妻と愛人と家族

春秋花壇

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農家の嫁

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『農家の嫁』

田んぼと畑に囲まれた山間の村で、綾乃は農家の嫁としての生活を始めた。彼女は都会育ちで、この村に来たのは結婚してから。夫の賢一郎が農業を継ぐことになり、彼について来たのだ。家族や友人からは「なんで農家なんかに嫁ぐの?」と散々言われたが、彼女は笑って「好きになっちゃったから仕方ないでしょ」と軽く答えていた。

しかし、実際の農家の暮らしは都会の想像とはまるで違っていた。朝は夜明け前に起き、鶏に餌をやり、農機具の準備を手伝い、天候に合わせて稲や野菜の手入れをする。忙しい季節になると、昼食をとる暇も惜しんで働くことが当たり前だった。彼女が最初に感じたのは、この生活がどれほど体力と気力を必要とするかということだった。

ある暑い夏の日、綾乃は稲の手入れをしている途中でついに座り込んでしまった。炎天下での作業は、体をじわじわと蝕むようだった。汗が額から流れ落ち、視界もぼやけてきた。「都会の生活が恋しい…」そんな思いがふと頭をよぎる。

その時、賢一郎が近づいてきて彼女をじっと見つめた。「無理するなよ、休んでろ」と一言だけ言って、黙々と彼女の分の作業を引き受けた。その姿を見て、綾乃はふっと笑みをこぼした。自分が田舎に嫁いだのは、この頼りになる賢一郎と一緒にいるためだった。少しの後悔も抱いていない、と心の中で自分に言い聞かせる。

その夜、疲労で体が重く、布団に倒れ込むように横たわった綾乃の耳に、賢一郎の静かな声が響いた。「農家の仕事は大変だし、都会育ちのお前には辛いかもしれんが、少しずつ慣れてくれたらそれでいいんだ」

賢一郎の手は硬くて温かかった。二人で手をつなぎ、窓の外に広がる田んぼを眺めると、涼やかな風が頬を撫でていった。何もかもが目新しい生活で戸惑うことも多かったが、こうして少しずつ馴染んでいけばいい、綾乃はそう思うようになった。

それから月日は流れ、季節ごとに田畑の景色が変わっていくのを楽しみにするようになった。稲が青々と茂り、やがて黄金色に輝く収穫の季節が来るたびに、彼女の心にも少しずつ自信が芽生えていった。そして、綾乃は次第に村の人々にも受け入れられていく。彼女は自ら進んで地域の行事に参加し、少しずつ農作業にも慣れてきた。

秋の祭りの夜、綾乃は村の婦人たちに囲まれ、自然と笑顔がこぼれた。普段は厳しい顔をしている近所のおばあさんが、「綾乃さん、農家の嫁としてようやっと認めてあげるよ」と冗談めかして言った時、綾乃は心の中で何かが温かく解けるのを感じた。

しかし、農家の暮らしには楽しい時ばかりではない。冬の厳しい寒さや収穫が思うようにいかない年もある。ある年の秋、台風が直撃して稲が大きな被害を受けた。賢一郎は無言でうなだれ、綾乃も何も言えなかった。二人で暗い空を見上げ、稲がなぎ倒されている光景にただ立ち尽くすばかりだった。

「こういう年もあるんだな」と、賢一郎がぽつりと呟いた。「でも、また頑張ろう。お前がいるから、俺は大丈夫だ」

その言葉に、綾乃は思わず涙ぐんだ。農家の嫁として苦労は絶えないが、こうして支え合いながら生きていけるのなら、それだけで十分だった。

数年が経ち、綾乃はいつしか村の人たちに「うちの農家の嫁」と親しまれる存在になっていた。彼女は畑仕事の合間に村の子供たちに野菜の育て方を教え、老人たちと一緒に田んぼの話をするのが楽しみになった。都会の喧騒とは無縁の、ゆったりとした時間がそこにはあった。

ある日、綾乃はふと都会にいた頃の自分を思い出した。化粧もきちんとし、ブランドの服を身にまとい、駅前のカフェで友人たちとランチをしていた自分。それはそれで幸せだったが、今とは別の意味で遠い過去のように感じた。

農作業の帰り道、夕日に染まる田んぼを眺めながら綾乃は思った。ここでの生活は決して楽ではないが、自然の営みの中で自分も生きていることを感じる。その豊かさを心から愛していた。

そして彼女はそっとつぶやく。

「私が選んだ道、間違ってなかったよね、賢一郎さん」

隣にいる夫が頷き、綾乃の手をしっかりと握りしめた。









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