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第一章
令嬢プリシラ①
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「お嬢様。念のためお茶の支度をいたしました」
「そうね。今の時間では夕食には早いもの。お茶を準備しておいたほうが安心だわ。ハンナ、ありがとう」
家事を取り仕切るハンナが銀のワゴンを応接室に運んできた。侯爵の来訪はお茶の時間には遅く、晩餐には早い微妙な時間だ。饗応は不要との伝言は承知しているが、まさか何の用意もなしに領主を迎えることはできない。応接室の最終チェックをしていたプリシラは、ソワソワとティーセットの配置を換えるハンナに苦笑した。
「そんなに緊張しなくて大丈夫よ。これはあくまでも『念のため』で、侯爵様はおそらく短時間でお帰りになるんだから」
「これが緊張せずにいられるものですか! あのブラックバーン侯爵様のお姿を拝見できるんですよ?」
ハンナは肉付きのいい身体をぶるりと震わせた。
「お嬢様はお分かりでいないかもしれませんが、生まれも育ちもベルリッツの私からすれば信じられないことです。色々噂はあってもなさることは全て領民のためになることばかり。皆感謝しているんですよ。でもまさか本当に、本物の侯爵様のお顔を拝見できる日がくるだなんて」
目をギュッと閉じ、両腕で自分の身体を抱く。
「二目と見られぬほど醜いという話もあれば、とんでもなく美しいお方だという噂もあるでしょう。何歳くらいの方なのか、背はどれくらいで髪の色は何色か……。侯爵様のお顔を見たら私はその場で死んでしまいやしないかと心配ですよ。想像しただけでこんなに胸がドキドキするんですから」
少女のように目をキラキラさせているハンナにとって、代々善政を敷いてきた侯爵家の当主は憧れなのだろう。プリシラは微笑ましく思いながらも、従兄のためにあえて釘を刺した。
「ハンナ。分かっていると思うけれど、ここで見聞きしたことは」
「ええ、分かっていますとも! 決して誰にも口外いたしませんし、無暗に騒いで侯爵様のご機嫌を損ねる真似もしないとお約束します」
プロの使用人としての誇りをもって断言する。それを聞いて安心したプリシラを、今度はハンナのほうが咎めるような目つきで見た。
「そんなことよりお嬢様。その格好は何です? もう少し何とかならないものですか」
「……そんなにおかしいかしら」
プリシラは自分を見下ろした。派手ではないものの、教会にも着て行ったことのある紺色のデイドレスだ。教壇に立つ時のワンピースよりもフォーマルで露出の少ない、自分としては気に入っている服なのだが。
「何ですかこの後家さんみたいな格好は。もっと柔らかくて明るいお色のドレスがあったでしょうに。それにひっつめ髪はいけません。さあさあ、せめて髪だけでも解いてほら、こんな風にふんわりとさせておけば」
「あっ、ハンナ、髪は……」
有無を言わさず濃い金髪を解かれる。焦るプリシラをいなしながら、ハンナは前掛けのポケットから櫛を取り出して梳き始めた。
「……本当にねえ。こんなにお美しい方が娘らしく着飾ることもしないで子供たちの相手ばかりだなんて」
頭上でため息をつく気配を感じた。話が長くなりそうなことを察したプリシラは聞こえないふりだ。
「そうね。今の時間では夕食には早いもの。お茶を準備しておいたほうが安心だわ。ハンナ、ありがとう」
家事を取り仕切るハンナが銀のワゴンを応接室に運んできた。侯爵の来訪はお茶の時間には遅く、晩餐には早い微妙な時間だ。饗応は不要との伝言は承知しているが、まさか何の用意もなしに領主を迎えることはできない。応接室の最終チェックをしていたプリシラは、ソワソワとティーセットの配置を換えるハンナに苦笑した。
「そんなに緊張しなくて大丈夫よ。これはあくまでも『念のため』で、侯爵様はおそらく短時間でお帰りになるんだから」
「これが緊張せずにいられるものですか! あのブラックバーン侯爵様のお姿を拝見できるんですよ?」
ハンナは肉付きのいい身体をぶるりと震わせた。
「お嬢様はお分かりでいないかもしれませんが、生まれも育ちもベルリッツの私からすれば信じられないことです。色々噂はあってもなさることは全て領民のためになることばかり。皆感謝しているんですよ。でもまさか本当に、本物の侯爵様のお顔を拝見できる日がくるだなんて」
目をギュッと閉じ、両腕で自分の身体を抱く。
「二目と見られぬほど醜いという話もあれば、とんでもなく美しいお方だという噂もあるでしょう。何歳くらいの方なのか、背はどれくらいで髪の色は何色か……。侯爵様のお顔を見たら私はその場で死んでしまいやしないかと心配ですよ。想像しただけでこんなに胸がドキドキするんですから」
少女のように目をキラキラさせているハンナにとって、代々善政を敷いてきた侯爵家の当主は憧れなのだろう。プリシラは微笑ましく思いながらも、従兄のためにあえて釘を刺した。
「ハンナ。分かっていると思うけれど、ここで見聞きしたことは」
「ええ、分かっていますとも! 決して誰にも口外いたしませんし、無暗に騒いで侯爵様のご機嫌を損ねる真似もしないとお約束します」
プロの使用人としての誇りをもって断言する。それを聞いて安心したプリシラを、今度はハンナのほうが咎めるような目つきで見た。
「そんなことよりお嬢様。その格好は何です? もう少し何とかならないものですか」
「……そんなにおかしいかしら」
プリシラは自分を見下ろした。派手ではないものの、教会にも着て行ったことのある紺色のデイドレスだ。教壇に立つ時のワンピースよりもフォーマルで露出の少ない、自分としては気に入っている服なのだが。
「何ですかこの後家さんみたいな格好は。もっと柔らかくて明るいお色のドレスがあったでしょうに。それにひっつめ髪はいけません。さあさあ、せめて髪だけでも解いてほら、こんな風にふんわりとさせておけば」
「あっ、ハンナ、髪は……」
有無を言わさず濃い金髪を解かれる。焦るプリシラをいなしながら、ハンナは前掛けのポケットから櫛を取り出して梳き始めた。
「……本当にねえ。こんなにお美しい方が娘らしく着飾ることもしないで子供たちの相手ばかりだなんて」
頭上でため息をつく気配を感じた。話が長くなりそうなことを察したプリシラは聞こえないふりだ。
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