妻と愛人と家族

春秋花壇

文字の大きさ
上 下
699 / 1,227

秋の終わりに

しおりを挟む
「秋の終わりに」

吉田友貞(80)は、薄暗い自宅の窓から見える庭の紅葉をぼんやりと眺めていた。もうすっかり葉は落ち、裸の枝だけが寒風に揺れている。妻、節子(85)を失った日から、彼の心も同じように空虚なままだった。節子の視力が徐々に失われ、認知症の症状が進行していく中で、友貞は一人で介護を続けていた。誰も助けてくれなかった。近所の人々は節子の奇行に眉をひそめ、家族は遠くに散らばっていた。頼れる人はもういなかった。

友貞は節子の世話を焼き続けた。最初は家事全般の手伝いから始まり、次第に彼女の手を取り、食事を口に運び、トイレに連れて行くようになった。彼は自分の体力の衰えを感じながらも、節子が少しでも楽になるよう、毎日必死だった。しかし、彼女の妄想や攻撃的な言動がエスカレートするにつれ、友貞の心は次第に削られていった。

夜中に節子が叫び出すことが増えた。「誰かが私を見てる!」と空っぽの部屋を指さし、布団を引っ張って引きずり出そうとする節子を、友貞は何度もなだめた。彼女の徘徊が始まり、家の外に出ようとするのを何度も引き戻した。そんな日々が続く中、友貞の体力と精神は限界を迎えていた。眠れない夜が続き、食欲も失せ、友貞自身もどんどん痩せていった。

その日も、友貞は節子が興奮して家の中を徘徊するのを見守っていた。節子は「友貞さん、友貞さん、私を置いていかないで」と泣き叫びながら手を伸ばしてきたが、その手は友貞に届く前に床に落ちた。友貞は無力感に苛まれながら、節子の手を取った。「ここにいるよ。ずっといるから」と彼は優しく言ったが、節子の目には何も映っていなかった。

疲れ切った友貞は、そのまま節子を抱きしめ、ソファに座らせた。彼女の目は虚ろで、遠くを見つめていた。友貞は節子の肩に手を置き、少しの間だけでも静かになってくれることを祈った。その時、節子が再び何かを叫び、友貞の手を振り払った。「お前なんてもういらない!誰もいない!みんな私を置いていく!」節子の声が鋭く響いた。

友貞の中で何かが切れた。節子の首に手を伸ばした瞬間、自分が何をしているのかさえ理解できなかった。ただただ、節子を静かにさせたかった。それが唯一の解放だと思ったのだ。節子の細い首に手を回し、力を込めた。節子のかすれた声が耳に残る中、友貞はさらに強く押しつけた。視界が白くぼやけ、頭の中で何かが弾けたような感覚がした。

次に気がついた時、節子の体は冷たく硬くなっていた。友貞はその場に崩れ落ち、節子の顔を見たが、その目はもう何も訴えていなかった。友貞は何も感じなかった。ただ、長い戦いが終わったことを静かに受け入れた。彼の手は節子の頬に触れることなく、震えて止まっていた。

警察が到着したとき、友貞は自分のしたことを語った。涙も感情もなく、ただ事実を淡々と述べた。法廷では、彼の行動が「介護疲れの果て」なのか「衝動的な殺人」なのかが議論された。裁判長は友貞に懲役3年、執行猶予5年の判決を下した。判決文を読み上げる中、裁判長は涙を浮かべながら「結果は大変重い。私たちは悩み抜いた上でこの結論にたどり着きました」と語りかけた。

判決後、友貞は静かに家に戻り、一人で暮らし続けた。節子のいない家はあまりにも静かだった。友貞は庭に落ちた紅葉を拾い集めながら、過ぎ去った日々を思い返した。彼は節子のためにできることは全てやったと信じていたが、最後の瞬間の自分を許すことはできなかった。友貞は節子の写真に向かって手を合わせ、「もう少し、一緒にいてやれたらよかったな」と呟いた。写真の中の節子は、若かりし日のまま微笑んでいた。










しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

服を脱いで妹に食べられにいく兄

スローン
恋愛
貞操観念ってのが逆転してる世界らしいです。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

秘事

詩織
恋愛
妻が何か隠し事をしている感じがし、調べるようになった。 そしてその結果は...

お父さんのお嫁さんに私はなる

色部耀
恋愛
お父さんのお嫁さんになるという約束……。私は今夜それを叶える――。

処理中です...