【完結】ハリントン男爵アレクシス・ハーヴェイの密かな悩み

ひなのさくらこ

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第六章

虜囚②

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 グレッグは探るような目でアレクシスを眺めた。それを聞いてどうするというのか。
 気分のよい話ではないと分かっているのに聞いてくるのは、余程姪のことが大切だからなのだろう。グレッグは高揚したような、それと同時にどこか疲れたような気分でにやりと笑った。

「決まっているだろう。寝台に妻を寝かせておいて、私は可愛い小姓たちと戯れるんだ。そうして絶頂を迎えようとする時に、妻の中に子種を放つ。私は女を性愛の対象とはしていないが、姪のほうだとて私とそういった行為に興じるつもりはないだろう。実に合理的で無駄のないやり方だと思わないか」

 非道な行いを平然と口にする叔父に、もはや恐怖しか感じない。クラリスはただ震えるしかなかった。
 しかし、尋ねた本人であるアレクシスは目立った反応を示さない。ただ顎が強張ったことで、奥歯を噛みしめたことだけが分かった。
 グレッグだけが楽しそうだ。怯える姪と鋭い目で睨んでくる富豪の男爵を前に声を上げて笑った。

「そんな顔をするものじゃない。クラリスは王族としてシエルハーンのために身を捧げることができ、ハリントン卿は金銭的な支援をすることで、自分の庇護下にあった娘の命を救うことができるのだ。誰も損をしない取り引きだと思わないか」

 ひとしきり笑った後で、駄目押しのように目を細めた。

「言っておくが、ヴィクターを王位継承者に仕立て上げて玉座を奪おうなどと考えるなよ。そんなことをすればクラリスの命はない。これから先ヴィクターはシエルハーン王家とは何の関係もない、ただの『ヴィク』として生きていくんだ。ハリントン卿、せいぜいあの子の面倒を見てやってくれ」

 うきうきとした口調の叔父を見ていられず、クラリスは血が滲むほど強く唇を噛み締めた。だが試練はまだ続く。

「ブランドン。小切手はどこにある」
「はい、その机の上に」

 アレクシスが座らされている椅子と同じように、木製の粗末な机の上に小切手帳が置かれていた。グレッグはそれを手に取り、中身を検める。署名はされているが金額は書かれていない。所有者が銀行に持っていけば、好きな金額を振り出してもらえる魔法の紙だ。

「上限額はいくらなんだ」

 グレッグの問いに対する答えは、驚くべきものだった。

「……口座の残高が二十万ゴールドを割り込めば、不足分は別口座から補充されることになっている」
「その別口座にはいくら入っているんだ」
「補充用の口座は複数あるからはっきりとは言えないが……おそらく五百万ゴールドは下らないだろう」

 さすがのグレッグも言葉を失った。個人資産で五百万ゴールド。それはルフトグランデ王国の国家予算に匹敵する金額だった。

 ふふ、くくく……と小さな笑い声が徐々に大きくなる。グレッグは肩を揺らしながら目元を拭った。

「これは傑作だ。神の恩寵を持たない出来損ないと言われていた私が、五百万ゴールドを手にするとは誰も……父上でさえも予想しなかっただろう!」

 そんな、駄目だ。クラリスは両手首を掴むブランドンから逃れようと身を捩った。そんな大金を、アレクシスの金を叔父に渡すことはできない。

 だがどれだけもがいても、ブランドンの手はがっちりとクラリスを押さえつけている。その時、暴れるクラリスをアレクシスが鋭い目で一瞥したことで彼女は抵抗する気力を失った。

 ――また、私のせい。アレクシス様は私を助けるためにこんな目に遭って、そのうえお金まで……。

 できることなら泣きわめいて叔父を罵倒したい。それすらできない自分が心底嫌になる。だがクラリスは決意した。叔父と結婚するなど考えたくもないが、そうすることでしか全てにけりをつけられないのなら、やるしかない。生活を共にすれば必ず隙がでるはずだ。そこを狙って命をもらう。できるだけ早く、アレクシスの財産を食いつぶす前に。

 しかし、アレクシスは自分の資産を奪うと宣言されてなお平然としている。むしろクラリスの結婚生活について聞かされた時のほうが余程辛そうだった。そのアレクシスは浮かれるグレッグに一つだけ尋ねた。

「シエルハーンに戻ったら軍はどうする。あれほど裏切り者が続出したのだから、然るべき処分をするのだろうな」

 グレッグは眉をピクリと動かしたが、また上辺を取り繕った上機嫌な顔を見せた。

「勿論だ。王としての威厳を示さなければならないからな。幸いにもハリントン卿からの資金援助があるおかげで、兵を集めることも軍装を整えることも問題なくできるだろう。軍人に必要なのはまずそれだ。金を与え、食い物を与え、兵器を与える。そうしておけば文句など言わず黙って働くものだよ。ああ、そういえばハリントン卿は軍需産業にも投資しているんだろう? 兵器の入手についても便宜を図ってもらえると思っているが、問題ないだろうな」

 アレクシスはペラペラと喋るグレッグを真顔で見ていたが、ある人物の名を口にした。

「それはトレヴァー・ランドンも処罰の対象になると、そういうことか」

 グレッグはぴたりと口を閉ざした。しん、と部屋が静まる。やがてグレッグはゆっくりとアレクシスに向き直った。

「……なに?」
「トレヴァー・ランドンも、他の裏切り者たちと同じように処罰の対象になるのかと、そう尋ねたんだ。シエルハーン国軍の兵士で、あなたの恋人だった」

 ぎらつく目で睨むグレッグに対して、アレクシスは至って冷静だった。誰も知らなかったであろう事実を白日の下に晒そうとしているのだが、そんな気負いは全くみられない。クラリスの目から見てもいつもと同じ、いや、いつもより冷静に見えるほどだ。

「あなたは恋人のトレヴァー・ランドンと密かに愛を育んでいた。二十歳以上も年下の恋人は健気で、愛おしくてたまらなかったのだろう。妻を亡くした時には空だった公爵家の資産はどうにか全盛期の半分ほどまで持ち直していた。このまま真面目に務めれば不自由なく暮らせるというのに、どうにかしてこの恋人に贅沢をさせてやりたい、公爵家の資産を受け継がせたいと考えたあなたは国王に談判することにした」

 クラリスの胸が苦しくなる。自分にも関わりがある重大な秘密が語られている、そう思った。

「シエルハーンの国土には限りがある。このままおとなしく領地を治めていても資産が大きく増えることはない。王族であるとはいえ、既に臣籍降下した身だ。しかも、国王には王太子だけではなく幼い第二王子までいて、自分が玉座に座ることは考えられない。そこで一番手っ取り早く資産を――領地を増やすことのできる策として、戦争してはどうかと国王に持ち掛けた。……その答えは当然のものだった。けんもほろろに断わられたあなたは、次の策として国法の改定を提案した。それに王がどのようにお答えになったか、あなたはよくご存じですね」

 グレッグは目を閉じ、胸に片手を置いた。それは彼が初めて見せる動揺した姿だった。
 アレクシスはそれをじっと見ていたが、静かに話を続けた。

「あなたが提案したのは、同性婚の合法化だった。ルフトグランデで認められている同性婚を、シエルハーンにも導入しようとしたのだ。だが国王は慎重だった。エーベルでは同性婚に関する反対意見が多数で、未だに法制化できていないことも理由のひとつだっただろう。だがあなたはどうにかして若い恋人に権利を――家族として、愛する伴侶として公爵家の財産を受け継ぐ権利を与えたかった」

 グレッグは呻きながら目を開け、どこか怯えるように辺りを見回した。それは、追い詰められた獣が仲間を探す仕草によく似ていた。
 もうやめて。クラリスは言いたかった。これ以上叔父の――シエルハーン王家の秘密を暴かないでと。

「だから最後の手段として、ダントン公爵家の養子として恋人を……トレヴァー・ランドンを迎えたいと申し出た。貴族の養子については国王の裁可が必要だ。だからあなたは自分の性指向について兄に打ち明け、トレヴァーを愛していると伝えた。それなのに王はあなたの願いを退けた。その理由は単純なものだった。『貴族家で婚姻に準ずる養子は前例がない』……あなたは絶望し、怒りに震えた。妻を亡くした時と同じ怒りだ。兄は自分の幸せを故意に邪魔しているのではないか、そう思ったあなたは怒りと恨みを募らせ……そして、あの日を迎えた」

 バン、と大きな音がして、クラリスはビクッと肩を揺らした。見れば、幽鬼のような顔の叔父が机に拳を打ち付けている。瞳の中に揺らめく炎のようなものは怒りだろうか。琥珀色の瞳。シエルハーンの王族としては数少ない、異端の色だ。

「そうだとも。兄上は決して意見を変えようとはしなかった。いつもいつも私が苦しむようなことばかり選択する。あんな男は家族でも何でもない」
「だから殺したのか。もっと他に方法があっただろう」
「どんな方法があるというんだ!!」

 激昂したグレッグは再び机を拳で殴りつけた。

「私は何度も兄と話し合った。譲れるところは全部譲った。だが兄は……は何一つ変えようとせず、何も犠牲を払うことなく高みから『駄目だ』と言うだけだったんだぞ!? 他に方法があったというなら教えてくれ!」
「国を出ればよかったじゃないか。資産を全部持ち出せば、贅沢はできないまでも普通の暮らしはできただろう。ルフトグランデなら仕事もあるし同性の恋人と結婚もできる。王を弑し逆賊の汚名を着るくらいなら、そうすればよかったんだ」
「簡単に言うな! 第一、国を捨てるような選択を彼にさせる訳にはいかない」
「なぜだ。家族を捨てさせられないとでも? だが彼は反国王派を裏切って姿を消した。両親をシエルハーンに残したままで。あなたがそんなにも大切にしていた彼は所詮、王弟殿下の寵愛を頼りに贅沢な暮らしを望んでいただけの、愛など欠片も持たない青年だったという証拠ではないか」
「うるさいうるさいうるさいっ!!」
「……!!」

 一度。二度。三度。椅子に縛り付けられ防御できないアレクシスの腹を拳で殴る。苦痛に呻くアレクシスを見るグレッグの目には殺意が宿っていた。

「……素手で叩きのめすのは骨が折れるな。だが、私はいいことを知っている」

 グレッグは微かな笑みを浮かべながら、アレクシスの上着の内側を探った。そして取り出したものに、クラリスは大きく目を見張る。

「ハリントン男爵アレクシス・ハーヴェイ。名にし負う大富豪で自信家の男爵は、護衛を引き連れて歩くのを嫌うらしい。その代わりにこれを……持ち歩く。そうだな、ブランドン?」

 グレッグの手に握られていたもの。それは、アレクシスが護衛代わりに愛用する拳銃だった。

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