれず、プリシラは後ろに立つカインの顔を見ることすらできなかった。
「……おい」
プリシラは覚悟を決めて振り向いた。
「申し訳ありませんでした」
「……どうしてお前が謝るんだ」
「だってあれは……私のせいですわ。バージニア様は私のことがあまりお好きではないようなんです。だから私と一緒にいるあなたのことも、あんな風に……。本当に、申し訳ございません」
プリシラはどうにか微笑んでみせた。
「父と母のことも、本当のことです。私一人が残されたのは、母の…………恋人と話し合う時に、子供を連れていく訳にはいかなかったから」
目尻に浮かんだ涙を手の甲でサッと拭う。同情されるのだけは嫌だった。
「ふしだらな母親の血を引いていると、父方の親戚からは罵られました。だから私は、一人で生きていかなければならないんです。……バージニア様の仰るとおり、ブラックバーン侯爵様からのご厚意を受けていいような身分ではありません。だからもう、侯爵様には」
「明日は早い時間に迎えがくる」
眉間に皺を寄せ、憮然とした口調のカインは初対面の時のようにプリシラを睨んだ。
「だからお前はさっさと屋敷に入り食事をして、夢も見ずに眠らなければならない。いつまでもこんなところに突っ立っていれば、寝過ごしてご主人様をお待たせすることになるかもしれないからな。いいか、誰が何と言おうと、お前はご主人様のことだけを考えていればいいんだ」
「従者様……」
乱暴な物言いに隠された優しさが、プリシラの涙腺を刺激した。目に涙を浮かべるプリシラを心底嫌そうに見たカインは、不機嫌な態度を崩さずに注文をつけた。
「それから、従者従者と言われるのは面倒だ。次からはカインと呼べ」
プリシラはきょとんとして、そしてまた浮かんだ涙を指の背で拭いながら笑顔で応えた。
「はい、カイン様。では私のこともプリシラとお呼びください」
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プリシラの頭から血の気が下がり、気が遠くなる。まさかこんなところで両親の死の原因を――母の犯した罪を糾弾されるとは思ってもいなかったのだ。
自分の言葉が相手に与える影響力を十二分に確認したバージニアは、実に満足げに微笑んだ。
「あなたが弁えよくザカリー伯爵家から距離を置き、教師として自活の道を選ぶのはとてもよいことよ。でもそこにルーカス様を巻き添えにしては」
「うんざりするほどくだらない噂話だな」
低く鋭い声がバージニアを遮った。未だそこに停まったままの侯爵家の馬車から、カインが無造作に降り立ってプリシラの隣に並ぶ。
「おい。お前がそれを今ここで言う理由は何だ。セント・ルーカスとプリシラを引き離し、代わりにこの屋敷に入り込もうという算段か。それともまさか」
唇を歪めて不快を示しながら、ぎろりと横目でバージニアを睨みつけた。
「我が主に――ブラックバーン侯爵の寵愛を受けるプリシラを蹴落とし、あわよくば自分がその寵を横取りしようとでも考えたか。……やめておくことだな。主がお前を選ぶことなど百にひとつどころか億にひとつもありえない。無駄な努力だぞ」
たっぷりと侮蔑を含んだ言葉に頬を引きつらせたバージニアは、それでも我に返って目の前の少年を見下ろした。華奢な身体に女の子のような可愛らしい顔。たとえ凄まれたとしても実害はないが、いくら侯爵の従者だとて淑女に対する暴言は目に余る。懲らしめの意味でも礼儀を教えてやるべきかもしれない。
バージニアは自分が一番美しく見える角度に首を傾けると、無邪気さを装って言った。
「あら。あなたは侯爵様と一緒にいらした子供ね。どうしてこんなところにいるのかしら」
「お前に説明する必要はない」
「まあ。もしかしてプリシラさんと一緒に過ごすように言われたの? ふふ。まるで姉と弟ね。それとも……教師と生徒、かしら」
「…………」
「いっぱしの従者のつもりかもしれないけれど、あなたのような子供の世話は侯爵様の手に余るのよ。だからきっと、子供の相手に慣れたプリシラさんに預けたんだわ。子守りは大変ですものね」
「バージニア様!」
プリシラは両手を握りしめ、小さく震えながら訴えた。
「どうか、どうかもうそんな風に仰らないでください。従者様は侯爵様のお命じになった役目を果たしておられます。立派な、従者でいらっしゃるのです」
「従者?」
バージニアはせせら笑った。
「この子供が? 一体どんな役目を果たせるというの。ねえおちびさん、あなたのご主人様がどんなことをお命じになったのか、私に教えてくれるかしら。プリシラさんに教理問答でも教わるの? それとも……」
ヒュ……と空気が微かに音を立てた。目の前を何かが素早く横切った気がして、バージニアは数度瞬く。と同時にパラパラと音を立てて落ちたものを見て「ひ……っ」と声を上げた。
エントランスの床にはふさふさとした濃いブロンドの巻き毛が――切り落とされたバージニアの髪が落ちていた。
口をOの形に大きく開き、言葉を出せずにいるバージニアに、カインはどの角度から見ても完璧な愛らしさの顔でにっこりと笑った。
「我が主のことを気安く口にするな。……空気が悪い。早々に立ち去れ」
這う這うの体で立ち去ったバージニアを、プリシラは黙って見送った。エントランスに沈黙が満ちる。プリシラのことを嫌うバージニアは、腹立ちまぎれにカインのことを傷つけようとした。もし自分がもっと上手く受け答えできていたなら、こんなことにはならなかったかもしれないのに。それが申し訳なく、そして父と母が死に至った真相を暴かれたことの恥ずかしさにいたたまれず、プリシラは後ろに立つカインの顔を見ることすらできなかった。
「……おい」
プリシラは覚悟を決めて振り向いた。
「申し訳ありませんでした」
「……どうしてお前が謝るんだ」
「だってあれは……私のせいですわ。バージニア様は私のことがあまりお好きではないようなんです。だから私と一緒にいるあなたのことも、あんな風に……。本当に、申し訳ございません」
プリシラはどうにか微笑んでみせた。
「父と母のことも、本当のことです。私一人が残されたのは、母の…………恋人と話し合う時に、子供を連れていく訳にはいかなかったから」
目尻に浮かんだ涙を手の甲でサッと拭う。同情されるのだけは嫌だった。
「ふしだらな母親の血を引いていると、父方の親戚からは罵られました。だから私は、一人で生きていかなければならないんです。……バージニア様の仰るとおり、ブラックバーン侯爵様からのご厚意を受けていいような身分ではありません。だからもう、侯爵様には」
「明日は早い時間に迎えがくる」
眉間に皺を寄せ、憮然とした口調のカインは初対面の時のようにプリシラを睨んだ。
「だからお前はさっさと屋敷に入り食事をして、夢も見ずに眠らなければならない。いつまでもこんなところに突っ立っていれば、寝過ごしてご主人様をお待たせすることになるかもしれないからな。いいか、誰が何と言おうと、お前はご主人様のことだけを考えていればいいんだ」
「従者様……」
乱暴な物言いに隠された優しさが、プリシラの涙腺を刺激した。目に涙を浮かべるプリシラを心底嫌そうに見たカインは、不機嫌な態度を崩さずに注文をつけた。
「それから、従者従者と言われるのは面倒だ。次からはカインと呼べ」
プリシラはきょとんとして、そしてまた浮かんだ涙を指の背で拭いながら笑顔で応えた。
「はい、カイン様。では私のこともプリシラとお呼びください」
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