季節の織り糸

春秋花壇

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春隣(はるとなり)1月30日

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春隣(はるとなり)

冬の寒さがまだ身に染みるが、どこかに春の兆しが潜んでいる。雪の中に芽吹く草の緑、わずかに膨らむ蕾、ほんのりと柔らかくなった空気の温もり。そんな季節の移り変わりを感じる物語を紡いでみる。

春隣る
笹子(ささこ)は、雪の残る庭に立っていた。

彼女の住むこの町は、冬の厳しさが長く続く。夜には寒月が冴え渡り、朝には雪掻きをしなければ玄関すら開けられない。長年の習慣で、朝の冷え込みに耐えながら外に出ることも、雪を払うことも当たり前のことだった。

しかし、今朝は違った。

――少し、空気がやわらかい。

ふと見上げると、空は昨日よりも明るく、雲の切れ間から柔らかな光が差し込んでいる。

笹子は手袋を外し、雪の表面にそっと手を置いた。氷のように冷たかった雪が、どこかしっとりとしている。かすかに溶け始めているのだ。

「春、隣ってるなあ……」

ふと、祖母がよく言っていた言葉を思い出した。冬の終わりが近づくと、そう呟いていた。

「春隣り、春隣り……」

その響きが、なんだか好きだった。

雪解けと鴨
昼近くになり、笹子は川のほとりに足を運んだ。

この時期の川は、氷がまだ残る。けれど、雪解け水が流れ込み、水面が少しずつ広がり始めている。

そこへ、一羽の鴨がすべるように泳いでいた。

「もうすぐ帰るのかな」

この川には毎年、冬の間だけ鴨がやってくる。寒さが厳しくなるころに姿を見せ、春の兆しとともに旅立つ。彼らの動きは、まるで春の予感を知らせる合図のようだった。

笹子はそっと水面に指をつけた。ひやりとした冷たさの奥に、ほんの少しだけ柔らかな温度を感じる。

「春隣り、か」

彼女は小さく笑いながら、遠ざかる鴨を見送った。

蒲団のぬくもり
夜になり、布団に潜り込むと、今日一日の寒さがじんわりと身体に染み込んでいたことに気づく。

昼間は春の気配を感じても、夜の冷え込みはまだ厳しい。布団のぬくもりに包まれると、自然とまぶたが重くなる。

「春が来るのは、もうすぐだね」

ぼんやりと思いながら、笹子は目を閉じた。

雪焼けの頬
翌朝、笹子はふと鏡を見て驚いた。頬がわずかに赤くなっている。

「雪焼け……?」

昨日、雪の照り返しを浴びながら歩いたせいだろう。冬の日差しは冷たいのに、雪に反射して意外と肌を焼くのだ。

春が近づくと、空の色が変わり、日差しが強くなる。まだ冬の寒さは残っていても、その変化は確実に訪れているのだ。

「日脚、伸びたな」

ふと、そう呟く。

祖母は春が近づくたび、「日脚が伸びてきたね」と言っていた。冬はあっという間に日が暮れるが、春が近づくと、少しずつ昼の時間が長くなる。その変化を見逃さずに感じ取ることが、祖母にとっての季節の楽しみだった。

笹子もまた、それを感じられるようになった。

黄水仙の蕾
庭に出ると、雪の下から水仙の芽が顔を出していた。

黄色い水仙は、春を知らせる花だ。毎年、雪が解けるころになると、彼女の家の庭で最初に咲く。

「今年も、そろそろだね」

指先でそっと蕾をなでると、春の気配が指先に伝わるようだった。

野沢菜の緑
市場に出ると、野沢菜が山積みになっていた。

冬の間、雪の下で甘みを増した野沢菜は、この時期になると特に美味しくなる。青々とした葉が、春の訪れを予感させる。

「春隣り、だねえ」

八百屋の店主が笑いながら言う。

「寒造りの酒も、そろそろいい頃合いだよ」

笹子は、温かいお茶を飲みながら、春が確実に近づいていることを実感した。

春、すぐそこに
春はまだ遠いようで、実はすぐ隣にいる。

雪の中から顔を出す水仙、川を滑る鴨、雪焼けの頬、伸びる日脚、そして市場の野菜たち――。

それらすべてが、「春隣り」の証だった。

笹子はふと、亡き祖母の言葉を思い出す。

「春隣り、春隣り。気づいたら、もう春が来ているものよ」

そう言いながら、祖母は冬の終わりを待ちわびていた。

笹子もまた、春が来るのを楽しみにしながら、今日も雪の道を歩いていく。

春隣り――春は、もうすぐそこに。

(了)


1月30日

春 隣

笹 子





寒 月

蒲 團

雪 掻

水 仙

黄水仙

雪 焼

寒 造

日脚伸ぶ

丑 紅

野沢菜
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