妻と愛人と家族

アイロンがけをする

「アイロンがけをする」

日曜日の朝、いつも通り静かな家の中で、由美はアイロン台を出していた。リビングの窓から差し込む柔らかな陽光が、彼女の前に積み上げられたシャツやズボンに光を当てている。山のように溜まった洗濯物を見つめながら、由美は深くため息をついた。

「これも、いつの間にか溜まっちゃうんだよね…」

夫の康介は平日は朝早くから夜遅くまで仕事で忙しく、家事はほとんど由美が担当している。二人の子どもたち、颯太と直人もまだ小学生で、手がかかる年齢だ。そんな生活の中で、アイロンがけはいつも後回しにされ、週末になると山のようにたまってしまう。

「よし、今日はまとめて片付けよう」

由美はアイロンをコンセントに差し込み、温度が上がるのを待つ間、リビングのソファに座った。テレビでは、子ども向けのアニメが流れている。颯太と直人は床に座って、夢中になってそれを見ていた。

「ねぇ、颯太、直人。ちょっと手伝ってくれる？」

由美が声をかけると、二人は一瞬振り返ったが、すぐにまたアニメに集中してしまう。子どもたちが手伝ってくれるのは稀だ。由美は笑って肩をすくめ、アイロンに向き直った。

「まぁ、いつものことか」

アイロンを手に取り、一枚目のシャツに手を伸ばす。康介の仕事用のワイシャツだ。毎日着るものだから、シワひとつない状態にしておきたい。それが彼女にとっての、小さな「妻としての務め」だと思っている。シャツの襟を整えながら、彼の疲れた顔を思い出す。

「康介も大変だよね…」

彼が家に帰ってくるのはいつも遅い。仕事で疲れているのか、家ではあまり話をしないが、アイロンがけをしながら由美は康介のことを考える時間が増えた。彼が仕事で苦労しているのは分かっているが、どこか心の距離を感じる日もある。

「ちゃんと話をしないといけないよね…」

アイロンを滑らせながら、由美はそんなことを思い始めた。二人が結婚してから十年が経ち、日常がルーティンのようになってしまった気がする。家事や子育て、仕事に追われる中で、いつの間にかお互いに向き合う時間が少なくなっていた。

次のシャツに手を伸ばそうとしたとき、颯太が立ち上がって由美に近づいてきた。

「ママ、僕も手伝うよ！」

由美は驚いた。颯太が自分から手伝いを申し出るのは珍しいことだ。

「え、いいの？ありがとう」

彼女は微笑み、シャツを渡した。颯太はまだ慣れていない様子でぎこちなくアイロンを持ち、慎重にシャツのシワを伸ばしていく。その姿を見て、由美は心の中が温かくなるのを感じた。少しずつ成長している息子の姿が、何よりも嬉しかった。

「颯太、上手だね。次はこのズボンもお願いできる？」

「うん！」

颯太は自信満々に頷き、次のズボンに取りかかる。直人もそれを見て、興味を示し始めた。

「僕もやりたい！」

「いいよ、じゃあ一緒にやろうか」

由美は直人にもアイロンがけの手伝いを頼んでみる。二人で仲良く交代しながら作業をしている様子に、由美は自然と笑みがこぼれた。これまで、子どもたちに家事を手伝わせることはほとんどなかったが、こうして一緒にやることで彼らも楽しんでいるようだった。

その時、玄関のドアが開く音がした。康介が買い物から帰ってきたのだ。

「ただいまー。お、みんなでアイロンがけしてるのか」

康介がリビングに入ってきて、由美と子どもたちの様子を見て驚いた顔をした。

「そうなの。今日はみんなでお手伝いしてくれてるのよ」

由美がそう言うと、康介はニッコリと笑った。

「偉いな、颯太、直人。俺も手伝おうかな」

康介は冗談めかして言ったが、由美はその一言に少し驚いた。普段は家事にあまり関わらない彼が、今日は自分から手伝おうと言うのだ。由美は彼にシャツを手渡し、アイロンの使い方を教えた。

「ありがとう、助かるよ」

康介がアイロンをかけている姿は、少しぎこちなくもあったが、由美はその姿に何とも言えない安堵感を覚えた。夫婦でこうして一緒に家事をする時間が久しぶりに感じられ、彼との距離が少し縮まったような気がした。

「やっぱり、こうして一緒にやるのっていいね」

由美がそう言うと、康介は頷きながら答えた。

「そうだな。たまにはこういう時間も必要だな」

その後も、家族全員でアイロンがけを進め、ようやく山のように溜まっていた洗濯物がすべて片付いた。リビングには、ピカピカにアイロンがけされたシャツとズボンが整然と並んでいた。

「これでやっとすっきりしたね」

由美はそう言って、満足そうに笑った。康介も子どもたちも、達成感を感じた様子だった。家族で一緒に何かを成し遂げるということの大切さを、改めて実感した一日だった。

「今度は、料理も一緒にやろうか」

康介がそう提案すると、由美は嬉しそうに頷いた。