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第二章

責任感と庇護欲

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 ついさっきまで情けなく従兄に縋っていたドミニクは、ジュリアナの前でだけはキリッとしている。あの甘ったれた口調もどこかへ捨て去り、顔つきまで公爵家の嫡子そのものだ。いつもこうやってしゃんとしていれば思いが通じる可能性が多少なりと――数%だけでも――あるのかもしれないが、ジュリアナは彼の情けない部分を全て知っているため現状はゼロどころかマイナスに近い。
 
 アレクシスは呆れながらも、誰かを恋うる想いは自由だとその振る舞いに目をつぶっている。しかし、そう寛大になれないのが家令のバリー・ダンカンだ。ドミニクを主家の令嬢に言い寄る悪しき存在と位置づけ、彼の浅はかで衝動的な行いを若干の脚色を加えてさりげなく「お嬢様」へ伝えている。そんなことを知る由もないドミニクは、大人ぶった口調でジュリアナが連れてきた二人に話しかけた。

「ジュリアナから世話をしてもらっているの? よかったね、彼女はとっても優しいから安心していいよ」

 ジュリアナの話す内容から何か事情があることを察したドミニクだが、クーパー商会の地下で眠り続けていた彼は、この二人が自分と一緒に売られかけた被害者だということに気づいていない。それはクラリスたちも同じで、一見して貴族だと分かるドミニクが、まさか腰布一枚で台車に乗せられていた男だとは夢にも思っていなかった。

「ドミニク様は、この二人とお会いになったことがおありだとか」

 それまで黙っていたダンカンが口を開いた。

「まあ、そうなの?」
「……いや、僕には覚えがないんだが」
「確か昨夜、クーパー商会の地下で同じ部屋においでだったかと……はて、私の勘違いでしょうか」

 クーパー商会の地下と聞き、三人は互いの顔を見合わせた。青ざめるドミニクとは違い、クラリスとヴィクターの顔に理解の色が浮かぶ。
 片眼鏡を光らせ、無表情でほくそ笑むダンカンが追撃する前に、アレクシスは厳しい声で割って入った。

「バリー。家内でも口にしていいことではないぞ」
「これは失礼いたしました。……やはり私の記憶違いのようですね。耄碌はしたくないものでございます。どうか年寄りの戯言とお聞き流しくださいませ」

 しれっと応じる家令と、挙動不審なドミニク。そしてそれを不思議そうに見ている妹を余所に、アレクシスは顎に手を当てて考えを巡らせた。

 汚れを洗い落とした二人は、使用人から借りた洋服を纏ってなお眩いほどだ。ダンカンに命じた調査は継続するとしても、アレクシスにはもはや報告が不要なほど確信していた。

 ――間違いない。見事なプラチナブロンドに鮮やかな紫の瞳。この二人はシエルハーン王家の人間だ。となると、少年というには線が細く喉仏も見えない兄のほうは王女クラリスで、弟は……そう、確かヴィクター王子という名だった。

 初代ジョナサン・ハーヴェイの時からずっと、ハリントン男爵家に教え継がれてきたことの一つに情報の重要性がある。
 世界各国からアレクシスの元に集まる膨大な情報。それがどんなに些細なことであっても、たとえ国交のない国のことだろうが必ず記憶し、分析し、分類すること。それをしていたからこそ、初代ジョナサンは絶体絶命の危機に国を救うことができたのだ。
 
 きっちりと索引つきで収められた記憶の収納庫データベースから、アレクシスはシエルハーン王家の項を引き出した。情報量が最も多いのは王太子ルークだ。英明な人物で、ルフトグランデ王国への留学を打診したと聞いている。年齢はジュリアナと同じ二十歳。王女クラリスについては、王太子ほど詳しい情報は伝わっていないものの、年齢は確か十八だったはずだ。

 十六歳だとの申告は、性別を偽っているためのものだろう。本当の年を言ってしまえば、どう誤魔化そうが男でないことはすぐにばれてしまう。十六でもぎりぎりというところなのだ。幸か不幸か声が出せないことで、第二次性徴を迎える直前の少年を辛うじて装っている。

 今、王女クラリスはウィンズロウ・ハウスの応接室で弟王子の手を握り、ジュリアナとドミニクの会話をおとなしく聞いている。アレクシスは肩までしかない彼女の髪を痛ましい思いで眺めた。
 光の輪を描くプラチナブロンドは、母国ではきっと伸ばしていただろう。周囲の目を惹くほど美しいそれは、亡命の最中に切り落としたのではないだろうか。女の身で国境を超え、身の危険を感じた結果、手持ちのナイフか何かで無理やりに――。

 と、赤い顔をしたドミニクがジュリアナに何か言った。その言葉なのか必死な様子を見てなのか、クラリスがクスッと小さく笑う。そして同意を求めるように弟の目を覗き込み、唇を動かした。音を介さない会話だった。

 突然胸がグッと詰まる感覚に襲われ、アレクシスは顎を撫でていた手をとめた。
 家長として妹を護ると決めた時に感じた、責任感と庇護欲に似た感情だ。

 ばかな。アレクシスは自分を戒めた。
 ハリントン男爵家の当主として、ただでさえ大きすぎるほどの責任を背負っているのだ。このうえ異国の王族に対する責任まで抱え込めると思うほど、自分の能力にうぬぼれるつもりはない。

 やはり早々にこの二人の行く先を決めてしまおう。改めてそう決めたアレクシスだったが、妹が納得する理由をつける必要があることにも気づいていた。

 ――生半可な理由では駄目だ。いっそのこと、二人の正体を明かしてしまおうか。

 シエルハーンでは未だ国主の宣誓がなされていない。つまり、まだクーデターの首謀者である王弟は王位に就いていないということだ。
 空位となった玉座をめぐり、血で血を洗う争いが待っている。王位継承権保持者の命を狙って刺客が差し向けられる可能性は非常に高い。

 ――妹の安全を護るためだと告げ、さらに二人にも十分な護衛をつけると説明すればどうだろう。

 ジュリアナは口が堅く秘密を護れる人間だ。そして心が温かく意志が強い。この世話好きで頑固で口うるさい妹がそんな理由で納得するかと考えた時、アレクシスは余りに素早く結論に思い至った。

 妹は決して納得しないだろう。それどころか俺を心の底から軽蔑して、自分の裁量で二人を護ろうとするに違いない。
 

 
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