季節の織り糸

ひつじ雲の記憶

ひつじ雲の記憶

秋の風がひんやりと肌を撫でる昼下がり。田舎町の小さな駅に降り立ったのは、都会の喧騒から逃れるようにしてここへやってきた佐藤真希だった。彼女は大学生で、夏の終わりに祖母が急逝したとの知らせを受け、久しぶりに故郷の町を訪れていた。

祖母の家は駅から少し離れた小高い丘の上にある。彼女は駅から徒歩で家へと向かう道すがら、空を見上げた。そこには、ふわりと浮かぶひつじ雲が広がっていた。柔らかな白い塊が、青いキャンバスの上をぽっかりと散りばめられ、まるで祖母の編んだセーターの模様のようだった。

「おばあちゃん、よくこんな雲を見てたっけ…」

真希は、子供の頃、祖母と一緒に庭でひつじ雲を眺めていた記憶を思い出した。祖母は雲の動きをじっと見つめながら、いろいろなことを教えてくれた。「ひつじ雲が出ると天気が悪くなるんだよ。だから、お洗濯は早めに干さなきゃいけないの」とか、「雲が群れていると、人も集まりやすくなるって言うんだよ。まるでお祭りみたいにね」など、幼い真希には少し難しい話だったが、祖母の優しい声を聞いていると、なぜか心が落ち着いたものだった。

彼女は懐かしさに胸を満たしながら、ひつじ雲がふわふわと漂う空を眺め続けた。祖母が亡くなったと聞いても、不思議と実感が湧かなかった。けれど、こうして雲を見上げていると、どこかで祖母が笑顔で見守ってくれているような気がした。

祖母の家に着くと、近所の人たちが迎えてくれた。古びた木の玄関を開けると、少し湿った空気と、祖母の使っていた香水のかすかな香りが鼻をくすぐった。リビングには、祖母が座っていた座椅子と、彼女の大好きだった編み物のかごがそのまま置かれている。

「ほんとに、おばあちゃんがいないんだ…」

真希はその事実をようやく受け入れることができた。彼女は祖母の座椅子に座り、編みかけのセーターを手に取った。そこには、小さなひつじの模様が編み込まれていた。

「あぁ、そうか。おばあちゃん、私にこれを作ってくれてたんだね。」

涙が自然と溢れ出てきた。真希はゆっくりと目を閉じ、祖母との思い出を振り返った。小さい頃、祖母と一緒にお茶を飲みながら編み物を教えてもらったこと、庭で季節の花を摘んで遊んだこと、そして、ひつじ雲を見上げながら未来の話をしたこと。

「おばあちゃん、あの雲たちはどこへ行くの？」幼い頃の真希は、よくそんな質問をしていた。

「そうねぇ、あの雲たちはね、遠い国へお散歩に行くのよ。そして、いろんな場所でいろんな人に会うの。だから、ひつじ雲が出ると、どこかに新しい友達ができるかもしれないって、そう思うの。」

「私も新しい友達ができるかな？」

「もちろんよ、真希ちゃんが優しくしてくれたら、きっとみんな真希ちゃんを好きになるわ。」

祖母の言葉は、今でも真希の心の中に生き続けている。彼女は祖母に教えてもらった通り、どこへ行っても人に優しくすることを心がけていた。そして、大学ではたくさんの友達ができ、その中には大切な親友もいる。

「おばあちゃん、私、ちゃんと友達ができたよ。おばあちゃんのおかげだね。」

真希は編みかけのセーターを丁寧にたたみ、祖母の仏壇に手を合わせた。これからの生活を考えると、祖母のいない家での時間が少し心細く感じられるが、彼女の心の中には、いつも祖母がいてくれる。どんなときも、あのひつじ雲のように、優しく包み込んでくれるのだ。

その夜、真希は祖母の家の庭に出て、夜空を見上げた。秋の澄んだ空には、月が淡く輝き、周りには小さな星たちが瞬いている。ひつじ雲はもう姿を消していたが、真希の心には、あのやわらかな雲たちが今も浮かんでいるような気がした。

「おばあちゃん、ありがとう。私はこれからも、頑張るよ。」

真希は空に向かってそう呟くと、温かい風がふわりと頬を撫でていった。まるで祖母が「頑張ってね」と優しく背中を押してくれているかのように。

次の日の朝、真希は目を覚まし、再び空を見上げた。そこには、昨日とは違う新しい雲が広がっていた。けれど、彼女の心の中には、祖母と見上げたひつじ雲の記憶がいつまでも残っている。

「また、来るからね。」真希はそう言って、祖母の家を後にした。

秋の風が、彼女の背中を押しながら、また新しい日常へと送り出してくれた。真希は少しだけ微笑んで、前へと歩き出した。まるで、あのひつじ雲のように、ゆっくりと、しかし確実に進んでいくかのように。