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秋の終わりに
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「秋の終わりに」
吉田友貞(80)は、薄暗い自宅の窓から見える庭の紅葉をぼんやりと眺めていた。もうすっかり葉は落ち、裸の枝だけが寒風に揺れている。妻、節子(85)を失った日から、彼の心も同じように空虚なままだった。節子の視力が徐々に失われ、認知症の症状が進行していく中で、友貞は一人で介護を続けていた。誰も助けてくれなかった。近所の人々は節子の奇行に眉をひそめ、家族は遠くに散らばっていた。頼れる人はもういなかった。
友貞は節子の世話を焼き続けた。最初は家事全般の手伝いから始まり、次第に彼女の手を取り、食事を口に運び、トイレに連れて行くようになった。彼は自分の体力の衰えを感じながらも、節子が少しでも楽になるよう、毎日必死だった。しかし、彼女の妄想や攻撃的な言動がエスカレートするにつれ、友貞の心は次第に削られていった。
夜中に節子が叫び出すことが増えた。「誰かが私を見てる!」と空っぽの部屋を指さし、布団を引っ張って引きずり出そうとする節子を、友貞は何度もなだめた。彼女の徘徊が始まり、家の外に出ようとするのを何度も引き戻した。そんな日々が続く中、友貞の体力と精神は限界を迎えていた。眠れない夜が続き、食欲も失せ、友貞自身もどんどん痩せていった。
その日も、友貞は節子が興奮して家の中を徘徊するのを見守っていた。節子は「友貞さん、友貞さん、私を置いていかないで」と泣き叫びながら手を伸ばしてきたが、その手は友貞に届く前に床に落ちた。友貞は無力感に苛まれながら、節子の手を取った。「ここにいるよ。ずっといるから」と彼は優しく言ったが、節子の目には何も映っていなかった。
疲れ切った友貞は、そのまま節子を抱きしめ、ソファに座らせた。彼女の目は虚ろで、遠くを見つめていた。友貞は節子の肩に手を置き、少しの間だけでも静かになってくれることを祈った。その時、節子が再び何かを叫び、友貞の手を振り払った。「お前なんてもういらない!誰もいない!みんな私を置いていく!」節子の声が鋭く響いた。
友貞の中で何かが切れた。節子の首に手を伸ばした瞬間、自分が何をしているのかさえ理解できなかった。ただただ、節子を静かにさせたかった。それが唯一の解放だと思ったのだ。節子の細い首に手を回し、力を込めた。節子のかすれた声が耳に残る中、友貞はさらに強く押しつけた。視界が白くぼやけ、頭の中で何かが弾けたような感覚がした。
次に気がついた時、節子の体は冷たく硬くなっていた。友貞はその場に崩れ落ち、節子の顔を見たが、その目はもう何も訴えていなかった。友貞は何も感じなかった。ただ、長い戦いが終わったことを静かに受け入れた。彼の手は節子の頬に触れることなく、震えて止まっていた。
警察が到着したとき、友貞は自分のしたことを語った。涙も感情もなく、ただ事実を淡々と述べた。法廷では、彼の行動が「介護疲れの果て」なのか「衝動的な殺人」なのかが議論された。裁判長は友貞に懲役3年、執行猶予5年の判決を下した。判決文を読み上げる中、裁判長は涙を浮かべながら「結果は大変重い。私たちは悩み抜いた上でこの結論にたどり着きました」と語りかけた。
判決後、友貞は静かに家に戻り、一人で暮らし続けた。節子のいない家はあまりにも静かだった。友貞は庭に落ちた紅葉を拾い集めながら、過ぎ去った日々を思い返した。彼は節子のためにできることは全てやったと信じていたが、最後の瞬間の自分を許すことはできなかった。友貞は節子の写真に向かって手を合わせ、「もう少し、一緒にいてやれたらよかったな」と呟いた。写真の中の節子は、若かりし日のまま微笑んでいた。
吉田友貞(80)は、薄暗い自宅の窓から見える庭の紅葉をぼんやりと眺めていた。もうすっかり葉は落ち、裸の枝だけが寒風に揺れている。妻、節子(85)を失った日から、彼の心も同じように空虚なままだった。節子の視力が徐々に失われ、認知症の症状が進行していく中で、友貞は一人で介護を続けていた。誰も助けてくれなかった。近所の人々は節子の奇行に眉をひそめ、家族は遠くに散らばっていた。頼れる人はもういなかった。
友貞は節子の世話を焼き続けた。最初は家事全般の手伝いから始まり、次第に彼女の手を取り、食事を口に運び、トイレに連れて行くようになった。彼は自分の体力の衰えを感じながらも、節子が少しでも楽になるよう、毎日必死だった。しかし、彼女の妄想や攻撃的な言動がエスカレートするにつれ、友貞の心は次第に削られていった。
夜中に節子が叫び出すことが増えた。「誰かが私を見てる!」と空っぽの部屋を指さし、布団を引っ張って引きずり出そうとする節子を、友貞は何度もなだめた。彼女の徘徊が始まり、家の外に出ようとするのを何度も引き戻した。そんな日々が続く中、友貞の体力と精神は限界を迎えていた。眠れない夜が続き、食欲も失せ、友貞自身もどんどん痩せていった。
その日も、友貞は節子が興奮して家の中を徘徊するのを見守っていた。節子は「友貞さん、友貞さん、私を置いていかないで」と泣き叫びながら手を伸ばしてきたが、その手は友貞に届く前に床に落ちた。友貞は無力感に苛まれながら、節子の手を取った。「ここにいるよ。ずっといるから」と彼は優しく言ったが、節子の目には何も映っていなかった。
疲れ切った友貞は、そのまま節子を抱きしめ、ソファに座らせた。彼女の目は虚ろで、遠くを見つめていた。友貞は節子の肩に手を置き、少しの間だけでも静かになってくれることを祈った。その時、節子が再び何かを叫び、友貞の手を振り払った。「お前なんてもういらない!誰もいない!みんな私を置いていく!」節子の声が鋭く響いた。
友貞の中で何かが切れた。節子の首に手を伸ばした瞬間、自分が何をしているのかさえ理解できなかった。ただただ、節子を静かにさせたかった。それが唯一の解放だと思ったのだ。節子の細い首に手を回し、力を込めた。節子のかすれた声が耳に残る中、友貞はさらに強く押しつけた。視界が白くぼやけ、頭の中で何かが弾けたような感覚がした。
次に気がついた時、節子の体は冷たく硬くなっていた。友貞はその場に崩れ落ち、節子の顔を見たが、その目はもう何も訴えていなかった。友貞は何も感じなかった。ただ、長い戦いが終わったことを静かに受け入れた。彼の手は節子の頬に触れることなく、震えて止まっていた。
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