妻と愛人と家族

辛いししとうと辛くないししとう

辛いししとうと辛くないししとう

「辛いししとうって、なんであんなに辛いんだろうな」と、拓也はキッチンで料理をしながらぼやいた。

彼は今日、仕事帰りにスーパーで買ってきたししとうを焼いていた。ししとうは小さな緑の唐辛子に似た野菜で、たまに異常に辛いものが混じっていることがある。それを食べると、突然火を噴くような感覚が口の中に広がり、食事中の会話も止まってしまうほどだ。拓也はその「ロシアンルーレット的な要素」を少し楽しみにしながらも、警戒心を持っていた。

「辛くないのもあるし、辛いのもある。こればっかりは運次第だよな」

キッチンのカウンター越しに、妻の美咲が笑いながら返事をした。彼女は夕飯の支度を手伝うつもりで座っていたが、今日は拓也がメインで料理を担当していた。彼女の体調が少し悪いこともあって、拓也が率先して夕飯を作っていたのだ。

「で、今日はどうする？ししとう一緒に食べる？」

「うーん、ちょっと怖いけど食べるわ。最近食べてないし、たまにはいいかもね」

美咲は笑みを浮かべながら、ししとうの思い出に浸っていた。彼女たち夫婦は、初めてのデートの時、居酒屋でししとうの天ぷらを食べた。その時、拓也が「このししとう辛い！」と大声を上げて大笑いしたのが、二人の最初の楽しい思い出だった。

「覚えてる？あの時のししとう、すごく辛かったよね」

「覚えてるよ。あれ以来、ししとうはちょっとしたトラウマだな。でも、なんか癖になるんだよな」

拓也はフライパンでししとうを焼きながら、ふと思った。この不規則な辛さを楽しむことは、人生の予測不可能さに似ているのかもしれない。人生も、ししとうと同じように、時には何が飛び出すかわからない。良いことも悪いことも、突然訪れる。拓也はそういう「スリル」を楽しむ性格だったが、美咲は少し違った。彼女は安定を好み、予想外の出来事には不安を感じるタイプだった。

「ねえ、思ったんだけど、ししとうって人生に似てない？」

「え？何それ急に。どういう意味？」

「ほら、辛いか辛くないかなんて食べるまでわからないだろ。人生もさ、何が起こるかなんてわからないっていうか」

「確かにそうかもね。でも、できれば辛いのは避けたいな」

美咲はそう言いながらも、深い意味を感じていた。最近の生活は、彼女にとって少し辛いことが多かった。仕事のストレスや体調不良、そして将来に対する漠然とした不安が積み重なっていた。そんな時、彼女はできるだけ穏やかな日々を求めていたが、どうしても予測できない辛い出来事に直面することが避けられなかった。

「でもさ、辛いのもたまには悪くないと思うんだよな。だって、そういうのがあるから、辛くない時が余計にありがたく感じるんだよ」

拓也の言葉に、美咲は少し考え込んだ。確かに、全てが順調に進むだけでは、平凡すぎて面白くないかもしれない。辛い瞬間があるからこそ、幸せな瞬間が際立つ。そう考えると、少しだけ心が軽くなったような気がした。

「そうかもしれないね。でも、やっぱり辛すぎるのは嫌かな」

「まあ、適度に辛いのがいいんだよ。今夜のししとうも、程よく辛くないといいけど」

拓也はフライパンから焼き上がったししとうを皿に移し、食卓に並べた。香ばしい香りが部屋に広がり、二人はその香りに惹かれて箸を伸ばした。

美咲は一口ししとうを食べてみた。

「うん、これは辛くない！」

彼女はほっとしたように笑ったが、その瞬間、拓也がししとうを一口かじり、顔をしかめた。

「うわっ！これめちゃくちゃ辛い！」

二人は思わず顔を見合わせ、笑い声をあげた。辛いししとうが、再び彼らの食卓に笑顔をもたらした。辛さも、時には楽しみの一部になることを、二人は改めて実感した。

「まあ、こういうのも悪くないな」と、拓也は涙目になりながら笑った。「辛いことがあっても、こうやって笑いに変えられるなら、きっと大丈夫だよ」

美咲も頷きながら、心の中で小さな希望を感じていた。人生もまた、ししとうのように、辛いことが突然訪れても、笑い飛ばせる力があれば、乗り越えていけるのだと。

「そうだね、辛いことがあっても、こうやって一緒に笑えるなら大丈夫だと思う」

美咲は拓也の言葉に同意しながら、心が少し軽くなったのを感じた。最近の不安やストレスが、ししとうの辛さと同じように、一時的なものであることを彼女も理解し始めていた。辛さに直面すること自体が悪いわけではない。それをどう受け止め、どう対処するかが大切なのだ。彼女はこれまで、辛いことを避けることに意識を向けすぎていたことに気付いた。

「辛いのも、たまには必要だよね。じゃないと、いつもと違うって感じられないもんね」

「そうそう」と拓也はししとうを手に取り、もう一口かじった。「たまにはこういう思いがけない辛さがあっても、俺たちならなんとかやっていけるさ」

二人はそのまま食卓に戻り、ししとうの話題で笑いながら夕食を続けた。日常の何気ない瞬間にこそ、大切な気づきが隠されているものだ。食事の合間に繰り広げられる会話や、何気ない笑顔が、彼らの生活に小さな希望と勇気を与えてくれていた。

ししとうの辛さが次に訪れる時がいつになるかはわからない。それは明日かもしれないし、しばらく先かもしれない。けれど、二人はそれを恐れずに受け入れる覚悟を持っていた。辛さも笑いに変えられるのだという確信が、彼らの心にしっかりと根付いていたからだ。

「さて、次は何を作ろうかな」と拓也が言いながら、食器を片付け始めた。

「次は何でもいいけど、できれば辛くないものがいいな」と美咲が冗談めかして答えた。

二人の笑い声がまた、キッチンに響く。辛いことも、嬉しいことも、全てが人生の一部だと改めて感じながら、彼らはこれからも一緒に歩んでいくのだろう。ししとうの辛さに負けないように、二人の絆もまた、少しずつ強くなっていく。

人生はししとうのように予測できない部分もあるけれど、共に笑い合いながら、その時々を大切に過ごすことで、どんな辛さも乗り越えていける。今夜の食卓での出来事は、そんな小さな教訓を二人に残してくれたのだった。