【完結】ハリントン男爵アレクシス・ハーヴェイの密かな悩み

ひなのさくらこ

文字の大きさ
上 下
50 / 60
第六章

牢獄の花嫁②

しおりを挟む
 クラリスがその言葉を理解するよりも先に反応したのはノエルだった。

「馬鹿な! そんなことが許されるものか」

 色めき立つが、縄で縛められ床に転がされている状態ではどうにもできない。グレッグはノエルの腹を靴の先端で突いた。

「誰に許しが必要だというんだ。少なくともお前でないことだけは確かだな」

 嘲笑しながらクラリスに視線を移す。そして不味いものを口に入れたように唇を歪めた。

「汚らわしい女風情に触れなければならないのは業腹だが、結婚式では誓いのキスをしなければならないだろう。仕方のないことだと分かっているが……この姿なら、見られなくもないな」

 クラリスが男装をしていることにようやく気づいたのか、床に伏せている姪の二の腕を掴んで引き上げた。

「……ッ!」
「よせ、姫様に触るな!」

 ノエルの喚き声など耳に入っていないのか、先ほどまでとは違い熱を持った目で撫でるように全身を眺めまわした。

「うん……悪くない。お前は本当にヴィクターとそっくりだ」

 そして、人差し指の背で滑らかな頬に触れる。おぞましさに全身が総毛立ち、クラリスは思わずその手を叩き落とした。
 王弟グレッグ・オニール・シエルハーン。王族でありながら王家の特徴であるプラチナブロンドの髪と紫の瞳を持たない彼にまつわる噂は複数あるが、そのうちのひとつが男色家であることだ。
 それも、年端もいかぬ男児が一番の「好物」なのだともっぱらの噂だった。婚姻歴があるものの子はおらず、妻は早世している。元々身体の弱い人だったというが、死因は公表されていない。それが憶測を呼び、自ら命を断ったのではないかと根強く囁かれている原因だ。夫婦としての触れ合いは一度もなく、冷たい夫に絶望した若い妻は死を選んだのだろうと。

 国政に関わっていた兄とは違い、クラリスたちがグレッグと接する機会は少なかった。だが、母は叔父がクラリスたちと――特にヴィクターと会う時には必ず同席していたように思う。今にして思えば心配だったからなのだろう。
 決して温かい関係ではなかったが、今まではごく普通の叔父と姪だったはずだ。それが、グレッグが本性を剥き出しにしたせいで完全に覆ってしまった。
 振り払った時にクラリスの爪でこすったのか、叔父の手の甲に赤い筋ができた。グレッグは腹を立てるでもなくそこにフッと息を吹きかけ、楽しげに目を細める。

「くくっ、生きのいいことだ。私は世の女たちを皆等しく嫌っているが、最も忌まわしいのはめそめそと泣く女だ。お前はそうやって、睨みつけてくるだけまだましだな。だが、この姿なら本当に……もしかしたら、私でも女を抱けるかもしれない。何なら今ここで、お前を花嫁にしてみるか」

 ウィンシャム公に絞められた指の跡が残る首を、グレッグは片手で軽く押さえた。もう片方の手で上着のボタンを外しはじめる。クラリスは叔父をおぞましい思いで見返した。叔父と姪という関係以上に、一人の人間として受け入れられなかった。
 だが、自分の置かれた状況を信じられずに棒立ちになるクラリスよりも、叔父の暴言に反発したのは護衛騎士のノエルだ。

「よせ! 絶対に、絶対に許さないぞ! そんなことをしてみろ、永遠に悪霊となってお前を呪ってやる!」

 半分冗談だったグレッグは、猛る護衛騎士の様子に気を変えたようだ。クラリスを湿った石壁に押しつけ、小さな尻を撫でまわしはじめた。

「ほう、それは面白い。前々から悪霊というものを見てみたいと思っていたんだ。これは何としても実行しなければ。お前の主を目の前で犯し、その後にゆっくりとお前を殺してやるよ。ああ、まずは私の男を勃たせてもらおうか。おい、ここに膝をついて奉仕をしろ」

 グレッグは目をぎらりと光らせ、クラリスから剥ぎ取った上着を床に放った。そして肩を押さえつけてクラリスを跪かせる。
 顔のすぐ側に男の股間がある。何をさせられるのか戸惑うクラリスだったが、叔父がウエストのボタンを外してようやく意図を理解した。

 ――いやっ!

 グレッグは顔を背けるクラリスの頭を押さえて、下着越しに萎えた性器を押しつけてくる。懸命に逃れようと頭を振る姪に苛立って声を荒らげた。

「おい、いつまでも子供じみた振る舞いをするんじゃない。いいか、ルークは死にヴィクターはもはや王族としての力を持たないただの子供だ。その中で唯一お前は王妃になれるんだぞ!? 私をその気にさせられなければシエルハーン王家は途絶える。それでいいのか!」

 何を言われているのか理解できない。クラリスは閉じた瞼の裏に涙が溜まるのを感じた。この男と身体を繋ぎ子を生すくらいなら、このまま死んでしまったほうがずっとましだ。しかし、クラリスが舌を噛もうとしたその瞬間、二人の間に控えめに割って入ったのはブランドン・クーパーだった。

「陛下。仮にも王妃となられるお方です。このような場所ではいささかお気の毒かと。ここはひとつ場を改めて、王妃様にもお仕度をしていただいたほうがよろしいでしょう。何しろ木の葉の中に身を潜めてここにいらしたのですから」

 肩で息をしていたグレッグは、自分が押さえていた銀髪に砕けた木の葉が絡んでいるのを見て、ぞっとしたように手を離した。取り出したハンカチでその手を拭う。

「……全く、女とは忌々しいものだ。ブランドン、さっさと用意をしろ」
「陛下。王妃様との初夜がこのような、異国の邸というのは情緒のないことでございますよ。お国に戻られてから段階を踏んでいかれるほうが、教会の心象もいいというもの」
「だが……いや、そうか。お前がそう言うなら、少し考えてみよう」
「有難いことでございます。どうやら、お待ちかねの客人がおみえのようですね。ささ、陛下。お急ぎになってくださいませ」

 用心棒から何かを耳打ちされたブランドンがそう言うと、満更でもなさそうにグレッグは頷いた。
 グレッグが急に機嫌を上向かせたのは、ブランドンのおもねりによる「陛下」との呼びかけのせいか、それとも待ちかねていたという客のせいだろうか。おそらくどちらも正解だ。このわずかな時間で、クラリスは叔父の焼けつくような激しい権力欲を感じ取っていた。
 我が身に起こったことが現実のものと思えず、ぼんやりとしていたクラリスの腕をグレッグが掴んで引き上げた。

「立て。お前も一緒に行くんだ」

 どこに連れていかれるのだろう。まさか、身支度をして「初夜」を迎えさせようとでもいうのだろうか。
 クラリスが示した微かな抵抗は、強引なグレッグの手によって封じられた。ノエルが何か叫んでいるが、叔父は見向きもしない。彼が何もできないことをよく知っているからだ。

 クラリスの手首を掴んだまま地下牢を出ようとしたグレッグは、隅で石壁の苔を削ぎ落していたウィンシャム公に気づいた。

「公には部屋にお戻りいただくように」

 ブランドンの目配せで、屈強な用心棒が二人ウィンシャム公の二の腕を掴んで立たせている。また暴れるかと思われたが、促されるままあっさりと歩きはじめた。視線は定まらず、手に握りしめた苔をむしゃむしゃと食べてはいるが。

「今のシエルハーンには外貨を稼ぐだけの力がない。このままでは国は先細りだ。ではどうすべきか。戦で領土を広げるか、交易を盛んにして外貨を稼ぎ、新たな産業を作り出すかだ」

 暗い廊下に足音が響く。先頭をグレッグが、そのすぐ後をクラリスが続き、最後にブランドンと用心棒たちが歩いている。どこへ向かっているのか分からないまま歩くクラリスは、叔父の言葉に混乱していた。

 グレッグの言葉はあながち間違いとは言い切れない。むしろ後半などはクラリスが兄と共に考えていたことと同じだ。
 どうして。クラリスは唇を噛み、叔父の後ろ姿を涙の浮かんだ瞳で見つめた。父と協力して国を治めてくれさえしたら。こんなことにはならなかったのに。

 クーデターは失敗に終わり、反国王派だったはずの軍の幹部は次々と裏切りに転じた。国民からの支持も得ることはできず、たった一人で異国に逃れるしかなかった。

 護るべき国民もない、空虚な玉座。それを手放さないよう必死に握りしめる孤独な王。それがグレッグだった。
 こんなことになる前に、どうにかできなかったのだろうか。その悔いがクラリスの胸を苛んだ。きっと自分にもできることはあったはずだ。こんな、こんな風に……全員が不幸になる前に。

「だが、外貨を稼ごうにも国庫には金が乏しくてな。私は今回初めて王国の財政状況を知ったよ。想像以上に悪かった。こんなことでは軍隊の装備を整えることもままならないだろう。金がないというのは本当に惨めなことだ。だが安心しろクラリス。私は強力な支援者を手に入れた。これで我が国は安泰だ」

 クラリスを背に、グレッグは機嫌よく話し続けている。階段をのぼると廊下は明るくなり、壁は濡れた石から板張りに変わった。公爵家の地下牢から出たことは分かるが、まだ客をもてなせるような場所ではない。

「その支援者は恐ろしいほどの大金持ちで、ちょうどいいことに軍事産業にも一枚かんでいるんだ。これで兵器を安価に入手できるぞ。それどころか、どれほど大きな事業を立ち上げようと無条件で資金援助してくれる。いいか、無条件だぞ!? 気前のいいことだろう」

 クラリスの胸が激しく脈打った。嫌な予感がする。クラリスは叔父の上着を後ろから掴んだ。

「なんだ? ……ああ。確かに交渉は必要だ。何と言っても莫大な額の援助をしてもらうのだからな。だが私は楽観しているよ。……クラリス、お前が私の側にいる限り」

 楽しそうに目を細めたグレッグは、ある扉の前で足をとめた。ブランドンに目で合図をして扉を開かせる。

「さあ、彼こそがかの有名なハリントン男爵アレクシス・ジョナサン・ハーヴェイだ。噂どおりのいい男だろう? ハリントン男爵、これはシエルハーン王国のクラリス・ウィニフレッド・シエルハーン王女だ。私の姪で、もうすぐ……私の妻になる」

 そこには、粗末な木の椅子に縛り付けられたアレクシスがいた。

しおりを挟む
感想 14

あなたにおすすめの小説

お姉さまが家を出て行き、婚約者を譲られました

さこの
恋愛
姉は優しく美しい。姉の名前はアリシア私の名前はフェリシア 姉の婚約者は第三王子 お茶会をすると一緒に来てと言われる アリシアは何かとフェリシアと第三王子を二人にしたがる ある日姉が父に言った。 アリシアでもフェリシアでも婚約者がクリスタル伯爵家の娘ならどちらでも良いですよね? バカな事を言うなと怒る父、次の日に姉が家を、出た

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

人質姫と忘れんぼ王子

雪野 結莉
恋愛
何故か、同じ親から生まれた姉妹のはずなのに、第二王女の私は冷遇され、第一王女のお姉様ばかりが可愛がられる。 やりたいことすらやらせてもらえず、諦めた人生を送っていたが、戦争に負けてお金の為に私は売られることとなった。 お姉様は悠々と今まで通りの生活を送るのに…。 初めて投稿します。 書きたいシーンがあり、そのために書き始めました。 初めての投稿のため、何度も改稿するかもしれませんが、どうぞよろしくお願いします。 小説家になろう様にも掲載しております。 読んでくださった方が、表紙を作ってくださいました。 新○文庫風に作ったそうです。 気に入っています(╹◡╹)

取り巻き令嬢Aは覚醒いたしましたので

モンドール
恋愛
揶揄うような微笑みで少女を見つめる貴公子。それに向き合うのは、可憐さの中に少々気の強さを秘めた美少女。 貴公子の周りに集う取り巻きの令嬢たち。 ──まるでロマンス小説のワンシーンのようだわ。 ……え、もしかして、わたくしはかませ犬にもなれない取り巻き!? 公爵令嬢アリシアは、初恋の人の取り巻きA卒業を決意した。 (『小説家になろう』にも同一名義で投稿しています。)

踏み台令嬢はへこたれない

IchikoMiyagi
恋愛
「婚約破棄してくれ!」  公爵令嬢のメルティアーラは婚約者からの何度目かの申し出を受けていたーー。  春、学院に入学しいつしかついたあだ名は踏み台令嬢。……幸せを運んでいますのに、その名付けはあんまりでは……。  そう思いつつも学院生活を満喫していたら、噂を聞きつけた第三王子がチラチラこっちを見ている。しかもうっかり婚約者になってしまったわ……?!?  これは無自覚に他人の踏み台になって引っ張り上げる主人公が、たまにしょげては踏ん張りながらやっぱり周りを幸せにしたりやっと自分も幸せになったりするかもしれない物語。 「わたくし、甘い砂を吐くのには慣れておりますの」  ーー踏み台令嬢は今日も誰かを幸せにする。  なろうでも投稿しています。

傲慢令嬢は、猫かぶりをやめてみた。お好きなように呼んでくださいませ。愛しいひとが私のことをわかってくださるなら、それで十分ですもの。

石河 翠
恋愛
高飛車で傲慢な令嬢として有名だった侯爵令嬢のダイアナは、婚約者から婚約を破棄される直前、階段から落ちて頭を打ち、記憶喪失になった上、体が不自由になってしまう。 そのまま修道院に身を寄せることになったダイアナだが、彼女はその暮らしを嬉々として受け入れる。妾の子であり、貴族暮らしに馴染めなかったダイアナには、修道院での暮らしこそ理想だったのだ。 新しい婚約者とうまくいかない元婚約者がダイアナに接触してくるが、彼女は突き放す。身勝手な言い分の元婚約者に対し、彼女は怒りを露にし……。 初恋のひとのために貴族教育を頑張っていたヒロインと、健気なヒロインを見守ってきたヒーローの恋物語。 ハッピーエンドです。 この作品は、別サイトにも投稿しております。 表紙絵は写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

【短編】指輪の乙女は金貨の騎士に守られる 〜ゴミ収集ホームレスからの成り上がり〜

みねバイヤーン
恋愛
「お金みつけた。これで今日は温かいごはんが食べられる」孤児院育ちのウテは十五歳になったので、孤児院を出た。今はホームレスだ。ゴミ収集の仕事をしている。ごはんはゴミの中の残飯だ。あるときウテは金貨をくれる男に出会った。ある建物を見張れば金貨をくれるというのだ。おいしいごはんを食べるため、ウテは張り切って見張りをするが……。

婚約者様は大変お素敵でございます

ましろ
恋愛
私シェリーが婚約したのは16の頃。相手はまだ13歳のベンジャミン様。当時の彼は、声変わりすらしていない天使の様に美しく可愛らしい少年だった。 あれから2年。天使様は素敵な男性へと成長した。彼が18歳になり学園を卒業したら結婚する。 それまで、侯爵家で花嫁修業としてお父上であるカーティス様から仕事を学びながら、嫁ぐ日を指折り数えて待っていた── 設定はゆるゆるご都合主義です。

処理中です...