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第一章
魔女狩り②
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だがもはや後戻りなどできるはずもない。我が身の不幸を嘆きながら、司祭は大きく手を振って合図をした。それを見た執行人が、松明を積み上げられた枝に近づける。一瞬小さくなった炎は、次の瞬間音を立てて燃え広がった。
燻る匂い。パチパチと鳴る乾いた音。そして。
炎が柱に括り付けられた足を舐め、衣に燃え移れば後はあっという間だ。
娘は大きく口を開けた。
魔女ではありません。形ばかりの審問中に何度も繰り返した言葉だ。それをまた訴えるのかと関係者は身構えたが、結局声は上がらなかった。悲鳴すら聞こえないのは、炎が熱風となってたちまちのうちに喉を焼いたからだ。
炎の勢いは恐怖を覚えるほどの激しさだ。燃え広がる赤い色と熱を感じて、群衆はわずかに後ずさった。
助ける者は誰もいない。そんなことをすれば、自分まで仲間と見做され同じ末路を辿ることになる。
決して人の悪口を言わず、誰よりも優しい娘だった。心の美しい彼女のことを、皆が好ましく思っていたはずだったのに。
群衆はふと顔を見合わせた。自分がここにいるのを不思議に思い、数人はあからさまな態度で炎から顔を背ける。
「魔女のしるしを残さず焼き払え!」
どこかで声がして、群衆はハッとしてまた叫び始めた。そうだとも。間違いなくあの娘は魔女だった。群衆は握った拳を突き上げ、足を踏み鳴らしながら口々に叫ぶ。
殺せ! 殺せ! 殺せ!
あの女は魔女だ。立派な魔女のしるしがあったじゃないか。人々は一様にそう思った。
よき隣人だった彼女が告発され、そして魔女だと認定された根拠。それは、ほっそりとした首すじに残された、小さな噛み痕だった。
どす黒い煙が立つ。尽きぬ熱炎の先には、抜けるような青い空が見えた。
カーン、カーン、と教会の鐘の音が響く。プリシラ・マリエル・オズボーンは両手を組み合わせて短い祈りをささげると、澄んだ青い目を細めて子供たちに微笑みかけた。
「時間になったので今日はこれで終わります。明日は算数と地理を勉強しましょう」
七歳から十歳までの子供が集う学校だ。賑やかに帰り支度を始めた生徒たちを見守りながら、プリシラは緑が濃い窓の外へ目を遣った。
芽吹きの季節だというのに景色は暗くどことなくうら寂しい。うっそうと茂る樹木の間から見えるはずの日光が、今日はまだ一度も姿を現していないせいだろう。
そのうちこの光景を描いてみるのもいいかもしれない。絵を描くのが趣味のプリシラは、手持ちの絵の具で深みのある濃い緑を表現できるか考えながら、いつもより一段と暗い空を窓越しに見上げた。
また雨になりそうだ。昼でも灯りが欠かせない教室の中で、プリシラは教師の声音で声をかけた。
「雨が降りそうだわ。みんな、寄り道せずに真っすぐ帰るのよ」
はーい、と声を揃えた生徒たちを見送り、教卓の上に揃えていた教科書を胸に抱くと、プリシラは教室を後にした。
ザウスグランツ王国でも北にあるベルリッツは、ブラックバーン侯爵が治める領地の片隅に位置している。一年の三分の一は氷に閉ざされ、残りの三分の一も薄曇りの日が多い土地柄のせいで、農地はほんの僅かしかない。主要産業は紡績と、有用金属を多く含む金属鉱脈の採掘。切り立った岩峰に囲まれた都市は好景気に沸き潤っていた。
全校生徒が二十人しかいない小さな学校には、そこで働く労働者の子供たちが通っている。前任の教師は若い男性で、あまり熱心ではなかったらしい。労働者階級の子供を教えるなどプライドが許さなかったのか、自習と称した手抜き授業を繰り返し、学期が終わると同時に転任していったという。
燻る匂い。パチパチと鳴る乾いた音。そして。
炎が柱に括り付けられた足を舐め、衣に燃え移れば後はあっという間だ。
娘は大きく口を開けた。
魔女ではありません。形ばかりの審問中に何度も繰り返した言葉だ。それをまた訴えるのかと関係者は身構えたが、結局声は上がらなかった。悲鳴すら聞こえないのは、炎が熱風となってたちまちのうちに喉を焼いたからだ。
炎の勢いは恐怖を覚えるほどの激しさだ。燃え広がる赤い色と熱を感じて、群衆はわずかに後ずさった。
助ける者は誰もいない。そんなことをすれば、自分まで仲間と見做され同じ末路を辿ることになる。
決して人の悪口を言わず、誰よりも優しい娘だった。心の美しい彼女のことを、皆が好ましく思っていたはずだったのに。
群衆はふと顔を見合わせた。自分がここにいるのを不思議に思い、数人はあからさまな態度で炎から顔を背ける。
「魔女のしるしを残さず焼き払え!」
どこかで声がして、群衆はハッとしてまた叫び始めた。そうだとも。間違いなくあの娘は魔女だった。群衆は握った拳を突き上げ、足を踏み鳴らしながら口々に叫ぶ。
殺せ! 殺せ! 殺せ!
あの女は魔女だ。立派な魔女のしるしがあったじゃないか。人々は一様にそう思った。
よき隣人だった彼女が告発され、そして魔女だと認定された根拠。それは、ほっそりとした首すじに残された、小さな噛み痕だった。
どす黒い煙が立つ。尽きぬ熱炎の先には、抜けるような青い空が見えた。
カーン、カーン、と教会の鐘の音が響く。プリシラ・マリエル・オズボーンは両手を組み合わせて短い祈りをささげると、澄んだ青い目を細めて子供たちに微笑みかけた。
「時間になったので今日はこれで終わります。明日は算数と地理を勉強しましょう」
七歳から十歳までの子供が集う学校だ。賑やかに帰り支度を始めた生徒たちを見守りながら、プリシラは緑が濃い窓の外へ目を遣った。
芽吹きの季節だというのに景色は暗くどことなくうら寂しい。うっそうと茂る樹木の間から見えるはずの日光が、今日はまだ一度も姿を現していないせいだろう。
そのうちこの光景を描いてみるのもいいかもしれない。絵を描くのが趣味のプリシラは、手持ちの絵の具で深みのある濃い緑を表現できるか考えながら、いつもより一段と暗い空を窓越しに見上げた。
また雨になりそうだ。昼でも灯りが欠かせない教室の中で、プリシラは教師の声音で声をかけた。
「雨が降りそうだわ。みんな、寄り道せずに真っすぐ帰るのよ」
はーい、と声を揃えた生徒たちを見送り、教卓の上に揃えていた教科書を胸に抱くと、プリシラは教室を後にした。
ザウスグランツ王国でも北にあるベルリッツは、ブラックバーン侯爵が治める領地の片隅に位置している。一年の三分の一は氷に閉ざされ、残りの三分の一も薄曇りの日が多い土地柄のせいで、農地はほんの僅かしかない。主要産業は紡績と、有用金属を多く含む金属鉱脈の採掘。切り立った岩峰に囲まれた都市は好景気に沸き潤っていた。
全校生徒が二十人しかいない小さな学校には、そこで働く労働者の子供たちが通っている。前任の教師は若い男性で、あまり熱心ではなかったらしい。労働者階級の子供を教えるなどプライドが許さなかったのか、自習と称した手抜き授業を繰り返し、学期が終わると同時に転任していったという。
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