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第一章

侯爵の訪問①

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「お嬢様……! どうしてあんな言いがかりをそのままになさるんです!」
「いいのよ。だって本当のことだもの。両親を亡くした時に爵位は返上して、今の私は平民よ。お嬢様なんて呼ばれる身分じゃないのも本当だわ」
「何を仰るんですか! 陛下は爵位の返上ではなく一時的に預かるだけだと仰せだったんでしょう!? ならプリシラ様は立派な子爵家のお嬢様ですとも。……あの女はプリシラ様に何もかも敵わないものだから、小姑のようなことばかりいつもネチネチネチネチと。あのけばけばしい化粧を落とせばどこが目で鼻か分からないような顔になるんですよ。ええ、昔から知っている私が言うんだから間違いありません」

 ハンナは今にも足を踏み鳴らさんばかりだ。プリシラは誰かに聞きつけられないか気が気ではない。

「そんなことを言わないで。バージニア様がお美しいのは事実だもの」

 どうにか宥めようとするプリシラの言葉が、更にハンナの怒りを煽ってしまう。

「そもそも、嫁き遅れの三十女が十も若いご令嬢に嫉妬するだなんて、恥ずかしくないんでしょうかね。相手を選り好みしすぎて貰い手がなくなり、今では誰からも相手にされていないんですよ。それなのにいつまでも自分が選ぶ立場だと勘違いして。つい何日か前までルーカス様を逃すまいと、色目を遣っていたじゃありませんか。それが呼ばれてもいないのにあんなに着飾ってくるなんて。このお屋敷の女主人を気取っているのか、……いいえ、玉の輿に乗ろうとしているんですよきっと! 全く浅ましいったらありゃしない。侯爵様のお顔どころか、年だってお幾つか分からなっていうのに」

 プリプリと怒るハンナを止められず、プリシラは困って少しうつむいた。バージニアの言葉は本当だし、ハンナが言うことも間違ってはいない。
 この屋敷を手配したのは教会だが、所有者はバージニアの父親だ。王都から赴任してきた英邁な若き司祭の支援を申し出た父親とともに、引っ越しの日に現れたのが初対面だった。
 端正な顔立ちで将来性のあるルーカスに、彼女は最初から興味を持ったようだ。それに多少の下心を感じたのはハンナだけではない。おまけに初めは妹だと勘違いしていたプリシラが従妹だと――その気になれば結婚できる間柄だと――分かってからは、些細なことを引き合いに出してはチクチクと嫌味を言われるようになった。

 今日のバージニアはいつもよりあっさり矛を収めてくれた。これが貴賓を迎える前だからか、それともあわよくば優良な結婚相手を捕まえようとしているからかは分からない。しかし、どちらにせよ自分には関係のない話だ。プリシラは気分を変えるように深呼吸すると、まだブツブツと文句を言うハンナを促した。

「さあ、いきましょう。バージニア様がいらっしゃるなら出しゃばるわけにはいかないけれど、侯爵様のお出迎えだけはしておかなくては」







「いやはや、まさかブラックバーン侯爵と直接お目にかかれる日がくるとは夢にも思いませんでしたな」

 突き出た腹を揺すりながら言うのはノーマン・スティール、バージニアの父親で、ベルリッツの市街に土地を持つ地主だ。尤もその面積はさほど広くもないのだが、紡績工場がスティール家の所有地に建ったことで大きな富を得た。今はそれを元手に不動産を取得し、あくせく働かなくても贅沢に暮らせている。

「侯爵家の代理人とは何度も会ったことはありますが、どんなに頼んでも侯爵様ご本人にはお会いすることは叶いませんでした。それがこんなところで」
「スティール卿」

 しなる鞭のような声で名を呼ばれ、饒舌に語っていたノーマンは口を閉ざした。
 
「言うまでもないことですが、ブラックバーン侯爵はあなた方がここに居ることを決して喜ばないでしょう。かの方がそうまでして人前に姿を現さないのなら、そうするだけの理由があるということをお忘れなく。領主を敬う気持ちを示すためにも、今すぐお帰りになるのが領民の正しい姿ではないですか」

 冷ややかに指摘されたノーマンはたじろぐが、幻の領主を一目見る誘惑には代えられない。動揺したことを悟られないよう眉を上げ、指先で口髭をゆっくりと撫でつけた。

「……侯爵がお出ましになるきっかけがセント・ルーカス、あなただと言うなら、この家の持ち主である私としてもご挨拶くらいはさせていただきたいですな」

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