季節の織り糸

泣初 1月6日

「泣初」

一月六日、朝、冷たい空気がまだ暗い町に満ちていた。松の内が終わりを告げ、街は日常を取り戻しつつある。通りを歩けば、門松は片付けられ、輪飾りだけが名残惜しそうに風に揺れている。それでも、初詣の参拝客は絶えず、境内の賑わいはまだ続いていた。周囲の商店街では、威勢の良い掛け声が響き渡り、初市が開かれていた。人々は新しい年の幸運を願い、福袋を手に笑顔で歩いている。

そんな中、桐島彩乃は一人、静かな足取りで通りを歩いていた。道の端に寄せられた雪が、朝日を受けて鈍く光っている。昨夜見た初夢が、妙に心に残っていた。夢の中で、彩乃は子供の頃によく母と散歩した裏山にいた。夕焼けに染まった空の下、一人で小道を歩いていると、背後から優しい声が聞こえた。「彩乃…」振り返った先に、誰もいなかった。夕焼け空が広がるばかり。その瞬間、理由もわからず、熱いものがこみ上げてきた。あの時、いつも隣にいた母の温もりを、夢の中でだけ感じた気がした。

初夢が心に残ると共に、その夢が何を意味しているのか分からずに、胸にひとしおの違和感を抱えていた。彩乃は今年こそ自分自身を変えようと決意していた。しかし、街の人々の笑顔や楽しそうな会話が、まるで遠い世界の出来事のように感じられた。自分だけが取り残されているような、そんな孤独感が彩乃を包み込んだ。振り返ると、何度も涙をこぼした過去の出来事が、走馬灯のように蘇ってきた。

中でも、一番深く彩乃の心を締め付けているのは、十七歳の時に経験した母親との別れだった。突然の病に倒れ、短い闘病生活の末、母は彩乃の前から姿を消した。子供だった彩乃は、母親の死を受け入れることができず、ただ涙を流し続けた。それは、心の奥底にぽっかりと空いた穴を埋めるための、無力な抵抗のように感じられた。

その後、彩乃は一人で生きることを余儀なくされた。母のいない空白を埋めるように、必死に周囲に馴染もうとし、自分の居場所を探し求めた。しかし、心の奥底の空虚感は、いつまでも消えることはなかった。新年を迎えても、その空白が埋まることはないのだろうか。彩乃はいつもそう思っていた。

「初詣の後に、いつも少しだけ心が重くなるんだ。」彩乃は独りごちた。これからの一年が、また過去の影を引きずって過ごす一年になるのだろうか。それとも、今度こそ新しい光を見つけることができるのだろうか。

その時、彩乃の目に、街の隅にある古びた書店が飛び込んできた。母とよく一緒に来ていた、懐かしい場所だ。扉を開けると、インクと古い紙の匂いが混ざった、独特の香りが鼻を突いた。何かに導かれるように、彩乃は奥の棚へと足を進めた。棚には、背表紙の色褪せた古書が並んでいる。無意識に手を伸ばしたのは、一冊の小さなノートのような本だった。表紙には、シンプルな文字で「泣くことについて」と書かれていた。

その本を手に取ると、奥から店主が出てきた。「その本はね、泣くことの意味を教えてくれる本なんですよ。」店主は穏やかな口調で語りかけた。「昔から、涙は心を洗うと言いますでしょう？悲しみだけでなく、喜びや感動も、心が大きく動いた時に人は涙を流す。それは、感情の澱を洗い流し、心を新たにする力を持っているんです。時には、言葉にできない感情を表現する唯一の手段でもある。大切な人を失った悲しみは、簡単に癒えるものではありません。でも、泣くことを通して、少しずつその悲しみを受け入れ、前に進むことができるのです。」

その言葉に、彩乃は胸の奥が熱くなるのを感じた。今まで、泣くことは弱さの表れだと思っていた。悲しみを押し殺し、強く生きなければならないと思っていた。しかし、店主の言葉は、彩乃の心に優しく語りかけ、凝り固まった心を解きほぐしていくようだった。

彩乃は本を抱きしめ、店を後にした。外に出ると、空は朝よりも少し明るくなっていた。泣くこと、それは心の整理。過去の悲しみや辛さを包み込み、受け入れ、そして前に進むために必要な行為なのだと、ようやく気づいた。

その夜、彩乃は一人、静かに泣いた。とめどなく溢れる涙は、過去の悲しみを洗い流していくようだった。泣きながらも、どこか心が軽くなったように感じた。新しい年を迎えても、まだ完全に前を向けない自分がいる。それでも、この涙を通して、少しずつでも歩みを進めることができるという、小さな希望の光が見えてきた。

「これからは、自分を大切にして生きていこう。」彩乃は心の中で静かに誓った。夜空を見上げると、冷たい空気の中に、かすかな春の兆しを感じた。新しい年が、自分にとって、そして大切な人たちにとって、希望に満ちた一年になりますように。そう願いながら、彩乃はゆっくりと歩き出した。


1月6日

松の内

双　六

輪　飾

初　市

四方の春

初　詣

出　初

初　夢

初芝居

年賀状

初　星

淑　気

初句会

注連飾

初　旅

泣　初