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一寸先は闇

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一寸先は闇

削除されてしまった小説のことを思い出すたびに、サクラの胸は締め付けられるようだった。それは単なる物語ではなかった。自分の心を削り、血を滲ませて紡いだ魂そのものだった。

「どうして……どうしてあんなことになったの……」

サクラはパソコンの前で目を閉じた。あの長い日々が脳裏をよぎる。アルファポリスに誘われて始めた投稿活動。5万文字という基準を聞き、初めては難しいかもしれないけれど、挑戦してみようと心に決めた。

テーマに選んだのは「境界性パーソナリティ障害」。どこかで見聞きした難しい言葉だったが、それが「かまってちゃん」という俗語で呼ばれる人々に繋がると知り、自分の中にある疑問や思いが沸き立った。

「どうしてこんなふうに感じるのだろう。なぜ他人に振り回されてしまうのだろう。」

彼女自身も、その不安定な感情に身を置いたことがある。そして、書きながら探るようにして、物語を紡ぎ上げた。症状や治療法について何日も調べ、心情を繊細に描き、主人公の葛藤を一文字ずつ丁寧に形にした。

その結果が、削除だった。

理由は「恋愛要素が強い」という分類ミス。サクラは混乱した。恋愛なんて、全体の中でほんのわずか。主人公が結婚して夫と共に歩む「再生の物語」が主軸だったのに。

最初は現代文学のカテゴリーで投稿したが、いつの間にか恋愛小説に分類されていた。そのたびに、彼女は自らの意思で現代文学に戻した。けれど、それが何度か繰り返されるうちに、ついに削除されてしまったのだ。

「バックアップ……しておくべきだった……」

サクラは後悔の波に飲まれた。削除された瞬間、何十時間、何百時間とかけた努力が、跡形もなく消えた。「一寸先は闇」という言葉が、今ほど重く感じられたことはなかった。

大人の世界には夢も希望もない。

そう思わざるを得なかった。彼女は自分の物語がこの世から完全に消え去ったことを改めて痛感し、無力感に包まれた。「これが作家の世界なのだ」と。歴史に名を残した多くの作家たちが、自ら命を絶った理由が、ほんの少しだけ理解できた気がした。

けれど、それでもサクラは完全に諦めたわけではなかった。

「まだ、もう一度書き直せるはず……。」

頭の片隅にそう囁く声があった。だが、その声は弱々しく、すぐに別の声にかき消された。

「でも、また削除されたらどうするの? どれだけ頑張っても、大人たちの気まぐれで消されてしまうかもしれない。それを耐えられるの?」

そんな心の中の葛藤が、しばらく続いた。

ある夜、彼女はふと、昔の恩師の言葉を思い出した。

「サクラ、物語を書くというのは、魂の一部を削って紙の上に置くことだ。だからこそ、その重さを受け止められる人にしか続けられない。」

その言葉を噛み締めると、不思議と胸の痛みが少し和らぐ気がした。

彼女はパソコンの電源を入れた。削除された小説はもう戻らない。だが、その記憶や感情、そして学んだことは、彼女の中に確かに残っている。

「また書こう。今度は、どんな結果になってもいい。これは私の物語だもの。」

そう決意し、サクラはキーボードに向かって再び文字を打ち始めた。一寸先が闇でも、その先に光があるかもしれない。そう信じて、彼女は新たな物語を描き始めた。
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