季節の織り糸

太神楽の茶花

『太神楽の茶花』

冬の街はモノトーンに包まれていた。灰色の空、濡れたアスファルト、冷え切った白い吐息。それでも、この街の片隅には、一瞬にして目を引く鮮やかな彩りがあった。

路地裏の古い茶室の庭に咲く、太神楽の茶花だ。朱と緋色が織りなすその花は、寒さの中で毅然と咲き誇り、通りがかる人々の心を温めているようだった。

「いつも、この花を見ると元気が出るんだ」

隣に立つ葵（あおい）がつぶやいた。彼女の声は微かに震えていたが、それは寒さのせいだけではないことを悟った。

「本当に綺麗だね。冬の空気に映える色って、特別に感じるよ」

慎一（しんいち）は、目の前の茶花を見つめながら答えた。その視線の先にある花は、どこか葵のようだった。華やかで、芯の強さを感じさせるその佇まいに、慎一は目を奪われていた。

二人がここに来るのは、葵の提案だった。仕事の忙しさに追われる日々の中で、彼女が「少しのんびりできる場所がある」と教えてくれたのが、この茶室だった。

古い木造の茶室は、街の喧騒から切り離されたように静かだった。庭の隅に咲く太神楽の茶花もまた、訪れる人に安らぎを与えてくれる不思議な力を持っていた。

しかし、慎一は葵の瞳の奥に、いつもと違う陰りがあるのを感じていた。彼女の微笑みは温かいけれど、どこか儚さを伴っている。それが気になって仕方がなかった。

「葵、最近何かあった？」

静寂を破った慎一の問いかけに、葵は一瞬驚いたように目を見開いた。しかし、すぐに視線を逸らし、茶花に目を向けた。

「ううん、別に……ただ、少し疲れてるだけかな」

「疲れてるだけって顔じゃないよ。何かあったら話してほしい」

慎一の言葉に、葵はしばらく黙ったままだった。茶花に目をやったまま、彼女は静かに唇を開いた。

「私、転勤が決まったの。来月から、京都の本社に行くことになったの」

その言葉に、慎一の心は一瞬凍りついた。葵が突然の話を告げたのは、二人が付き合い始めてちょうど一年になる今日だった。

「そうなんだ……それで、しばらく元気がなかったんだね」

「うん。どうしても言い出せなくて……慎一と離れるのが、怖かったの」

葵の瞳には涙が浮かんでいた。その姿を見て、慎一は自分の無力さを痛感した。彼女の決断を支えたいと思う一方で、自分の心に芽生えた寂しさを抑えきれなかった。

「京都か……遠いね。でも、葵のことだから、新しい場所でもきっと上手くやれるよ」

慎一の言葉は優しかったが、彼女の涙は止まらなかった。

「慎一は……私が行くの、嫌じゃないの？」

「嫌に決まってるよ。でも、それ以上に、葵には自分の夢を追いかけてほしいんだ。俺が支えるから、大丈夫だよ」

慎一は葵の肩に手を置き、まっすぐに彼女を見つめた。その瞳には、不安よりも強い決意が宿っていた。

「ありがとう、慎一。でもね、私もちゃんと頑張るから、約束して。遠くにいても、私たちはこれからも一緒だって」

「約束する。俺たちの絆は、そんなに簡単に切れるもんじゃないよ」

葵は涙を拭い、少しだけ笑顔を取り戻した。その横顔を見ながら、慎一は心に誓った。どんなに距離があっても、彼女を信じて支え続けると。

二人は茶室を後にする前に、もう一度太神楽の茶花を見つめた。その赤い花びらが冬の空気の中で輝いているのを見て、慎一は思った。

どんなに寒くても、春は必ずやってくる。二人の未来もきっと、冬を越えて新しい季節を迎えるだろう、と。