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春秋花壇

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小説

廓(くるわ)

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廓(くるわ)。かつての花街の記憶は、今では消え去ろうとしていた。色街と呼ばれる場所での営みも、人々の欲望も、すべてが風化しつつある。けれども、その風景は未だに一部の人々の心の中に残り、懐かしさを帯びている。私もその一人だった。

私は生まれてこのかた、廓に生きた。祖母も母も、この廓で生涯を送った。そして、私もまたその道を歩みつつあった。かつての廓の華やかさは、今とは違っていたという。しかし、私が生まれ育った頃には既にその輝きは色褪せ、薄暗い影が覆っていた。

街灯がほのかに照らす夕暮れ時、私は廓の入り口に立っていた。通りの両側には、古びた建物が並び、赤い提灯がかすかに揺れている。その提灯の光が、かつての繁栄を思い起こさせるかのように、揺らめいていた。祖母が語っていた、花街の華やかさが目に浮かぶようだった。

「この廓は、まるで夢のような場所だったんだよ」

祖母はよくそう言っていた。彼女はその頃、若かった。艶やかな着物をまとい、男たちの視線を一身に浴びるほど美しかったという。そんな祖母の話を聞くたびに、私は自分もあの時代に生きていたらと思うことがあった。だが、私が知る廓はもう輝きを失っている。

今は観光地として廓が存在するが、かつてのように色街としての活気はなく、古びた建物だけが残されていた。それでも、たまに観光客が訪れ、過去の名残を感じ取ろうとする人々がいた。

「いらっしゃいませ」

私は、店先に立ち、今日も観光客を迎える。今の廓は、茶屋や土産物屋として機能している。観光客に昔の話を伝え、廓の歴史を感じてもらうのが私の仕事だ。華やかな装いをするわけではなく、ただ語り手としてこの場所を守る役割を担っている。

今日も、一組の観光客が店にやってきた。カップルのようだ。二人は笑顔で歩き、廓の風情に魅了された様子で私に話しかけた。

「ここが昔、花街だったんですか?」

「ええ、そうです。この通りがすべて廓だったんですよ。ここで働く女性たちが、色とりどりの着物をまとって歩き、男たちはその姿に見惚れていたそうです」

私は祖母から聞いた話を繰り返す。二人は興味深そうに頷き、廓の歴史に思いを馳せているようだった。

「今では、もう廓の役割は終わってしまいましたが、この場所にはまだその名残が残っています」

「そうなんですね。なんだか不思議な感じです。昔の人たちはどんな思いでここを歩いていたんでしょうね」

二人はそんな会話をしながら、店を後にした。私は静かに見送る。彼らが去った後、再び静寂が戻った。廓の通りは、風が吹き抜ける音だけが響く。提灯の光が揺れ、かすかな明かりを落とす。

私は一人、通りを歩き始めた。祖母が言っていた通り、この場所は夢のようだったのかもしれない。今ではその夢が覚めつつあるが、私はまだその記憶にしがみついていた。廓の記憶を語り継ぐことで、私は祖母や母の生きた証を残しているのだろう。

ふと足を止めると、通りの向こうに誰かが立っているのが見えた。薄暗い夕暮れの中、その姿はぼんやりとしていたが、まるでかつての廓の華やかな一幕が蘇るかのようだった。艶やかな着物を着た女性が、静かに立っている。

「おばあちゃん…?」

私は思わずその姿に声をかけた。しかし、風が吹き抜けた瞬間、その姿は消えてしまった。幻だったのかもしれない。それでも、その瞬間、私は廓の華やかさをほんの少しだけ感じた気がした。

私は再び歩き出す。廓はもう過去のものだ。けれども、その記憶を抱えながら、私は今日もこの場所に立ち続ける。廓の歴史と共に生き、そしてそれを語り継ぐことで、かつての夢を少しでも長く、この場所に留めておくのだ。

廓の記憶は、いつか完全に消えてしまうかもしれない。けれども、私がここにいる限り、その記憶は少しでも長くこの場所に留まり続けるだろう。









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