妻と愛人と家族

春秋花壇

文字の大きさ
上 下
782 / 1,223

登攀(とうはん)

しおりを挟む
登攀(とうはん)

第一章:挑戦の始まり
天気は快晴、空は青く澄み渡っていた。雄大な山々が広がる北アルプスの一角、標高3000メートルを超える槍ヶ岳(やりがたけ)の山頂を目指して、一人の若者が静かに歩を進めていた。彼の名は浅田信二、二十八歳。幼い頃から山に魅せられ、数々の登山経験を積んできたが、今回の挑戦はこれまで以上に困難で、彼にとって大きな意味を持っていた。

「ここまで来たんだ、絶対に山頂にたどり着くぞ…」信二は自分自身に言い聞かせるように呟いた。

槍ヶ岳は鋭い三角形の山容で「日本のマッターホルン」とも称される。その美しさと厳しさが登山者の心を掴んで離さない。しかし、険しい岩肌と強風、変わりやすい天候が、時に命をも奪うこともある厳しい山だ。

信二がこの山を選んだ理由は、彼の亡き父、登山家であり、彼の憧れの存在でもあった浅田浩二が、かつてこの山で命を落としたからだ。信二は幼少期から父の後を追い、山を登り続けてきたが、父が果たせなかった槍ヶ岳の登頂は、彼にとって父との「再会」でもあり、彼自身の成長を証明する旅でもあった。

第二章:厳しい道のり
標高2000メートルを越える頃から、信二の体は徐々に重く感じ始めた。酸素が薄くなり、足元の岩肌は急峻さを増している。彼は慎重に岩に手を掛け、一歩ずつ確実に登っていった。

「焦るな、落ち着いて、一歩ずつだ。」信二は呼吸を整えながら、自分に言い聞かせた。だが、心の奥底には、父の最後の瞬間を想像する不安と恐怖が湧き上がってきていた。

それでも、彼は振り返ることなく登り続けた。父が残した日記には、槍ヶ岳への執念と未練が記されており、それを読んだ信二は涙を流しながら、いつか自分がこの山頂に立ち、父の無念を晴らすことを誓った。

時折、強風が吹き荒れ、信二の身体を揺さぶる。彼は必死に体勢を整え、岩にしがみつきながら耐えた。標高2500メートルを越えた辺りから、道はますます険しくなり、鎖場やはしごが続く。

「ここを越えれば、山頂はもうすぐだ。」信二は疲れた体に鞭打ち、前へ進んだ。

第三章:苦しい選択
そして、ついに彼は最後の難関である「天を突く槍」に差し掛かった。鋭く尖った岩場が、まるで天に向かって突き出しているように見える。ここからは命綱なしで、ほぼ垂直に近い岩壁を登る必要があった。

信二は慎重に岩を探り、手と足の位置を確認しながらゆっくりと登り始めた。呼吸は荒く、全身が汗でびっしょりだ。手が滑り、岩肌から足を外しそうになる度に、彼は父の姿を思い出し、何とか踏みとどまった。

「父さん、俺はやれる、絶対に…!」信二は叫ぶように自分を奮い立たせた。

しかし、突然、彼の視界が暗くなった。目の前の岩肌がぼやけ、頭がクラクラと揺れた。高度による酸素不足が原因だった。信二は無理をして登り続けていたのだ。

「ダメだ…ここで無理をしたら、父さんと同じことになってしまう…」彼は悔しさと恐怖に震えながらも、岩にしがみつき、必死に息を整えた。これ以上登り続けるか、それともここで引き返すか。彼の中で葛藤が渦巻く。

その時、ふとポケットの中に入れていた父の遺品、山頂を目指す直前に父が残した日記の一節が頭をよぎった。「山は逃げない。無理をせず、いつかまた挑戦すればいい。」

「父さん…」信二は目を閉じ、涙を拭った。そして、自分自身に言い聞かせるように呟いた。「今はここまでにしよう。でも、必ずまた来る。父さんのために、そして俺自身のために…」

信二はゆっくりと体を引き戻し、慎重に降り始めた。彼の心には、未練と悔しさが残ったが、同時に次の挑戦への決意が芽生えていた。

第四章:新たな誓い
ベースキャンプに戻った信二は、振り返って槍ヶ岳の山頂を見上げた。あの鋭い峰が、彼を見下ろしているように感じられた。信二は深呼吸をし、もう一度心の中で父に語りかけた。

「父さん、俺はまだまだ未熟だ。でも、必ずもう一度、この山に挑戦する。今度は父さんの無念を晴らし、俺自身の力を証明するために…」

信二は笑みを浮かべ、山頂に向かって敬礼をした。そして、心の中で新たな誓いを立てた。

「次は必ず、山頂に立ってみせる。その時は、父さんも一緒に登っていると信じて。」

その日以来、信二はさらに登山の技術を磨き、体力を鍛えるために日々努力を重ねた。そして、一年後の夏、彼は再び槍ヶ岳を目指すことを決意した。

今度こそ、父と共に山頂に立つことを信じて。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

今日の授業は保健体育

にのみや朱乃
恋愛
(性的描写あり) 僕は家庭教師として、高校三年生のユキの家に行った。 その日はちょうどユキ以外には誰もいなかった。 ユキは勉強したくない、科目を変えようと言う。ユキが提案した科目とは。

秘事

詩織
恋愛
妻が何か隠し事をしている感じがし、調べるようになった。 そしてその結果は...

服を脱いで妹に食べられにいく兄

スローン
恋愛
貞操観念ってのが逆転してる世界らしいです。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

パパのお嫁さん

詩織
恋愛
幼い時に両親は離婚し、新しいお父さんは私の13歳上。 決して嫌いではないが、父として思えなくって。

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

処理中です...