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第一章
常闇の住人
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アーサーは大きな身体を縮めるでもなく、かといって邪魔になるほどでもないリラックスした様子で座っていた。
夜道に馬蹄の音が響く。今は城の周囲を取り囲む森に差し掛かったところだろう。御者を務めるのは同族の男だ。月もない暗い道だとて、夜目の利く身であれば何ほどのものでもなかった。
生者であった頃から物静かで思慮深かったアーサーだ。座右の銘は「沈黙は金雄弁は銀」。常闇の住人となってからも、カインのような直情的な振る舞いをすることはまずない。たとえ主の言動を疑問に思い、心の底から問いただしたいと思っていたとしても。
ジャスティンもまた、アーサーと同じように黙りこくっていた。
馬車の中に灯りはあるが、それは明るさを求めてというより、人間だった頃の習慣によるものだろう。暖色の光に照らされてなお主の横顔は青白く発光するようで、その凄みのある容貌に長い間――かれこれ三百年以上――一緒にいるアーサーも、初めて会った時と同じく肌が粟立ち思わず二の腕をさすった。
行きは固く閉ざされていたカーテンは開かれていた。深い森の樹木が影絵のように窓の外を通り過ぎていく。ガラスに映った影で灯りが揺らめき、車窓に肘をかけるジャスティンの銀色の瞳に複雑な陰影を与えていた。
「……明日も、プリシラに会いにいく」
やはり。アーサーは自分の予想が正しかったことにある種の満足を感じたが、従者の立場からは賛同しかねる。顔色を変えることなく落ち着き払って指摘した。
「領主の連日に亘る訪問を受けるのは、あのお二人には負担が大きいと思いますが」
「饗応は不要だと触れを出せば問題ないだろう」
「今日も同じように知らせていたではありませんか。それで結果はいかがでした? 地主親娘の出迎えに使用人の昏倒。おまけに嫌がる従者を無理やり押し付けられてどれほどご迷惑をおかけしたことか」
「…………」
憮然とする主を余所に、アーサーは追及の手を緩めない。
「訪問は何時になさるおつもりで? 昼間ですか? 明日が晴天ならどうなさいます」
「光を浴びても死にはしない」
「ええ。我々とは違い、あなたは日照りの砂漠に置き去りにされたとて死にはしません。しかし、瀕死の状態には陥るでしょうね。そんな姿をご令嬢にお見せになるのですか。望んでもいないのに領主が押しかけてきた挙句、目の前で死にかけるのです。珍しい経験だとさぞお喜びになることでしょう」
ジャスティンから睨まれてもアーサーは平然としたものだ。
「では夜に訪問しますか。あなたのことです、きっと明日一日どころか毎晩ご令嬢にお会いになるおつもりでしょう。未婚令嬢の住む屋敷を非公式とはいえあなたが連日夜間に訪問する。『幽霊侯爵』が執着する令嬢……どんな面白い噂が立つでしょうね。ご令嬢が耐えられればよいのですが」
ジャスティンは低く呻くと、車窓に肘をかけたほうの手で目を覆う。印象的な銀色の瞳を隠すと主は途端に若く、二十一歳という年齢相応に見えた。
「……預言者の言葉は正しかったのですか」
車輪の音だけが車内を支配する。長い沈黙ののち、ジャスティンはようやく口を開いた。
「ああ、そうだ」
「『探し物は必ず見つかる。それはベルリッツで、神と幼子とともにある』。確かに予言は聖ルーカスと小学校の教師をなさっているご令嬢のことだと私も思いましたが……。ではあなたを、吸血鬼の王を滅する方法をあのご令嬢がご存じだと、そういうことなのですか?」
一族の中には稀に、讖と呼ばれる予言をなす異能者が出現した。尤もその能力は本人の思い通りにはならないようで、神託さながらに未来の重大事を告げることがある一方、とるに足らない日常の出来事が見えたりもする。
ブラックバーン侯爵家が長年に亘り富を得てこられたのは、この予言を基に投資や産業への支援を行ってきたことによる。ジャスティンも殊更にこの予言者を保護し手厚く遇してきた。なぜなら潤沢な資金がなければ、自らが渇望するもの――決して死ぬことのない吸血鬼の王の殺し方――を探すことができないからだ。
夜道に馬蹄の音が響く。今は城の周囲を取り囲む森に差し掛かったところだろう。御者を務めるのは同族の男だ。月もない暗い道だとて、夜目の利く身であれば何ほどのものでもなかった。
生者であった頃から物静かで思慮深かったアーサーだ。座右の銘は「沈黙は金雄弁は銀」。常闇の住人となってからも、カインのような直情的な振る舞いをすることはまずない。たとえ主の言動を疑問に思い、心の底から問いただしたいと思っていたとしても。
ジャスティンもまた、アーサーと同じように黙りこくっていた。
馬車の中に灯りはあるが、それは明るさを求めてというより、人間だった頃の習慣によるものだろう。暖色の光に照らされてなお主の横顔は青白く発光するようで、その凄みのある容貌に長い間――かれこれ三百年以上――一緒にいるアーサーも、初めて会った時と同じく肌が粟立ち思わず二の腕をさすった。
行きは固く閉ざされていたカーテンは開かれていた。深い森の樹木が影絵のように窓の外を通り過ぎていく。ガラスに映った影で灯りが揺らめき、車窓に肘をかけるジャスティンの銀色の瞳に複雑な陰影を与えていた。
「……明日も、プリシラに会いにいく」
やはり。アーサーは自分の予想が正しかったことにある種の満足を感じたが、従者の立場からは賛同しかねる。顔色を変えることなく落ち着き払って指摘した。
「領主の連日に亘る訪問を受けるのは、あのお二人には負担が大きいと思いますが」
「饗応は不要だと触れを出せば問題ないだろう」
「今日も同じように知らせていたではありませんか。それで結果はいかがでした? 地主親娘の出迎えに使用人の昏倒。おまけに嫌がる従者を無理やり押し付けられてどれほどご迷惑をおかけしたことか」
「…………」
憮然とする主を余所に、アーサーは追及の手を緩めない。
「訪問は何時になさるおつもりで? 昼間ですか? 明日が晴天ならどうなさいます」
「光を浴びても死にはしない」
「ええ。我々とは違い、あなたは日照りの砂漠に置き去りにされたとて死にはしません。しかし、瀕死の状態には陥るでしょうね。そんな姿をご令嬢にお見せになるのですか。望んでもいないのに領主が押しかけてきた挙句、目の前で死にかけるのです。珍しい経験だとさぞお喜びになることでしょう」
ジャスティンから睨まれてもアーサーは平然としたものだ。
「では夜に訪問しますか。あなたのことです、きっと明日一日どころか毎晩ご令嬢にお会いになるおつもりでしょう。未婚令嬢の住む屋敷を非公式とはいえあなたが連日夜間に訪問する。『幽霊侯爵』が執着する令嬢……どんな面白い噂が立つでしょうね。ご令嬢が耐えられればよいのですが」
ジャスティンは低く呻くと、車窓に肘をかけたほうの手で目を覆う。印象的な銀色の瞳を隠すと主は途端に若く、二十一歳という年齢相応に見えた。
「……預言者の言葉は正しかったのですか」
車輪の音だけが車内を支配する。長い沈黙ののち、ジャスティンはようやく口を開いた。
「ああ、そうだ」
「『探し物は必ず見つかる。それはベルリッツで、神と幼子とともにある』。確かに予言は聖ルーカスと小学校の教師をなさっているご令嬢のことだと私も思いましたが……。ではあなたを、吸血鬼の王を滅する方法をあのご令嬢がご存じだと、そういうことなのですか?」
一族の中には稀に、讖と呼ばれる予言をなす異能者が出現した。尤もその能力は本人の思い通りにはならないようで、神託さながらに未来の重大事を告げることがある一方、とるに足らない日常の出来事が見えたりもする。
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