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「白露の庭」9月6日

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「白露の庭」
9月6日、白露の朝が庭を包み込む。草木の葉先には無数の露が宿り、陽光に輝いている。その庭に佇むのは、年老いた女性、雅子(まさこ)だった。杖を片手に、庭の鳳仙花(ほうせんか)をじっと見つめている。かつては勢いよく咲いていたその花も、秋の訪れと共に少しずつ色あせていく。雅子は、遠い昔の記憶が蘇るのを感じていた。

雅子がこの家に嫁いだのは、もう50年以上前のことだ。若き日の雅子は、夫の健太郎(けんたろう)と共に、この庭を育ててきた。二人で季節の移り変わりを楽しみ、庭の手入れに精を出す日々。春には桜を愛で、夏には蝉の声に耳を澄ませ、秋には稲穂が揺れる田んぼを見つめた。冬には雪化粧の庭を静かに眺める。その四季折々の光景が、彼らの心を温かく満たしていた。

しかし、健太郎が亡くなってから、雅子は一人で庭の手入れを続けるようになった。庭は二人の思い出が詰まった場所であり、健太郎との繋がりを感じられる大切な空間だった。雅子は庭に立つ度に、健太郎の面影を思い出し、ふと微笑むこともあれば、時折涙を流すこともあった。

今日は特に、秋の風が冷たく、空は高く澄み渡っていた。天高しとはまさにこのことで、雲ひとつない青空が広がっている。雅子はふと、目の前の鳳仙花に目を向けた。この花は、健太郎が特に大切にしていたものだった。健太郎は毎年、種を蒔いてはその成長を楽しんでいた。鳳仙花が咲くたびに、彼の顔には笑みがこぼれ、雅子もその笑顔に安堵していた。

雅子はゆっくりと腰を下ろし、庭の一角にある石のベンチに座った。風が優しく吹き、秋澄む空気が心地よい。手にした杖で、軽く地面をトントンと叩いてみる。その音は静かな庭に響き、雅子の心にも響いた。いつの間にか、庭には秋の蛇がひょっこり顔を出し、ゆっくりと動いていた。雅子はその姿を眺めながら、静かな時間を楽しんでいた。

ふと、庭の隅で秋の蚊が飛んでいるのを見つけた。溢れ蚊が肌を刺そうとする度に、雅子は手を振って追い払う。しかし、その仕草もどこか穏やかで、蚊を厭うというよりも、まるで健太郎と話す時のような優しさがあった。秋の蚊は夏ほどしつこくなく、どこか哀れにも見える。雅子はそんな蚊にも思いを寄せるように、軽く笑みを浮かべた。

庭の片隅には、赤く色づいた稲穂が風に揺れている。その光景はまるで、健太郎との日々を映し出すかのようだった。雅子は目を閉じ、健太郎の声を思い出す。彼の優しい声が耳元に響くような気がして、胸が温かくなった。

「健ちゃん、あの頃は楽しかったね。」雅子は誰に言うでもなく、静かに呟いた。

遠くから聞こえてくるのは、祭囃子の音。秋の空気に乗って、軽やかに響いてくる。夜になれば、花火が打ち上げられるのだろうか。花火は夏の終わりを告げるものだが、雅子にとってはもう少し秋の風情を楽しみたい気持ちだった。

雅子はふと、庭に咲く月夜茸(つきよたけ)に目を向けた。その白い輝きは、月夜の静けさを象徴しているようだった。雅子はこの月夜茸を見て、健太郎と月夜の散歩をした記憶が蘇った。二人で月明かりに照らされた庭を歩きながら、時折立ち止まり、空を見上げては言葉を交わしていた。そんな何気ない時間が、雅子にとっては何よりも大切な思い出だった。

雅子は再び杖を手に立ち上がり、ゆっくりと庭を歩き始めた。露がついた草を踏みしめると、足元が少し冷たく感じる。その感触が、雅子の心に季節の移り変わりを告げていた。朝露の中で輝く庭の様子は、健太郎との思い出と重なり、雅子の心を静かに包んでくれた。

秋の雲がゆっくりと流れる空を見上げながら、雅子はひとり微笑んだ。健太郎が好きだった鳳仙花は、今日も健在で、美しく咲き誇っている。その姿を見て、雅子は少し胸を張り、これからも健太郎との思い出を大切にしながら、この庭を守り続けていく決意を新たにした。

「健ちゃん、見ててね。私はまだまだ頑張るから。」

雅子はそう言って、再び庭の奥へと歩みを進めた。白露の朝、雅子の心には静かな決意とともに、新たな一日が始まっていた。


9月6日季語

鳳仙花

天高し

溢れ蚊(哀れ蚊)

秋の蚊

夜長

鬼の子

芋虫

秋の蛇

稲穂

月夜茸

花火

朝露

秋澄む

雀瓜

鳳仙花

秋の雲



白露(はくろ)
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