季節の織り糸

寒い朝

『寒い朝』

東京の冬の朝、気温は3℃。外に出ると、空気が凍るような冷たさに包まれ、湿度は43％と感じる以上に冷たい風が肌に突き刺さった。都会の喧騒が薄れて、静寂が街を覆っている。人々は急いで歩き、息が白くなるのを見ながら、どこか冷たさを忘れようとしているようだった。

街の一角、古びたカフェの前に立つ女性の姿があった。彼女の名前は美咲。大学を卒業してから数年、今は都内の小さな出版社で働いている。朝早くから出勤するのが日課となっていた。最近は、忙しさに追われる日々が続いていて、特に寒さがひどくなると、仕事の重さがより身にしみるように感じていた。

カフェのドアを開けると、温かい空気とコーヒーの香りが流れ込んできた。美咲は一瞬、ほっとした顔を見せながら、レジでコーヒーを注文した。手が冷たくて、指先が痛くなるほどだ。温かいカップを手に取り、少しだけ息をついて席に向かう。窓際の席に座ると、外の景色が目に入った。灰色の空に、わずかに残る街灯がぼんやりと輝いている。朝の澄んだ空気の中で、少しずつ人々が動き出すのが見える。

「寒い…」

美咲は心の中で呟くと、カップを両手で包んだ。その温かさがじんわりと指先を温め、少しだけ体が楽になった。外の冷気がいまだに肌に刺さるように感じるが、それでもここにいるだけで、少しは温かさを感じられるのだ。

そして、コーヒーを一口含んだとき、ふと頭に浮かんだのは数年前の冬のことだった。その年の冬も、こうして寒い朝に目を覚まし、冷え切った体を温めながら仕事に向かった。あの頃は、まだ恋人がいた。彼との朝のひとときが、何気ない幸せだった。お互い、忙しい日々の中で会う時間も少なかったけれど、朝一緒に過ごすその瞬間が何よりも大切だった。

「今、どうしているんだろう…」

美咲はそう考えながら、カップを見つめる。恋人との別れが、彼女にとっては思い出として心に残っていた。しかし、その思い出が今も時折、無意識に胸を締めつけることがある。別れた理由はもう思い出せないほど、月日が流れていた。それでも、あの冬の朝の温もりだけは、どうしても忘れられなかった。

「もう、振り返る必要なんてないのに…」

美咲は軽く頭を振った。今は、過去を背負いながらも前に進まなければならない。それがわかっているからこそ、毎朝、こうしてひとりで起き、仕事に向かうのだ。

突然、携帯電話のバイブレーションが響いた。美咲はその音に気づき、バッグの中から携帯を取り出す。画面には、上司からのメッセージが表示されていた。

「今日の会議、少し早めに始めるので、10分前には来てください。」

美咲はそのメッセージを読み、すぐに返事を打った。

「了解しました。」

そして、再びコーヒーを飲んだ。カップを軽く持ち上げると、今度はその温かさに心地よさを感じ、少しだけ笑みを浮かべる。外の冷たい風と、自分の内側の温もり。それが、まるで対照的に感じられた。

美咲は、カフェを出て、また冷たい風に向かって歩き出す。寒さが襲ってきても、しっかりと足を踏み出し、前に進む。過去に囚われることなく、自分の足で歩き続けることが、今の自分にとって何よりも大切だと感じていた。

ふと、道を歩きながら、あることに気づいた。あの寒い冬の朝、過去の自分と今の自分は確かに違っている。過去の痛みや傷を抱えながらも、それを乗り越え、少しずつ強くなった自分がいる。その変化に気づいたとき、美咲は心の中で少しだけ安堵した。

「今日は、大丈夫。」

美咲はそう呟き、冷たい風に顔を向ける。手にはもう、温かなコーヒーはないけれど、心の中には確かな温もりが残っていた。

そして、再び歩き出す。寒さの中で感じるこの瞬間こそが、彼女にとっての強さを感じる瞬間だった。どんなに寒い朝でも、どんなに厳しい日々でも、それを乗り越えることで、人は成長していくのだと、今ならはっきりと思える。

美咲は歩き続ける。どんな風が吹こうとも、どんな寒さが襲ってこようとも、自分の足で踏みしめる道を進んでいく。