季節の織り糸

春秋花壇

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霧笛の音が消えた日

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霧笛の音が消えた日

町の風景は変わりつつあった。麗子が霧笛を吹いている間にも、その変化は少しずつ訪れていた。最初は、誰も気にしていなかった。むしろ、霧笛が新しい機械に取って代わることに、町の人々はほとんど無関心だった。それは、進歩の一環であり、効率の象徴だったからだ。

だが、麗子の胸の中では不安が募っていった。霧笛の音が、町の人々に与える心の安らぎや勇気、それが消えつつあることを感じていたからだ。機械の霧笛は、もうあの温かい音を届けることはできなかった。鋼鉄で作られた無機質な音が、港に響くだけだった。

「もう霧笛は必要ないんだろう?」

町の長老、和田さんが呟いたその言葉が、麗子の耳に届いた時、彼女はその意味を理解した。霧笛の音が消えて、町の人々の心もまた少しずつ冷たくなっているように感じられた。

和田さんは、麗子の父が霧笛を吹いていた頃からの知り合いだった。あの頃は町の人々が一丸となって暮らし、霧笛の音が人々を安心させ、暗闇を照らしてくれた。しかし、時代は進み、町は新しい設備や技術に頼り始めた。その中で、霧笛の音が持っていた力は、いつの間にか失われていった。

「技術が進んだのに、まだ昔の方法にこだわる必要はないだろう」と和田さんは言った。彼の声には、迷いのようなものが感じられたが、同時にそれを受け入れるような決意もあった。

麗子は心の中で何度もその言葉を繰り返したが、どうしても納得できなかった。町の変化が、確かに必要なことだったのかもしれない。しかし、霧笛の音が持っていたあの暖かさ、あの力が、もう二度と響くことはないのだと思うと、胸が締め付けられるようだった。

ある晩、麗子は霧笛を吹く前に、一人で港に向かって歩いた。霧が立ち込め、視界がぼんやりとしている。かつてこの霧の中で、麗子は父と共に霧笛を吹き、町の人々のために船を導いていた。しかし、今その役目は機械に取って代わられ、麗子もまた、霧笛を吹くことに意味を見失いつつあった。

「これで本当にいいのか?」麗子は、霧笛を手に取ると、思わず呟いた。

その時、背後から足音が近づいてきた。振り向くと、春子さんが静かに歩いてきていた。彼女は麗子を見て、微笑みを浮かべた。

「霧笛を吹くことを、やめないでください」と春子さんが言った。その言葉には、何か強い意思が込められていた。

「でも、もう誰も霧笛の音に意味を感じていないんじゃないかと思って…」麗子は声を震わせながら言った。「機械の方が便利だし、効率的だし…」

春子さんは黙って麗子の横に立ち、霧が濃くなっていく中でしばらく静かに港を見つめていた。やがて彼女はゆっくりと口を開いた。

「便利で効率的なものばかりを追い求めていると、大切なものを失ってしまうことがあるのよ。霧笛の音が消えてしまうことが、町の変化の一環だと考えるのは簡単だけど、あの音が持っていた力を忘れてしまうことが本当に町のためになるの?」

麗子は春子さんの言葉をじっくりと噛み締めた。霧笛の音は、確かにただの警告のためだけではなく、町を一つにまとめ、心を癒す力を持っていた。機械の霧笛は、効率的で正確だが、それが人々の心に与えていた影響はどこか冷たく感じられる。

「たしかに、霧笛の音には人々を勇気づけ、安心させる力があった」と春子さんは続けた。「でも、それは時とともに変わっていくものなのかもしれない。それでも、あなたが霧笛を吹き続けることで、町の人々にその力が伝わっていくんだと思うわ」

麗子はしばらく黙って霧笛を見つめていた。霧がますます深くなり、暗闇に包まれていく。しかし、その中で麗子の心は少しずつ明るくなっていった。

「私は、まだ霧笛を吹き続けます」と麗子は言った。春子さんは頷き、静かにその場を離れた。麗子は霧笛を高く掲げ、その音が夜の霧の中に響き渡るのを感じながら、再びその力を信じる決意を新たにした。

町は、確かに変化し続けている。だが、その中で変わらないものもあるはずだ。霧笛の音は、機械に置き換わることなく、麗子の手から町へと伝わり、いつまでも人々の心を守り続けるのだと信じて。

霧笛の音が消えることはない。たとえそれがどんな形であれ、町の心を支える力として、ずっと響き続けるだろう。






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