妻と愛人と家族

不思議な人間

不思議な人間

リビングには家族全員が揃い、テレビの音を背景に、それぞれが夕食を囲んでいた。父の浩一は仕事で疲れた顔をしているが、笑顔を絶やさないように努めていた。母の香織はキッチンでスープの味見をしながら、息子の大輔と娘の菜々美の様子を気にかけていた。家族の雰囲気は和やかだが、どこかぎこちなさもあった。

「ねえ、みんなさ、人間って不思議だと思わない？」と、菜々美が箸を置いて、突然話を切り出した。彼女は中学三年生で、思春期特有の繊細さと鋭い観察力を持っていた。

「どうしたの、急に？」浩一が彼女の言葉に耳を傾ける。

「だってさ、雨が降っても風が吹いても全然平気な時もあれば、ただ人がたくさんいるだけで耐えられない時もあるじゃん。なんでだろうね？」菜々美はそう言いながら、自分の心の中で何かがざわめくのを感じていた。

「確かにそうだね。お天気なんかには負けないのに、人混みには疲れるってことあるよね。」香織は笑顔で答えたが、その言葉にはどこか自分への重なりを感じているようだった。

大輔は黙っていたが、ふと目を上げて菜々美を見た。「それって、社会不適合ってやつかな？」と、少し冗談めかして言ったが、その瞳には真剣さが宿っていた。

菜々美はため息をつきながら答えた。「ううん、社会不適合って言うほどじゃないと思うけど…。ただ、学校に行くのがしんどい時があるんだ。クラスメートと話すのも、授業を受けるのも、何もかもが重たく感じる時があるの。なのに、同じ日でも雨の日には外でずぶ濡れになっても平気だったりするから、なんでだろうって思うの。」

香織は菜々美の話を聞きながら、そっと彼女の肩に手を置いた。「菜々美、それは普通のことだよ。みんな、それぞれのタイミングでそういう気分になることがあるの。人間って、機械じゃないから、いつも同じじゃないし、感情も状況も毎日変わるものなんだよ。」

「でも、なんで私はこんなに不安定なのかな？」菜々美は少し俯きながら言った。香織の言葉は彼女に安心感を与えたが、それでも不安は完全には消えなかった。

浩一は静かにその様子を見守りながら、自分の若い頃を思い出していた。彼もまた、社会に馴染めないと感じた時期があったのだ。大学時代、サークル活動がうまくいかず、周囲との温度差に苦しんだことがあった。それを思い出しながら、菜々美に声をかけた。

「菜々美、俺も若い頃はそうだったよ。何かがうまくいかないと、すぐに自分が社会不適合だって思っちゃってさ。でも、それってみんなが通る道なんだと思う。自分がどこに合うかなんて、すぐに見つかるものじゃないから、焦らなくていいんだ。」

大輔は父の言葉にうなずきながら、自分も菜々美に共感する部分があると感じていた。「俺もさ、学校でみんなといるのがしんどい時がある。友達と話してるのに、なんか一人でいる気がすることもあってさ。でも、その感覚が変わる時もあるし、なんていうか…波があるよね。」

菜々美はその言葉に少し安心したようだった。「そうなんだ…みんなもそういう風に感じることがあるんだね。」彼女は、家族の中で一人だけが悩んでいるわけではないことを知り、少しだけ心が軽くなった。

香織は優しく微笑んで、さらに言葉を続けた。「大事なのは、そんな時に自分を責めないこと。私もね、家事が思うようにいかない時とか、仕事のことを考えすぎて落ち込むことがある。でも、そういう自分も含めて、自分なんだって受け入れるようにしてるの。」

「そうだね。人間って、思っているよりも自分のことを受け入れるのが下手だよね。」浩一は頷きながら、菜々美に目を向けた。「菜々美、お前がどう感じているかはお前だけのものだし、それを無理に変える必要はないんだ。無理に社会に合わせることなんてないさ。」

菜々美は少しの間、考え込んだように見えたが、やがて笑顔を浮かべた。「ありがとう、お父さん、お母さん、大輔。なんか、少し楽になったよ。」

「俺たち家族はいつだって味方だからさ。何かあったらいつでも話してよ。」大輔は少し照れくさそうに言いながら、菜々美の頭を軽く撫でた。菜々美はその優しさに感謝しながら、「うん」と小さく頷いた。

その夜、菜々美は自分の部屋に戻りながら、家族の言葉を反芻した。自分が感じている不安や違和感は、必ずしも「おかしい」わけではなく、それも人間として自然なことなのだと理解し始めていた。雨が降ろうが風が吹こうが平気な日もあれば、ただ人がたくさんいるだけで苦しくなる日もある。それは、人間という存在の不思議さであり、個性でもあるのだと。

そして彼女は、その不思議な感覚も自分自身の一部だと受け入れることが、少しずつできるようになりたいと思った。家族がいることで、それが少しずつでも可能になるかもしれないと信じていた。

次の日の朝、リビングに集まった家族の顔は、どこか明るく、穏やかだった。それぞれが抱える悩みや不安は消えたわけではないが、共有することで少し軽くなったのだろう。それは、家族の絆がさらに深まった証だった。

「今日も頑張ろうね。」浩一がそう声をかけると、菜々美も「うん！」と元気に応えた。その笑顔には、昨日よりも少しだけ自信が宿っていた。