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第一章
従者の忠誠①
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ルーカスの眉間に深い皺が刻まれた。
ブラックバーン侯爵が蔵書を閲覧したいと言った理由。プリシラを見て突然態度を変えたこと。従者の奇妙な役割分担。そして、護衛の件がなくても分かる、ジャスティンのプリシラに対する異常な執着。
何もかもが奇妙で、全てがしっくりこない。サイズの合わない靴を履いたかのような違和感が拭えず、ルーカスの視線は知らず知らずのうちに険しいものになっていった。
「私はご主人様の護衛です! 私がお護りするのはあなただけだ。……それを誰よりもよくご存じなのは、あなたではありませんか」
威勢よい言葉とは裏腹に、カインの声は徐々に力を失っていく。最後には俯いてしまった少年が痛々しく、プリシラは思わず口を挟んだ。
「侯爵様、私のことはどうかお捨て置きください。今まで何の不安もなく暮らしておりました。そもそも従兄の蔵書以外、取られて困るものなど何一つない質素な暮らしです。どうぞ私共のことはお気になさらず、皆さまご一緒にお帰りになってくださいませ」
「プリシラ」
そっと手を取られる。白くきめ細かい肌がエントランス・ホールの灯りを反射しているのを見て、プリシラの心が妖しくざわめいた。
「今までどうだったかは関係ない。僕が君のことを知り、こうやって一緒に過ごした以上、万が一にも君に危険か及ぶ可能性を見過ごすことはできないよ。……それとも」
硬質な銀色の瞳が悪戯っぽく細められる。
「一緒にブラックバーン城へくる? そうすれば僕は何も心配しなくて済むし、君もここで言い争う僕たちを見て気を揉むこともなくなる」
それはあまりにもプリシラの常識に反する申し出だった。未婚の令嬢に対する招きにしばらくぽかんとしていた彼女は、理解が及ぶと同時にカッと頬を赤くした。
「ブラックバーン侯爵様。お戯れもほどほどになさってください。従妹はどこにも行きませんし、我々は護衛などなくとも今までと同じくここで暮らします。それから何度も申し上げましたとおり、未婚女性に不用意な接触をなさるのはお控えになったほうがいいでしょう。ご自身の立場に見合った行いをなさるよう、微賤の身ながら諫言いたします」
さすがに目に余ったのか、ルーカスが不穏なオーラを漂わせながら低い声で言う。それをさらりと受け流したジャスティンは「僕は本気なんだけどな」と呟きながら手を離し、再び従者へと向きなおった。
「カイン、聞き分けてはくれないか」
俯いていたカインはパッと顔を上げた。唇を噛み、涙をこらえるように何度も瞬きをしながらようやく応えた。
「…………それが、あなたのお望みなら」
自分の願いが叶い、喜ぶかと思われたジャスティンは、だが静かな目で従者を見るだけだ。そして黙ったままカインの頭をそっと撫でる。それはまるで聖句を告げようとする聖職者にも似てどこか厳かな、二十一歳という年齢に見合わない老成した仕草だった。
「ああ、どうか……どうか、ご無事でいらっしゃいますように。私がお側にいられない間、何ものもあなたを傷つけることがありませんように」
「大丈夫だ。私は今、かつてないほど満たされている。全てプリシラのおかげだ。……だから頼んだぞ、私の代わりに彼女を護るんだ」
目の前に差し出された主の手を押し頂き、小さな従者はかすれた声で応えた。
「はい、我が主。全てはあなたのお望みのままに」
ブラックバーン侯爵が蔵書を閲覧したいと言った理由。プリシラを見て突然態度を変えたこと。従者の奇妙な役割分担。そして、護衛の件がなくても分かる、ジャスティンのプリシラに対する異常な執着。
何もかもが奇妙で、全てがしっくりこない。サイズの合わない靴を履いたかのような違和感が拭えず、ルーカスの視線は知らず知らずのうちに険しいものになっていった。
「私はご主人様の護衛です! 私がお護りするのはあなただけだ。……それを誰よりもよくご存じなのは、あなたではありませんか」
威勢よい言葉とは裏腹に、カインの声は徐々に力を失っていく。最後には俯いてしまった少年が痛々しく、プリシラは思わず口を挟んだ。
「侯爵様、私のことはどうかお捨て置きください。今まで何の不安もなく暮らしておりました。そもそも従兄の蔵書以外、取られて困るものなど何一つない質素な暮らしです。どうぞ私共のことはお気になさらず、皆さまご一緒にお帰りになってくださいませ」
「プリシラ」
そっと手を取られる。白くきめ細かい肌がエントランス・ホールの灯りを反射しているのを見て、プリシラの心が妖しくざわめいた。
「今までどうだったかは関係ない。僕が君のことを知り、こうやって一緒に過ごした以上、万が一にも君に危険か及ぶ可能性を見過ごすことはできないよ。……それとも」
硬質な銀色の瞳が悪戯っぽく細められる。
「一緒にブラックバーン城へくる? そうすれば僕は何も心配しなくて済むし、君もここで言い争う僕たちを見て気を揉むこともなくなる」
それはあまりにもプリシラの常識に反する申し出だった。未婚の令嬢に対する招きにしばらくぽかんとしていた彼女は、理解が及ぶと同時にカッと頬を赤くした。
「ブラックバーン侯爵様。お戯れもほどほどになさってください。従妹はどこにも行きませんし、我々は護衛などなくとも今までと同じくここで暮らします。それから何度も申し上げましたとおり、未婚女性に不用意な接触をなさるのはお控えになったほうがいいでしょう。ご自身の立場に見合った行いをなさるよう、微賤の身ながら諫言いたします」
さすがに目に余ったのか、ルーカスが不穏なオーラを漂わせながら低い声で言う。それをさらりと受け流したジャスティンは「僕は本気なんだけどな」と呟きながら手を離し、再び従者へと向きなおった。
「カイン、聞き分けてはくれないか」
俯いていたカインはパッと顔を上げた。唇を噛み、涙をこらえるように何度も瞬きをしながらようやく応えた。
「…………それが、あなたのお望みなら」
自分の願いが叶い、喜ぶかと思われたジャスティンは、だが静かな目で従者を見るだけだ。そして黙ったままカインの頭をそっと撫でる。それはまるで聖句を告げようとする聖職者にも似てどこか厳かな、二十一歳という年齢に見合わない老成した仕草だった。
「ああ、どうか……どうか、ご無事でいらっしゃいますように。私がお側にいられない間、何ものもあなたを傷つけることがありませんように」
「大丈夫だ。私は今、かつてないほど満たされている。全てプリシラのおかげだ。……だから頼んだぞ、私の代わりに彼女を護るんだ」
目の前に差し出された主の手を押し頂き、小さな従者はかすれた声で応えた。
「はい、我が主。全てはあなたのお望みのままに」
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