妻と愛人と家族

春秋花壇

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医者の夫婦

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「医者の夫婦」

内科医の涼子と外科医の隼人は、大学時代に出会い、医者の夫婦として共に働くことを夢見て結婚した。理想は、互いの専門知識を生かしながら助け合い、困難に立ち向かう姿を支え合える医者同士の夫婦だった。どんなに忙しくても、二人なら乗り越えられる、そんな信頼があった。

しかし、現実は予想をはるかに超えていた。結婚して数年、二人の生活はどんどんと仕事に支配されていった。

ある夜、病院の職員用の休憩室で、涼子は座ったまま眠りに落ちていた。疲れ切って目の下にはクマが浮かび、表情もどこか沈んでいる。そこへ、当直を終えた隼人がそっと近づき、肩に手を置いた。

「涼子、少し休めよ」

彼女は目を開けると、やっと視界に隼人の顔が入った。「お疲れ様。でも、休んでいる暇なんてないわ。明日も診察が詰まっているし、やらなきゃいけないことが山積みなの」

隼人は涼子の手を握り、少し困ったように微笑んだ。「俺だって外科の手術が次から次に入ってる。さすがに今日の終わりが見えないな…」

彼らはお互いに励まし合いながらも、心の中には少しずつ不満が募り始めていた。数ヶ月前、二人の息子・啓太が3歳の誕生日を迎えたときも、二人揃って祝うことはできなかった。涼子はその日の夜勤明けに、ほんの数分だけ家に戻り、啓太に小さなプレゼントを渡した。隼人は夜遅くに帰宅し、寝ている啓太の顔を見てため息をつくのが精一杯だった。

そのときから、夫婦の間に微妙な溝が生まれ始めた。

ある日、啓太が高熱を出して寝込んでしまった。涼子は診察室で患者を見ているときに、保育園からの電話に気づいた。電話の向こうで、保育士が心配そうに伝えてくる。

「啓太くん、今朝から様子がおかしくて、かなり熱が上がってしまっています。すぐにお迎えが必要です」

涼子は電話を握りしめ、返事ができないでいた。その日も外来の診察がぎっしり詰まっており、キャンセルすることは難しい。院内にいる隼人に連絡を試みるが、手術に入っているのか、つながらない。

「分かりました。できるだけ早く迎えに行きます…」

結局、保育士にはそう伝えるしかなかった。電話を切った後も、患者が待っている。冷や汗を感じながらも診察を続けるが、頭の片隅では啓太のことが離れない。こうして一時間が過ぎ、二時間が過ぎ、気がつくと診察が全て終わる時間になっていた。

その夜、家に帰った涼子が見たのは、ぐったりと横になり、熱で真っ赤な顔をした啓太だった。自分を見上げる彼の目に涙が浮かび、熱で意識も朦朧としている。

「ママ…」

涼子は思わず啓太を抱きしめたが、次の瞬間、自分が何もしてやれなかったことが急に胸を締め付けた。医者であるが故に、自分が本当に大切にしたいものを見失っているのではないか。そんな不安が涌き上がり、涙が浮かんできた。

その時、玄関から隼人が帰ってきた。彼も啓太の様子を見て驚き、急いで駆け寄った。

「すまない、今日の手術が長引いて…」

「私も仕事で…」

互いに言い訳のように口を開くが、それがかえって虚しく響く。どちらも医者としての責任に縛られ、子供の世話を放り出してしまった罪悪感が押し寄せてくる。

「隼人…私たち、本当にこのままでいいのかな」

涼子はぽつりと呟いた。これまではなんとかやりくりしてきたが、今日のことをきっかけに、医者としての使命と親としての責任が複雑に絡み合い、頭の中が混乱していた。隼人もまた、言葉を失い、彼女の問いかけに答えることができなかった。

翌日、涼子は病院の上司に相談し、ようやく休みをもらえることになった。隼人も同僚に頼み込み、数日間だけ仕事を調整してもらった。こうしてようやく、夫婦揃って啓太のそばにいる時間が取れたのだった。

初めて家族でゆっくり過ごせる時間。啓太はまだ熱が下がらず辛そうだったが、両親がそばにいることで少し安心したのか、穏やかな表情を見せていた。涼子はその姿を見て、ようやく心の中のわだかまりが少しだけ解けた気がした。

「隼人、私たち、これからもこの生活を続けていくのかな」

啓太が寝入った後、涼子は隼人に静かに話しかけた。彼もまた深いため息をつき、しばらくの間考え込んでから答えた。

「確かに、医者としての責任も大事だけど、家族の時間も同じくらい大切だよな。僕たち、今までは仕事ばかり優先してきたけど、そろそろ本当に大事なことに目を向けるべきかもしれない」

二人は、これからの生活について真剣に話し合い、互いにスケジュールを少しずつ調整し、家族との時間を増やしていくことを決意した。すぐに解決できる問題ではなかったが、少しずつ改善していくことで、家族としての絆を取り戻していこうと誓い合ったのだった。

涼子と隼人は医者としての夢を持っていたが、今はその夢に縛られるのではなく、家族の絆も守りながら歩んでいく新たな道を見つけた。そして、少しずつだが、家族としての時間を取り戻し始めたのであった。








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