妻と愛人と家族

シャーデンフロイデ 明日菜の葛藤

シャーデンフロイデ　明日菜の葛藤

明日菜は、夫・大地が戻ってきたとき、ただ目の前の現実を受け入れるしかなかった。しかし、その胸中は、静かな表情の裏で激しい葛藤に揺れていた。

彼が家を出てからの数ヶ月、彼女の心は静かに壊れていた。愛人が妊娠しているという宣言、そして突然の離婚要求。これまで積み重ねてきた家族としての時間が、あっけなく消えてしまうような感覚だった。大地に対する怒り、愛人に対する憎しみ、そして何よりも裏切られたという深い悲しみが、明日菜の心をずっと縛り続けていた。

その日、夫が出て行った後の家は、まるで時間が止まってしまったかのように感じられた。二人の娘たちは、彼女のことを心配していたが、同時に自分たちの選択として父親についていくと言った。明日菜は、その決意を聞いたとき、娘たちの成長に驚きつつも、どうしていいのかわからなかった。自分は専業主婦として家を守り、夫を支えてきた。それが家族のためだと思っていた。だが、突然の裏切りでその全てが無意味に感じられた。彼女は、一人残された家で、何度も夫の行動を考え、そして自分の存在意義さえも問い始めていた。

夫が出て行ってからの生活は、空虚で苦しかった。娘たちが時々様子を見に来るが、二人とも父親と過ごす生活に順応しているようで、笑顔さえ見せる。明日菜は彼女たちの前では気丈に振る舞ったが、夜になると、ベッドに横たわりながら涙が止まらなかった。どうしてこんなことになってしまったのか、どこで間違えたのか、何度も自問した。夫は本当に彼女たちを捨てて新しい家庭を作りたかったのか？その答えはわからなかった。

そして、夫が戻ってきた。愛人が妊娠していたという話は嘘だったと告げられた時、明日菜は最初、何も感じなかった。何故嘘をついたのかと問い詰める気力すら湧いてこなかった。それでも、夫が帰ってきたことに対して安堵する自分がいることにも気づいていた。

「許せるのだろうか…」と、彼女は何度も自問した。

大地は、泣きながら謝罪した。彼は、自分が愛人に溺れた理由を語り、彼女に全てを打ち明けたかったのだという。明日菜はその言葉を聞きながらも、どこか冷静な自分がいた。夫の浮気を知ってからの数ヶ月で、彼女の心は大きく変わっていた。かつては、家族のためなら何でも我慢し、夫を支えることが自分の使命だと思っていたが、今ではそう簡単に受け入れられなくなっていた。

大地が戻ってきたことで、家庭が元に戻るのか？そう簡単ではなかった。彼女は大地が帰ってくる日々の中で、自分自身に問いかけ続けていた。「私は彼を本当に許せるのか？」と。娘たちのために、家族のために、許した方がいいのだろうか？それとも、自分自身をもっと大切にするべきなのか？

彼女の心の中には二つの声が常に争っていた。一つは、夫を許して家族を再構築しようという声。娘たちは大地が戻ってきたことにほっとしているようだったし、家庭が再び平和になるなら、それが最善なのではないかという考えが浮かぶ。もう一つは、裏切られた自分のプライドと、自尊心を守ろうとする声。自分をこんなに傷つけた相手を許すことで、果たして自分は幸せになれるのだろうか？もし再び同じことが起こったら、その時自分はどうすればいいのか？

答えは出なかった。心の中でずっとこの二つの声が葛藤し続けていた。

ある日、大地がふと彼女に「本当に申し訳なかった」と言った。その瞬間、明日菜の中に溜まっていた感情が一気に溢れ出した。彼の顔を見つめながら、彼女は泣き出し、言葉にできない思いをそのまま涙に変えて表した。

「どうして？どうしてこんなことになったの？」彼女は声を震わせながら問いかけた。

大地は、ただ彼女の手を握り、何も言わなかった。その瞬間、明日菜は悟った。許すことは簡単なことではない。しかし、許すことが自分を解放する唯一の方法かもしれないということを。

それでも、彼女の心は完全に許すことはできなかった。時間が必要だった。大地がもう一度信頼を取り戻すためには、彼自身が努力し続けなければならない。そして、彼女もまた、家族としての新しい関係を築くために、自分自身を再発見しなければならなかった。

明日菜は、大地に向かって微笑みかけた。それは、完全な許しの表情ではなかったが、少しずつ前に進むための一歩だった。彼女の心の葛藤は終わったわけではないが、未来に向かって歩き出すことができる準備はできていた。