妻と愛人と家族

春秋花壇

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愛人咲夜の気持ち

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愛人咲夜の気持ち

咲夜は、大地と最初に出会ったとき、そのまじめで優しそうな外見に惹かれた。彼の物静かな性格と落ち着いた振る舞いは、彼女が求めていた理想の男性像そのものだった。年上で、どこか頼れる存在。咲夜はその時点で、大地との未来を勝手に夢見始めていた。

最初は純粋な恋だった。彼が家庭を持っていることは知っていたが、咲夜はそれを気にしなかった。彼が家族とどういう関係を持っているのかまでは深く考えず、「自分さえいれば、彼はもっと幸せになれる」と信じていた。大地もまた、咲夜に対しては穏やかで、常に優しい態度を崩さなかった。彼の言葉一つひとつが、咲夜にとっては特別なものだった。

しかし、彼との関係が深まるにつれ、咲夜は不安を感じ始めた。愛人としての立場が、次第に重くのしかかってきたのだ。彼と一緒にいるときは幸せだったが、彼が帰っていくときの孤独感はどうしようもなかった。夜、彼が家族のもとに帰るその背中を見送るたびに、咲夜は自分が「2番目の存在」であることを痛感した。

それでも、咲夜は彼との未来を夢見ていた。大地が「家族のもとを離れて、自分と新しい人生を歩む」と信じて疑わなかった。自分と一緒にいる時間が、彼にとっても特別だと思っていたからだ。そう信じたくて、大地に「子供ができた」と嘘をついた。

本当は妊娠なんてしていなかった。それでも、咲夜はそれが彼を引き留める手段だと思っていた。彼にとって、家族と別れる理由を作るためには、何か強い動機が必要だと感じたのだ。そして、その嘘によって彼が自分を選び、家庭を捨てる決断をしてくれると思っていた。しかし、それは甘い考えだった。

大地は驚きつつも、彼女の言葉を信じたようだった。その瞬間、咲夜は勝った気分だった。ついに、彼を手に入れることができると感じた。だが、その勝利感はすぐに不安に変わった。彼が本当に自分のもとに来たとき、彼女は予想していなかった問題に直面することになる。

まず、大地の娘たちが一緒についてきたことに、咲夜は困惑した。彼はただ一人で来るものと思い込んでいたのだ。娘たちは成長した年齢で、思春期に差し掛かっていたため、彼女と親しくなるのは難しいだろうと分かっていたが、それ以上に、彼女の生活が大きく変わることに気づかなかった。

娘たちは予想以上に手強かった。彼女たちは咲夜の生活スタイルに対して容赦なく指摘し、家事や日常の些細なことに細かく口を出してきた。咲夜は、最初こそ大地のために頑張ろうとしたが、次第にその負担に耐えられなくなっていった。

「私はこんな生活がしたかったわけじゃない」と、彼女は何度も思った。大地との生活は、彼女が想像していた甘い二人だけの時間とは程遠かった。彼が娘たちに気を遣う姿を見るたびに、咲夜は嫉妬と苛立ちを感じた。彼は結局、家族を捨ててまで自分を選んだはずなのに、彼の心の一部はまだ家族に縛られていることが分かってしまったのだ。

「これじゃあ、前と変わらないじゃない」

大地との関係は冷え込んでいった。咲夜は次第に彼との口数が減り、無理に笑顔を作ることすら苦痛になっていった。彼が仕事から帰ってくるたびに、咲夜はその姿を見たくないと思うようになった。そして、ある夜、彼に言った。

「もう無理よ、大地」

その言葉は、自分でも驚くほどあっさりと口から出てきた。彼女はこの関係に限界を感じていた。最初は大地を手に入れるために全力を尽くしていたが、今ではその努力が空しく思えた。彼の心は完全に自分のものではなかったし、家族との絆を切ることもできなかった。

大地は驚いた顔をしたが、彼もまた疲れ切っているようだった。咲夜は自分が引き止められることを期待していなかった。彼はただ、静かに頷いた。

その瞬間、咲夜は解放されたような気持ちになった。だが同時に、強い虚しさも感じた。彼を失うことは怖かったが、それ以上に自分が追い求めていた理想が間違っていたことに気づいたからだ。

大地が去った後、咲夜はしばらくそのまま座り込んでいた。涙は出なかった。ただ、静かな夜の中で、自分の過ちと向き合っていた。

「私は何をしたかったんだろう?」

咲夜は彼に対して嘘をついたこと、自分の欲望だけで彼を縛ろうとしたこと、そのすべてが無意味だったことを悟った。彼との関係を続けることが、自分の幸せに繋がると思っていたが、それはただの幻想に過ぎなかったのだ。

しばらくして、咲夜は立ち上がり、窓の外を見た。夜の街は静かで、冷たい風が吹いていた。彼女は深く息を吸い込み、今度こそ本当に新しい人生を歩み出す決意をした。大地を手放すことで、自分自身を取り戻さなければならないと、ようやく気づいたのだ。

咲夜は一度も後ろを振り返らなかった。









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