季節の織り糸

夏の影

夏の影

8月のある蒸し暑い夜、町の片隅にある古びた喫茶店「ミッドナイト・カフェ」には、冷房が効かないためか、少しも涼しさが感じられない。店内には、無数のかすかな蛍光灯があるものの、ほとんどが点滅していて、古い家具と同様に、時代に取り残されたかのような雰囲気が漂っていた。

店のカウンターに座る一人の男、佐藤健一は、額から流れる汗を拭いながらアイスコーヒーを飲んでいた。健一は元警察官で、今は探偵として細々と生計を立てている。目の前に広がるカフェの静けさの中、彼の携帯が震えた。

「佐藤さん、すぐに来てください。妙なことが起きました。」

電話の向こうは、旧知の友人である刑事の田中だった。健一はコーヒーを飲み干すと、すぐにタクシーを呼び、田中の指定した場所へ向かった。

場所は郊外の小さな神社だった。田中の話によると、そこで奇妙な死体が発見されたという。到着すると、現場はすでに黄色いテープで囲まれ、数名の警察官が警戒にあたっていた。現場の中央には、白いシートが不自然に敷かれており、その下には何か大きなものが隠されていることが分かる。

「佐藤さん、こっちだ。」田中がシートを持ち上げると、そこには若い女性の遺体があった。体中にはいくつもの傷があり、まるで何かで引っ掻かれたような痕跡が見える。だが、もっと驚くべきは、その顔がひどく変形していたことだ。眼球が剥き出しになり、口は歪んでいた。何かに恐怖し、逃げる間もなく命を奪われたかのようだった。

「殺人だと思うか？」田中が尋ねた。

「間違いない。だが、普通の殺人じゃない。」健一はそう答えた。

その後、検視結果で被害者は何か鋭利なもので襲われたことが判明する。しかし、周囲には凶器らしきものは見当たらなかった。健一は現場を詳しく調べるが、遺体の周囲には人間の足跡以外に、奇妙な獣のような足跡が残されていることに気付いた。

「何だ、この足跡は……」健一は考え込んだ。

その晩、健一は自宅に戻り、警察からの報告を待つことにした。彼は犯行の詳細を掴もうと、神社周辺の防犯カメラの映像を一つ一つ確認する。その映像には、犯行時刻に若い女性が神社に向かう姿が映っていた。さらに進むと、奇妙な人影が女性の後をつけている様子が捉えられていた。だが、その姿は人間のものではなかった。影は、まるで獣のような形をしていたのだ。

「これは……一体何なんだ？」健一は震える手で再度映像を巻き戻し、拡大して確認した。しかし、その影は一瞬だけ現れてすぐに消え去ってしまっていた。

翌朝、再び現場へ向かうと、新たな情報が田中からもたらされた。神社の近くで住む老人が、事件当夜に奇妙な音を聞いたと証言したのだ。彼の話では、獣のような低い唸り声と、女性の叫び声が響いていたという。老人は恐怖のあまり家の外へ出ることができず、翌朝になって警察へ通報したという。

健一はこの証言を元に調査を進め、さらに神社の裏手にある小さな森を探索することにした。すると、森の奥に何か光るものを見つけた。それは、小さな金属片だった。手に取って見ると、それは古いナイフの破片のようだった。

「これが凶器か？」健一はそう思ったが、直感的にそれは違うと感じた。その破片には血の痕跡はなく、むしろ何年も放置されて錆びついていた。

そこで健一は、改めて現場を詳細に調査し、神社の周囲を隈なく探した。すると、神社の本殿の裏側に、小さな祠があることに気付いた。祠の中には、古びた呪符が何枚も貼られていた。その呪符には「獣封じ」の文字が記されており、かつて何かを封印するために使われたものであることがわかった。

「もしかして……」健一は考えた。かつてこの神社では、何か恐ろしいものを封印していたのではないか。そして、その封印が何らかの理由で解けてしまい、獣の姿をした何かが蘇ったのではないかと。

数日後、警察の捜査も進展せず、犯人も凶器も見つからないまま、事件は迷宮入りしそうだった。だが、健一は諦めなかった。彼は、神社に眠る真実を暴くべく、地元の古い文献を調査し続けた。そこには、この土地に伝わる古い伝説が記されていた。それは、人の命を奪うことを楽しむ「影の獣」の話だった。

健一は、この事件が単なる殺人事件ではなく、古代からの恐怖が蘇ったことを悟った。そして、その影の獣が再び誰かの命を狙っていることを感じ取り、次の犠牲者を防ぐために動き出すのだった。