ギリシャ神話

春秋花壇

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創作

ネッソスの誓い

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「ネッソスの誓い」

古代ギリシャ、青い海とそびえる山々が広がる大地には、神々と人間、そして不思議な生物たちが共存していた。その中には、ケンタウロスと呼ばれる半人半馬の種族がいた。彼らは強靭な肉体と野性的な本能を持ち、人間とは異なる道徳観のもとで生きていた。

そのケンタウロスの一人に、ネッソスという名の者がいた。彼は群れの中でも特に力強く、誇り高い戦士だったが、同時に野心と欲望の強い者でもあった。ネッソスは力と欲望を追い求めるあまり、しばしば他者との争いを起こし、自分の道を切り開いてきた。

しかし、ネッソスには一つだけ譲れない誓いがあった。彼はかつて、自分の一族を襲ったヒュドラという怪物から、命を救われたことがあった。その時、彼の命を助けたのは偉大な英雄、ヘーラクレースだった。ヒュドラとの戦いで窮地に追い込まれたネッソスは、ヘーラクレースに命を助けられたことを決して忘れなかった。彼はその時、心の中で誓ったのだ。「ヘーラクレースに命を救われたこの恩を、一生かけて返す」と。

時が経ち、ネッソスはケンタウロスたちの中で一目置かれる存在となり、さまざまな戦いに参加してきた。だが、彼の心には常にヘーラクレースへの恩義があった。そしてその機会が訪れる日を、ひそかに待ち続けていた。

ある日、ネッソスはエウリュトス王国の領地を通る川のほとりに佇んでいた。川の向こう側には、ヘーラクレースと彼の妻、デイアネイラが立っていた。二人は川を渡ろうとしていたが、川の流れは非常に激しく、デイアネイラが渡るには危険が伴っていた。

「これこそ、私が恩を返すべき時だ」とネッソスは考えた。彼はヘーラクレースに近づき、力強い声で申し出た。

「ヘーラクレース、私はネッソス。かつてヒュドラとの戦いで命を救っていただいた者です。あなたの妻を無事に川の向こう岸へ運ばせてください。あなたの恩に報いるために。」

ヘーラクレースはネッソスのことを思い出し、彼の誠意ある申し出を受け入れた。「ありがとう、ネッソス。デイアネイラを頼む。君なら信頼できる。」

ネッソスはデイアネイラを背に乗せ、川の流れに足を踏み入れた。彼の強靭な足は激流をものともせず、ゆっくりと川を渡り始めた。デイアネイラはネッソスの背中で不安を感じながらも、彼の力強さに安心感を覚えた。

しかし、その時、ネッソスの心の中に別の欲望が芽生え始めた。彼は誓いを守るつもりでいたが、デイアネイラの美しさに心を奪われ、次第に自分の中の野性的な欲望が抑えきれなくなっていった。

「このままデイアネイラを連れ去り、彼女を自分のものにしてしまおうか……」ネッソスは葛藤した。彼はヘーラクレースへの恩義と、自分の欲望の間で揺れ動いていた。だが、欲望が彼を支配し始めたその瞬間、ネッソスはデイアネイラを連れ去ろうと決意した。

その動きを察知したデイアネイラは、恐怖に包まれた。彼女はネッソスの背中から必死に逃れようとしたが、彼の強い腕に捕らえられてしまった。

その時、ヘーラクレースは川の向こう岸からネッソスの動きを見て、怒りに震えた。彼はすぐに弓を取り、ネッソスに狙いを定めた。そして、神から与えられた毒矢を放った。その矢はネッソスの背中に深々と突き刺さり、彼は苦痛に顔を歪めた。

ネッソスは激痛に耐えながらも、デイアネイラを無事に川岸に降ろした。だが、彼の心の中には後悔と痛みが渦巻いていた。自分の誓いを裏切り、欲望に負けてしまったことを、深く悔いたのだ。

「ヘーラクレース……私は、お前に恩を返そうとした……だが、私は自分の欲望に負けてしまった……」ネッソスは涙を流しながら呟いた。

ネッソスは死を迎える間際、最後の力を振り絞ってデイアネイラに語りかけた。「デイアネイラ、この毒矢は私を滅ぼすだろう……だが、私の血が持つ力はまだ残っている。この血を集め、それをヘーラクレースの衣服に塗るがよい。そうすれば、彼は決して他の女に心を奪われることはなくなるだろう。」

その言葉を信じたデイアネイラは、ネッソスの血を布に染み込ませ、後にそれをヘーラクレースに渡した。だが、ネッソスの言葉には罠があった。彼の血は実際には毒を含んでおり、それがヘーラクレースの皮膚に触れた時、彼は激しい痛みに襲われ、やがて死へと追いやられた。

ネッソスは、己の欲望に負けたことを悔いながらも、最後にヘーラクレースへの復讐を果たしたのだ。

ヘーラクレースは死後、神々によってオリュンポスの神殿に迎えられたが、ネッソスの血が引き起こした悲劇は、永遠にギリシャの民の間で語り継がれることとなった。

ネッソスの物語は、誓いの重さと欲望の危険を警告する教訓として、後世に伝わっていった。誓いを守ることの重要さ、そして欲望に負けることで引き起こされる破滅が、この物語に込められている。ネッソスの誓いとその結末は、ギリシャ神話の中でも特に悲劇的な一章として、今なお人々の心に深く刻まれている。





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