季節の織り糸

春秋花壇

文字の大きさ
上 下
61 / 348

夕月夜に響く虫しぐれ 9月18日

しおりを挟む
「夕月夜に響く虫しぐれ」

9月18日、秋の風が田んぼをそっと撫でる夕暮れ時。村の家々には明かりが灯り始め、静かに暮れていく秋日和の一日が終わろうとしていた。この日は名月、月が美しく照らし出す夜が予感される。

山あいの小さな村に暮らす美香は、家の縁側に座り、ゆっくりと夕月夜を眺めていた。目の前に広がる秋の田は、黄金色に輝き、収穫間近の稲が風に揺れている。虫たちが静かに鳴き始め、虫しぐれが遠くから聞こえてくる。

「虫の音って、いいね…」美香は、そっとつぶやいた。かまつかの木が風に揺れ、その枝葉が小さな音を立てている。彼女はふと、田んぼのほとりで咲く萩の花を見つめた。その花々は、秋の訪れを静かに告げるかのように咲き誇っている。

美香の家は、山のふもとにあり、長い間ここで家族と共に田畑を耕してきた。しかし、今年の夏は特に厳しく、台風の被害で村全体が打撃を受けた。畑の作物も一部が枯れ、家族はその復旧に追われた日々を送っていた。だが、美香の心を最も重くしていたのは、祖母の体調だった。

「おばあちゃん、大丈夫かな…」美香は、縁側から家の中を見つめた。祖母は夏の終わりから体調を崩し、ずっと臥していた。彼女は名月の日を楽しみにしていたが、今夜は外に出ることができなかった。

美香は、ふと思い立ち、庭先の草むらに目をやった。そこには、枯れた蟷螂(かまきり)が小さく姿を見せていた。夏の激しい命の終焉を迎えるかのように、静かに息を引き取るその姿が、秋の訪れを一層感じさせた。

「おばあちゃんにも、この秋を感じさせてあげたいな…」そう思った美香は、家の中に入ると、祖母の部屋に向かった。窓辺に座っていた祖母は、少し顔をしかめながらも、美香が入ってくるのを見て微笑んだ。

「美香、どうしたの?」祖母は、ゆっくりとした声で聞いた。

「おばあちゃん、外の空気、少しでも感じてみない?名月の日だよ。虫も鳴いていて、すごく気持ちいいんだ」と美香は提案した。

祖母は少し驚いたような表情を見せたが、すぐに頷いた。「そうね…外の空気、吸ってみたいわね」

美香は、祖母の手をそっと握り、縁側まで連れて行った。外はまだ薄暗く、名月が姿を見せるには少し早い。夕月夜の静かな空に、かすかな光が差し込む中、虫たちの鳴き声がより一層はっきりと聞こえてきた。

「虫しぐれって、昔から好きだったわ。若いころは、この音を聞くと秋の訪れを感じて、なんだか寂しくもあったけど、今は懐かしいわね…」祖母は目を閉じ、虫たちの音に耳を傾けた。

「おばあちゃん、この村もすっかり秋になったよ。稲ももうすぐ刈り取られるし、萩の花もきれいに咲いてる。おばあちゃんの大好きな吉祥草(きちじょうそう)も咲いてたよ」と美香は、優しく声をかけた。

「そうなの…」祖母は微笑みながら、目を閉じたまま聞いていた。

そのとき、空がさらに暗くなり、名月が山の向こうからゆっくりと顔を出した。大きく、輝かしいその光が、秋の田や草むら、そして美香と祖母のいる縁側を照らし始めた。月の光はまるで、二人を包み込むように柔らかで、美しかった。

「名月が出たわよ、おばあちゃん」美香は、そっと祖母に囁いた。

祖母はゆっくりと目を開け、名月を見上げた。「本当に…きれいな月ね。こんなに美しい名月を見るのは、久しぶりかもしれないわ」

月の光に照らされた庭には、猿の腰掛けがひっそりと生えている。木の根元に並ぶその姿は、時の流れを物語るように静かで、秋の夜の冷たさを感じさせた。

「この村も、これからまた変わっていくんだろうね…」美香はぼんやりと呟いた。祖母が育ててきた田畑や、家族の歴史が刻まれたこの土地も、いつかは新しい時代に移り変わるだろう。

「そうね。でも、月は変わらずに私たちを見守ってくれるわ」と祖母は静かに答えた。

美香は、祖母の言葉を聞きながら、胸に何か温かいものが広がっていくのを感じた。名月の光は、二人の間にある時間や記憶を繋ぎ、虫たちのしぐれがその音色を奏で続けていた。

秋の夜は深まっていき、月はますます輝きを増していく。


9月18日 俳句季語

名月



男郎花

秋の田

虫しぐれ

かまつか

枯蟷螂

露けし

猿の腰掛

秋日和

水澄む

吉祥草

名月

虫時雨

秋日和

台風

臥し待ち月

夕月夜
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

注意欠陥多動性障害(ADHD)の日常

春秋花壇
現代文学
注意欠陥多動性障害(ADHD)の日常

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

なんども濡れ衣で責められるので、いい加減諦めて崖から身を投げてみた

下菊みこと
恋愛
悪役令嬢の最後の抵抗は吉と出るか凶と出るか。 ご都合主義のハッピーエンドのSSです。 でも周りは全くハッピーじゃないです。 小説家になろう様でも投稿しています。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

生きる

春秋花壇
現代文学
生きる

【完結】失いかけた君にもう一度

暮田呉子
恋愛
偶然、振り払った手が婚約者の頬に当たってしまった。 叩くつもりはなかった。 しかし、謝ろうとした矢先、彼女は全てを捨てていなくなってしまった──。

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

処理中です...