季節の織り糸

雉も鳴かずば撃たれまい - 季節の織り糸

雉も鳴かずば撃たれまい - 季節の織り糸

秋が深まり、山々は紅葉に染まっていた。乾いた空気が肌を撫で、木々の葉が風に揺れる音が、遠くまでよく聞こえる。私は、山道を一人歩いていた。目的はバードウォッチングだったが、本当は、一人になりたかった。

数週間前、私は彼、翔太と別れた。私たちの関係は、夏の終わり頃からぎくしゃくし始めていた。些細なことで言い争うことが増え、互いの気持ちがすれ違っていくのを感じていた。翔太は、いつも何かを隠しているようだった。問い詰めても、彼は何も言わない。そして、秋が深まる頃、彼は私に別れを告げた。理由は、曖昧な言葉で濁された。

「君とは、合わないんだと思う。」

彼の言葉は、秋の冷たい風のように、私の心を吹き抜けた。

山道を歩いていると、時折、雉の鳴き声が聞こえてきた。「ケーン、ケーン」という、甲高い声。私は、その声がどこか悲しげに聞こえた。雉は、目立つ美しい羽を持っているがゆえに、猟師に狙われる。「雉も鳴かずば撃たれまい」という諺があるように、目立たなければ危険を避けることができる。私は、その諺を思い出し、自分自身と重ね合わせた。もし、私が翔太に深く関わらなければ、こんなに傷つくことはなかったのだろうか。

ふと、足元に目をやると、落ち葉の上に、一羽の雉の羽が落ちているのを見つけた。鮮やかな緑と茶色の縞模様の羽。私はそれを拾い上げ、じっと見つめた。その羽は、翔太との思い出を象徴しているようだった。出会った頃の、輝いていた時間。互いに惹かれ合い、未来を語り合った時間。それらは全て、今では過去のものとなってしまった。

「綺麗な羽ですね。」

不意に声をかけられ、顔を上げると、若い男性が立っていた。彼は、優しそうな笑顔で、私を見ていた。

「ええ、雉の羽です。」

私は、少し戸惑いながらも、そう答えた。

「バードウォッチングですか？」

彼はそう言いながら、私の持っている双眼鏡に目をやった。

「まあ、そんなところです。」

私は、曖昧に答えた。本当は、バードウォッチングというよりも、一人になりたかっただけだった。

「僕も、鳥が好きなんです。特に、この辺りは雉が多いんですよ。」

彼はそう言って、周囲の景色を見渡した。彼の目は、遠くの山々を見つめ、どこか懐かしさを帯びていた。

その後、彼と少し話をした。彼は、この近くの村で育ったらしい。名前は、健太といった。私たちは、鳥のこと、自然のこと、そしてそれぞれの故郷について、他愛のない話をした。健太と話しているうちに、私の心は少しずつ軽くなっていくのを感じた。彼と出会うまでは、翔太とのことを考えてばかりいた。でも、健太と話しているうちに、過去のことは過去として受け止め、未来に向かって歩き出さなければならない、と思うようになった。

別れ際、健太は私に微笑みながら言った。

「また、どこかで見かけたら、声をかけてください。」

私は、少し照れながら、

「はい、そうですね。」

と答えた。

数日後、私は再び同じ山道を歩いていた。あの時と同じように、雉の鳴き声が聞こえてきた。そして、同じ場所に、健太が立っていた。

「こんにちは。」

私が声をかけると、彼は笑顔で振り返った。

私たちは、また他愛のない話をした。季節は移り変わり、紅葉はピークを過ぎ、木々の葉は少しずつ落ち始めていた。健太と話しているうちに、私は彼に惹かれていることに気づいた。彼の優しさ、誠実さ、そして、何よりも、私の過去を受け止めてくれるような、温かい眼差しに。

冬が近づき、木枯らしが吹き荒れる頃、私たちは恋人同士になった。枯れ葉を踏みしめながら、手をつないで歩く。冷たい風が吹く中でも、互いの温もりを感じることができた。

春が訪れ、山々に新緑が芽吹き始める頃、健太は私に告白してくれた。

「僕は、あなたのことが好きです。」

私は、彼の言葉に、素直に頷いた。

「私も、あなたのことが好きです。」

私たちは、新緑の下でキスをした。暖かい日差しが、私たちを優しく包み込んだ。

あの秋、雉の羽を見つけた時、私は深く傷ついていた。でも、健太との出会いは、私に新しい光を与えてくれた。もし、私が山に行かなければ、健太と出会うことはなかったかもしれない。そう考えると、「雉も鳴かずば撃たれまい」という諺も、必ずしも全ての場合に当てはまるわけではないのかもしれない。時には、自ら行動することで、新しい出会いや、新しい幸せを掴むことができるのかもしれない。

季節は巡り、様々な出来事を織り込み、人の心を繋いでいく。私たちの心もまた、季節の織り糸のように繋がり、新しい物語を紡ぎ始めている。健太と共に。