妻と愛人と家族

大移動の一日

大移動の一日

「ねぇ、今日、ハイキング行くって言ったじゃん。みんな準備できた？」妻のアヤが、キッチンでバタバタと動きながら声をかけてきた。

「うん、でも…じいちゃんがまだ起きてないんじゃないか？」俺は、リビングのソファでスマホを片手にぼんやりとした目で言った。どうしてもキャンプやバーベキューといった外遊びの日は、準備が一大事だ。特に、俺たちの家族は、祖父母、両親、そして３人の子どもたちを含む９人の大所帯。ちょっとした移動も、もう「民族の大移動」のようになる。

「あたしもじいちゃんが寝坊してる気がしてたけど、もうちょっと早く起こしといてよ。せめてお昼ご飯の準備に間に合うようにしてほしいんだから！」

アヤがそう言うと、俺はスマホをポケットにしまい、急いで階段を駆け上がった。じいちゃんは、なかなか起きない。だいたい、いつも午前中はダラダラと過ごすので、家族が出かけるときには必ず遅れる。

「じいちゃん、起きてる？」ドアをノックしながら声をかける。

「ん…？ああ、もう少し寝かせてくれよ…」と、ぼやく声が聞こえた。絶対に寝起きの悪さは変わらない。

「もう！家族みんな待ってるんだよ！早く起きて！」

「おお、わかったわかった。」少ししぶしぶとじいちゃんは返事をするものの、すぐに動く様子はない。

俺はため息をつきつつ、再びリビングに戻った。アヤはすでに、朝食の用意を整え始めていた。パンケーキ、卵焼き、サラダ、そしてコーヒー。準備はしているものの、どこか一歩踏み出すときには、家族のそれぞれがなんとなく動き出すまで時間がかかる。

「お父さん、今日の山ってどこ？」次女のエミが走り寄ってきた。

「えっと、今日は近くの山だよ。まだ雪が残ってて、ちょっと滑りやすいかもしれないけど。」俺はエミに答えながら、テーブルに座っている子どもたちに目をやった。

長男のユウトと長女のミカは、何やらゲームに夢中で、食事に手をつける気配がない。これもよくある光景だ。

「ミカ、ユウト、食べなさい！」アヤが少し強めに言う。

二人は、言われてやっとゲームを止め、しぶしぶ食卓に向かう。その姿を見ると、まるで時間が止まったかのように感じる。俺とアヤが子どもたちに言った言葉が、毎回なんとなくロボットのように反響する。

「お父さん、何してるの？」今度は、二男のヒロが俺に声をかけてきた。

「え？ああ、これ？」俺は子どもたちに説明しながら、山の地図を広げた。「今日はちょっとだけ遠いところに行こうかな、でもあまり無理しないようにね。」

「いいなぁ、僕も登ってみたい！」ヒロは嬉しそうに言う。

それでも、どんなに早く準備しても、家族全員が集まるまでには時間がかかる。車を２台使うので、駐車場に皆が整列するまでさらに時間がかかる。じいちゃんが結局10分ほど遅れて降りてきた頃には、すでに家族全員が車の前に集まっていた。じいちゃんの登場で、さらに賑やかな雰囲気が漂う。

「遅いぞ、じいちゃん！」とアヤが指摘すると、じいちゃんは「すまんすまん」と苦笑いしながら、車の後部座席に乗り込んだ。お母さんとお父さんが、それぞれ別々の車で一緒に来る予定だったが、結局、家族全員が乗るために乗り合わせることに。

「準備できた？みんなのおやつ、忘れないでよ。」おばあちゃんがしっかりとチェックしながら言った。

「ああ、はいはい。みんなの大好きなクッキーとサンドイッチ、持ったよ。」俺が応えた。

ようやく、すべてが整い、９人の大移動が始まった。最初は静かだった車内も、しばらくしてからは子どもたちの歌声とおしゃべりで賑やかになる。最初のうちは、まだ余裕があったが、車の中での調整やクレームが続き、時間が経つにつれて、ちょっとしたアクシデントも起こる。

「もうちょっとだけ、静かにしてくれない？」ユウトが言うと、ミカが反論する。「なんでいつも静かにしなきゃいけないの？僕だって声出したい！」

「じゃあ、もう少しで山に着くから、あとちょっと我慢しようね。」俺が仲裁に入る。

途中、ドライブインで休憩をとると、祖父母と両親が買ってきた飲み物やお菓子を手にして、さらに賑やかさが増す。みんなで外に出て、外の空気を吸いながら少しだけ歩く。ほっとする一時だ。

そして、ついに目的地の山に到着。大きな荷物を背負い、キャンプ用具を持ち寄って、いざ出発だ。みんなで一緒にハイキングを楽しみながら、それぞれのペースで歩き続けると、少しずつ家族のつながりが深まるような気がした。

その日一日は、笑い声と楽しさで溢れ、長い時間をかけて準備した大移動の価値がようやく感じられた。何度も何度も繰り返すこの日常が、家族という絆を強くしているのだと、俺は実感していた。

その帰り道、車内の皆は、既に疲れた様子で静かになり、また一歩一歩、この家族の旅が続いていくのだと心に誓った。