妻と愛人と家族

家族で食育

「家族で食育」

夏の夕暮れ、夕食の時間が近づくと、キッチンはにぎやかになった。佐藤家では、家族全員がそろって夕食を作るのが習慣となっていた。母の真奈美はキッチンに立ち、冷蔵庫から新鮮な野菜を取り出すと、息子の悠斗と娘の美咲に声をかけた。

「今日のメニューは、野菜たっぷりのカレーと手作りサラダよ。悠斗、美咲、一緒に手伝ってくれる？」

「はーい！」元気よく返事をした美咲は、台に手が届くように小さな踏み台に乗り、にんじんの皮をむき始めた。悠斗はまな板を取り、玉ねぎを切る準備をしていた。

真奈美は、家族で一緒に食事を作ることが食育の第一歩だと考えていた。料理の準備を通じて、子どもたちに食材の大切さや栄養のバランスを学んでほしかったからだ。また、自分たちで作る楽しさを知ることで、食への興味や自信も育まれると思っていた。

「ねぇ、ママ。このにんじん、なんか変な形してる！」美咲がにんじんを指さして笑った。確かに、そのにんじんはまるで二股に分かれた足のような形をしていた。

「そうだね。でも、こういうのも自然の一部だし、ちゃんとおいしいよ。形が変でも、栄養はたっぷりだから大事に使おうね。」真奈美はにんじんを優しく洗い、皮をむいてカットするように美咲に教えた。

その横で悠斗は、玉ねぎを切りながら涙目になっていた。「あー、目が痛いよー。」

「玉ねぎはね、辛いけど体にいいんだよ。切る時に鼻で息をしないようにすると涙が出にくいよ。」と真奈美がアドバイスしたが、悠斗は手を止めず、「大丈夫、もう慣れたよ。」と笑って続けた。

父の拓也も帰宅し、エプロンをつけてキッチンに加わった。「お、今日はカレーか。俺の得意な味に仕上げようかな。」彼はガスコンロの前でカレーのルーを作り始めた。

「パパのカレー、いつもおいしいよね！」と美咲が目を輝かせる。

「秘密はね、ちょっとだけ隠し味にチョコレートを入れるんだ。甘みとコクが出て、子どもたちも食べやすくなるんだよ。」と拓也が言うと、美咲と悠斗は「えー、チョコレート？！」と驚きつつも興味津々で覗き込んだ。

家族全員が役割を分担しながら、楽しく調理が進んでいく。悠斗はジャガイモを丁寧にカットし、美咲はトマトのサラダをデコレーションしていた。真奈美は、それぞれの手元を確認しながら、料理の進み具合を見守っている。

料理が終わり、テーブルに並べられたカレーとサラダは、どれも色鮮やかで美味しそうだった。家族全員でテーブルを囲むと、真奈美が「みんな、お疲れさま。今日も一緒においしいご飯が作れたね。いただきます！」と声をかけた。

「いただきます！」と家族全員が声をそろえ、食事が始まった。真奈美はこの瞬間が一番好きだった。家族が一緒に食事を楽しむことで、食べ物の大切さや一緒に過ごす時間の尊さを感じることができるからだ。

「このにんじん、形は変だったけど味は同じだね。」と美咲がにこにこと言った。

「そうだろ？ 食べ物って見た目だけじゃなくて、中身が大事なんだよ。」悠斗も頷きながら答えた。

食事の時間が過ぎていく中、真奈美はふと考えた。毎日の食事作りは大変だが、こうして家族全員で関わりながら行うことで、子どもたちにとっても貴重な学びの場になっている。この食育の時間が、いつか子どもたちの心に残り、将来の食事の選び方や生活の一部になるのだろうと思うと、頑張る意味があった。

食べ終わった後、子どもたちは率先して片付けを始めた。美咲が「また一緒に作ろうね！」と言うと、悠斗も「次は何作る？」と続けた。

「そうだな、次は野菜スープとかどう？」と拓也が提案すると、子どもたちは「いいね！」と目を輝かせた。

その夜、真奈美は眠る前に日記を開き、今日の出来事を綴った。「家族で作る食事は、ただの食べ物以上のものを与えてくれる。それは、絆や思い出、そして未来への贈り物。」

静かな夜、真奈美は心の中で今日の出来事を反芻し、心地よい疲労感とともに目を閉じた。家族で食べるご飯が、これからも続いていくことを願いながら。


「食卓に込められた想い」
時が経ち、佐藤家の子どもたち、悠斗と美咲はそれぞれ中学生と高校生になっていた。忙しい日々の中で、家族全員が揃って食卓を囲むことは次第に少なくなっていたが、週末の夜だけは特別だった。土曜の夜は「家族の時間」として、昔からの習慣を続けていた。

この夜も、真奈美がキッチンで夕食の準備をしていた。以前と同じように、子どもたちに声をかけたが、返事はなかった。ふと顔を上げると、悠斗はスマートフォンに夢中で、美咲は勉強に没頭していた。ふたりとも手伝う素振りはない。真奈美は少し寂しさを覚えながらも、ひとりで料理を続けた。

しかし、ふとしたきっかけで変化が訪れる。美咲が学校の家庭科で「自分で考えたレシピで料理を作る」という課題を出され、久々に台所に立つことになったのだ。美咲は真奈美に相談し、「健康を意識した献立を作りたい」と話した。真奈美は微笑みながら、冷蔵庫の中の野菜を一緒に確認した。

「昔、あなたが変な形のにんじんを見つけて笑ってたこと、覚えてる？」と真奈美が尋ねると、美咲は照れ笑いを浮かべた。

「覚えてるよ。でも、今はあのにんじんも、農家の人が一生懸命育ててくれたものだから、大事にしなきゃって思う。」

美咲は昔とは違って、食材の一つ一つに思いを馳せるようになっていた。家庭科の授業を通じて、食材の背景や生産者の思いに気づき、食べ物への意識が変わったのだ。彼女の成長を感じた真奈美は、胸が熱くなった。

その翌週末、佐藤家の食卓には、美咲が考えたヘルシーな献立が並んでいた。彩り豊かなサラダ、カロリー控えめの鶏むね肉のグリル、そして、美咲が特に工夫した野菜スープだ。家族全員が揃い、美咲の料理を囲んで座った。

「すごいじゃん、美咲。見た目もきれいだし、味もおいしい！」悠斗は一口食べるなり、妹を褒めた。

「ありがとう。でも、もっと勉強しないとね。料理って奥が深いから。」美咲は少し照れながらも嬉しそうに笑った。

食を通じたコミュニケーションは、次第に家族の間で復活していった。悠斗も学校の部活動での疲れを料理に癒されるようになり、自然と台所に立つことが増えた。ある日、悠斗は真奈美にこう話した。

「最近、部活の後にみんなでファストフードばっかり食べてたんだけど、なんか体が重くてさ。だから、週末くらいはちゃんとしたご飯を食べたいって思うようになったんだ。」

彼の言葉に真奈美は頷いた。「そうね、食べるものが体を作るから、大事にしたいよね。」

ある晩、真奈美はふとしたことから家族の「秘密」を思い出していた。実は、真奈美の母、つまり悠斗と美咲のおばあちゃんは料理人で、町で評判のレストランを経営していた。子どもたちが小さい頃、その話をしても興味を示さなかったため、自然と話題に出なくなっていたのだが、真奈美は再びその話をしようと思い立った。

食卓の片隅に置かれた古びたレシピノートを手に取り、家族に見せると、ふたりは驚いたようにページをめくった。

「これ、おばあちゃんのレシピなの？ずっとここにあったのに気づかなかった。」と悠斗が言う。

「そうよ。このノートには、おばあちゃんが工夫して作ったたくさんの料理が載っているの。あなたたちにも、この味を伝えたかったの。」

美咲はそのレシピの中から、一つの料理に目を止めた。「このケーキ、作ってみたい！」

真奈美と拓也も手伝い、家族全員でおばあちゃんのケーキを作ることになった。甘い香りがキッチンに広がり、かつての記憶と新しい思い出が重なり合う。完成したケーキは、おばあちゃんの作ったものとは少し違ったが、それでもどこか懐かしい味がした。

「おばあちゃんも、きっと喜んでるよね。」と美咲が微笑んだ。

「そうだね。おばあちゃんの味が、私たちの食卓に戻ってきたみたいだ。」真奈美も感慨深げに答えた。

食を通して家族の絆が深まり、食卓は再びコミュニケーションの中心となった。佐藤家の夕食は、単なる食事を超え、家族の思い出や成長をつなぐ大切な時間へと変わっていった。

それからも、佐藤家では新しいレシピに挑戦したり、おばあちゃんのノートを参考にしたりしながら、食卓の楽しみを共有し続けた。家族にとっての「秘密」は、これからも料理を通じて受け継がれ、未来へと続いていくのだろう。