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春秋花壇

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第四章 室町時代

足利義政

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足利義政(1436-1490)は、室町時代中期から戦国時代初期にかけての室町幕府第8代征夷大将軍(在職:1449~1474年)。


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足利義政
将軍足利義教の6男。母は日野重子。幼名は三寅。兄の将軍義勝が早世したため、14歳で将軍職を継ぐ。

義政は将軍として、管領畠山持国・細川勝元らの補佐を受けながら、幕府の権威回復を目指した。しかし、守護大名間の抗争が激化し、1467年には応仁の乱が勃発する。義政は戦乱の終結に努めたが、1473年には東山に山荘「東山殿」を造営し、政治から退いた。

将軍職を嫡男の義尚に譲った後も、義政は東山殿で文化活動を保護し、東山文化と呼ばれる華やかな文化を花開かせた。

義政は、和歌、書道、絵画など、様々な芸術に通じ、自らも優れた作品を残している。また、茶道や華道の発展にも貢献した。

将軍としての業績は必ずしも良いものばかりではないが、文化面での功績は高く評価されている。


***

足利義政(あしかが よしまさ)は、室町時代の日本の武将・政治家であり、室町幕府第8代将軍です。享徳の乱を経て将軍に就任し、その治世は応仁の乱と呼ばれる内乱によって特徴付けられます。

義政は当初、応永の乱において幕府の権威を回復することに成功しました。その後、幕政の安定を図るために、室町幕府の軍事力の再建や経済の安定化に努めました。彼の治世中には、文化の振興や禅宗の保護も行われました。

しかし、応仁の乱が勃発すると、幕府内部の対立が表面化し、日本中が戦乱の渦に巻き込まれました。義政は応仁の乱の間、幕府の崩壊を防ぐために奔走しましたが、その努力も実を結ばず、彼の死後も幕府は再び内乱に見舞われることとなります。

足利義政は、室町時代における幕府の動揺期に生き、政治の安定化と文化の振興を目指した武将であり政治家でしたが、その治世は内乱の混乱によってその業績が相対的に掩蔽されることとなりました。



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