妻と愛人と家族

希望の光

希望の光

健一は、妻の理恵がうつ病と診断された時、まるで世界が崩れたかのような気持ちに襲われた。彼女はかつて、明るく家庭を支える存在だった。いつも子供たちに優しく、仕事で疲れて帰ってきた健一を笑顔で迎え入れてくれた。だが、今の彼女は違った。目に生気がなく、何をしていても上の空。家事も手につかず、子供たちともほとんど話さなくなった。

医者は「うつ病」と告げたが、健一は最初その言葉の重さを理解できなかった。単なる疲労や気分の落ち込みではないかと思ったが、時間が経つにつれ、彼女の状態は悪化していった。時折、健一に向かって怒りや苛立ちをぶつけてくることさえあった。彼は自分に原因があるのではないかと悩んだ。「もっと早く気づいていれば、彼女はこんな風にはならなかったのかもしれない」と自責の念にかられた。

しかし、医者やカウンセラーと話をする中で、うつ病は一人の責任ではないことを徐々に理解し始めた。彼女の感情の嵐は、彼が何をしてもすぐには収まるものではないと悟ったのだ。

ある日、健一は妻に声をかけた。「今日、少し外に出ないか？」

だが、理恵はただ首を横に振るだけだった。健一は無理強いせず、彼女の傍に座り続けた。何も言わず、ただそこにいることで、彼女に寄り添おうとした。しばらくの沈黙の後、理恵は小さな声で「もう、全部終わりにしたい」と呟いた。彼は一瞬言葉を失ったが、深呼吸してから静かに言った。「君がどんなに辛くても、僕は一緒にいるよ。一緒に乗り越えよう。」

その言葉が彼女に届いたのかは分からない。だが、それ以降、彼女は少しずつ心を開くようになった。健一は彼女を無理に笑わせようとしなかった。彼女が涙を流す時は、ただ静かにそばにいて話を聞いた。時には、彼女が何時間も泣き続けることもあったが、健一はその度に「大丈夫、君は一人じゃない」と優しく声をかけた。

家のことはほとんど健一がやるようになった。朝早く起きて子供たちの朝食を作り、学校へ送り出す。帰宅後は掃除や洗濯、夕食の準備をこなしながら、理恵の薬の管理もしっかりと行った。健一は彼女が少しでも外に出られるよう、毎日少しずつ散歩に誘った。最初は拒まれることが多かったが、ある日、理恵は小さな頷きとともに外に出る決心をした。

その日は青空が広がり、少し冷たい風が心地よく吹いていた。理恵は歩き出したものの、すぐに疲れた様子で足を止めた。健一は急かさず、彼女のペースに合わせて歩いた。彼女の体力も精神力も、完全に失われているのだと改めて実感した。だが、ほんの少しでも前に進むことができたこの瞬間を、健一は心の中で大切にした。

夜になると、健一は子供たちが寝静まった後、リビングで理恵と一緒に過ごす時間を大切にしていた。彼女は時々、「もう何も感じたくない」「何もかもが無意味だ」と言いながら、泣き崩れることもあった。それでも健一は決して彼女を責めることなく、ただ話を聞き、時には肩を貸して泣かせることもあった。

「君は強いんだ」と健一は言った。「僕がついているから、少しずつでも一緒に進んでいこう。」

医者の指示に従い、理恵は毎日決まった時間に薬を飲み、可能な限り外に出るよう努力を続けた。健一もまた、彼女の回復を信じて支え続けた。少しずつ、ほんの少しずつだが、理恵の中に変化が現れていった。ある日、彼女は健一に向かって小さく微笑んだ。それは彼にとって、この数ヶ月の中で最も大きな報酬だった。

健一はその微笑みを忘れない。「まだ道のりは長いかもしれない。でも、僕たちは一緒だ。」彼はそう心に誓い、理恵との未来を信じ続けた。