季節の織り糸

春秋花壇

文字の大きさ
上 下
18 / 359

月夜の盆と無花果の香り

しおりを挟む
月夜の盆と無花果の香り

世阿彌忌の夜、彩香は祖母の家に足を運んだ。そこは、祖母が一人で住む古びた日本家屋で、毎年この時期にだけ訪れる特別な場所だ。夏の終わりと秋の始まりが交差するこの季節、家の周りには無花果の甘い香りが漂い、庭には酸漿が赤く色づいていた。

門をくぐると、施餓鬼の準備が整えられた縁側が目に入る。小さな盆の月が、庭に静かに照らされ、蓮の花がその光を受けて、しっとりと咲いている。彩香はその光景にしばし立ち止まり、祖母が毎年どれほどの思いを込めてこの行事を行っているかを感じ取った。

「彩香、来たのね。」

祖母の声に振り返ると、柔らかい笑顔がそこにあった。祖母は手に花煙草を持っており、香りを楽しむように鼻を近づけている。

「うん、今年も来たよ、おばあちゃん。」彩香は祖母の隣に座り、庭を見つめた。空には法師蝉の声が響き、夜の静寂を包んでいた。

「今年も接待の準備をしなきゃね。」祖母は笑いながら、盆の準備を始める。彩香も手伝いを申し出るが、祖母は「大丈夫よ」と微笑みながら、手慣れた様子で道具を扱い始める。

その夜、彩香は祖母と共に施餓鬼の供養を行い、庭に門火を灯した。門火が静かに燃え上がり、庭全体を照らし出すと、糸とんぼや蜻蛉がその明かりに誘われて飛び回った。荻の穂が風に揺れる音が、彩香の耳に優しく響いた。

「おばあちゃん、この庭にはたくさんの季語があるね。」彩香は庭の様子を眺めながら、思わず口にした。

「そうだね、彩香。この庭は私にとって、季節ごとの詩が詰まっている場所なんだよ。」祖母は静かにそう言って、遠くを見つめた。

朝が来る前に、朝顔が静かに咲き始めた。夜が明ける前のひんやりとした空気の中で、その花は淡い色を見せ、彩香はその美しさに目を奪われた。

「彩香、秋の蝶も飛んでいるわ。」祖母が指差す先には、淡い色の蝶が静かに舞っていた。その姿は、まるで時の流れに乗って、季節を告げるようだった。

「おばあちゃん、この蝶も季語の一つだよね。」彩香はふと考え込み、祖母に問いかけた。

「そうよ、彩香。秋の蝶は、夏から秋への移り変わりを教えてくれる大切な存在なんだ。」祖母は微笑みながら、彩香の頭を優しく撫でた。

その後、彩香は祖母と共に大根蒔きを始めた。夜が明け、残暑がまだ残る朝の空気の中で、彩香は手に土を触れながら、祖母と共に季節の移り変わりを感じた。

「これが終わったら、今年もまた帰るんだね。」彩香は少し寂しそうに言った。

「そうだね。でも、また来年もこうして一緒に過ごせるわよ。」祖母は優しく彩香を励まし、二人は笑顔を交わした。

彩香は祖母と共に過ごしたこの時間を、いつまでも忘れないだろうと思った。季語が織りなす詩のようなこの時間が、彩香の心に深く刻まれていく。

その年の秋、彩香は一人で家に戻ったが、心の中には祖母との思い出が温かく残っていた。そして、次の年もまた、祖母と共に季節を感じる日を楽しみにしていた。


無花果

盆の月

酸漿

法師蝉

夜の

朝顔

糸とんぼ

蜻蛉

残暑



蓮の花

世阿彌忌

花煙草

施餓鬼

接待

秋の蝶

門火

大根蒔く
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

注意欠陥多動性障害(ADHD)の日常

春秋花壇
現代文学
注意欠陥多動性障害(ADHD)の日常

生きる

春秋花壇
現代文学
生きる

憂鬱症

九時木
現代文学
憂鬱な日々

陽だまりの家

春秋花壇
現代文学
幸せな母子家庭、女ばかりの日常

ギリシャ神話

春秋花壇
現代文学
ギリシャ神話 プロメテウス 火を盗んで人類に与えたティタン、プロメテウス。 神々の怒りを買って、永遠の苦難に囚われる。 だが、彼の反抗は、人間の自由への讃歌として響き続ける。 ヘラクレス 十二の難行に挑んだ英雄、ヘラクレス。 強大な力と不屈の精神で、困難を乗り越えていく。 彼の勇姿は、人々に希望と勇気を与える。 オルフェウス 美しい歌声で人々を魅了した音楽家、オルフェウス。 愛する妻を冥界から連れ戻そうと試みる。 彼の切ない恋物語は、永遠に語り継がれる。 パンドラの箱 好奇心に負けて禁断の箱を開けてしまったパンドラ。 世界に災厄を解き放ってしまう。 彼女の物語は、人間の愚かさと弱さを教えてくれる。 オデュッセウス 十年間にも及ぶ流浪の旅を続ける英雄、オデュッセウス。 様々な困難に立ち向かいながらも、故郷への帰還を目指す。 彼の冒険は、人生の旅路を象徴している。 イリアス トロイア戦争を題材とした叙事詩。 英雄たちの戦いを壮大なスケールで描き出す。 戦争の悲惨さ、人間の業を描いた作品として名高い。 オデュッセイア オデュッセウスの帰還を題材とした叙事詩。 冒険、愛、家族の絆を描いた作品として愛される。 人間の強さ、弱さ、そして希望を描いた作品。 これらの詩は、古代ギリシャの人々の思想や価値観を反映しています。 神々、英雄、そして人間たちの物語を通して、人生の様々な側面を描いています。 現代でも読み継がれるこれらの詩は、私たちに深い洞察を与えてくれるでしょう。 参考資料 ギリシャ神話 プロメテウス ヘラクレス オルフェウス パンドラ オデュッセウス イリアス オデュッセイア 海精:ネーレーイス/ネーレーイデス(複数) Nereis, Nereides 水精:ナーイアス/ナーイアデス(複数) Naias, Naiades[1] 木精:ドリュアス/ドリュアデス(複数) Dryas, Dryades[1] 山精:オレイアス/オレイアデス(複数) Oread, Oreades 森精:アルセイス/アルセイデス(複数) Alseid, Alseides 谷精:ナパイアー/ナパイアイ(複数) Napaea, Napaeae[1] 冥精:ランパス/ランパデス(複数) Lampas, Lampades

日本史

春秋花壇
現代文学
日本史を学ぶメリット 日本史を学ぶことは、私たちに様々なメリットをもたらします。以下、そのメリットをいくつか紹介します。 1. 現代社会への理解を深める 日本史は、現在の日本の政治、経済、文化、社会の基盤となった出来事や人物を学ぶ学問です。日本史を学ぶことで、現代社会がどのように形成されてきたのかを理解することができます。 2. 思考力・判断力を養う 日本史は、過去の出来事について様々な資料に基づいて考察する学問です。日本史を学ぶことで、資料を読み解く力、多様な視点から物事を考える力、論理的に思考する力、自分の考えをまとめる力などを養うことができます。 3. 人間性を深める 日本史は、過去の偉人たちの功績や失敗、人々の暮らし、文化などを学ぶ学問です。日本史を学ぶことで、人間としての生き方や価値観について考え、人間性を深めることができます。 4. 国際社会への理解を深める 日本史は、日本と他の国との関係についても学ぶ学問です。日本史を学ぶことで、国際社会における日本の役割や責任について理解することができます。 5. 教養を身につける 日本史は、日本の伝統文化や歴史的な建造物などに関する知識も学ぶ学問です。日本史を学ぶことで、教養を身につけることができます。 日本史を学ぶことは、単に過去を知るだけでなく、未来を生き抜くための力となります。 日本史の学び方 日本史を学ぶ方法は、教科書を読んだり、歴史小説を読んだり、歴史映画を見たり、博物館や史跡を訪れたりなど、様々です。自分に合った方法で、楽しみながら日本史を学んでいきましょう。 まとめ 日本史を学ぶことは、私たちに様々なメリットをもたらします。日本史を学んで、自分の視野を広げ、未来を生き抜くための力をつけましょう。

聖書

春秋花壇
現代文学
愛と癒しの御手 疲れ果てた心に触れるとき 主の愛は泉のごとく湧く 涙に濡れた頬をぬぐい 痛む魂を包み込む ひとすじの信仰が 闇を貫き光となる 「恐れるな、ただ信じよ」 その声に応えるとき 盲いた目は開かれ 重き足は踊り出す イエスの御手に触れるなら 癒しと平安はそこにある

老人

春秋花壇
現代文学
あるところにどんなに頑張っても報われない老人がいました

処理中です...