妻と愛人と家族

秋風に 今か今かと紐解きて うら待ち居るに 月かたぶきぬ

 秋風に　今か今かと紐解きて　うら待ち居るに　月かたぶきぬ 

秋の夜風がひんやりと頬を撫でる。彼女は縁側に座り、時折指先で着物の紐を解き直す。その動作は何度も繰り返され、その度に紐は丁寧に結び直されるが、心の中ではまるで時間が止まったかのように感じていた。

「今か今か…」彼女はそう心の中でつぶやきながら、庭先に立つ一本の松を見つめていた。その向こうには、彼が現れるはずの道が続いている。昼間の忙しさが過ぎ去り、静寂が辺りを包み込むと、彼女の心は一層、待ち望む思いで満たされた。

待つという行為は、彼女にとって楽しみの半分であり、残りの半分は彼と過ごす時間そのものだった。赤毛のアンが言った「何かを待つってその楽しさの半分にあたるわ」という言葉がふと頭をよぎり、彼女は小さく微笑んだ。アンは、夢見るような少女の言葉で人生の真理をついていると感じた。

夕方、彼からの「少し遅れる」との手紙を受け取った。彼の筆跡が優しく、彼の気配を感じさせる。彼女はその手紙を何度も読み返し、彼の気持ちを心の中で味わった。

時間が経つにつれ、空には月が顔を出し、徐々に高く昇り始めた。彼女は少しずつ焦燥感を覚えたが、それでも心の中には温かな期待が残っていた。彼がこの道を歩いてくる瞬間を、彼女は心の中で何度も思い描いた。彼が現れ、彼女を見つめ、二人が再会するその一瞬のために、彼女はすべての時間を費やす覚悟でいた。

庭の小さな池に映る月が、少しずつ西へと傾き始めた。時間は確かに過ぎているのだが、彼女にとってはその感覚がまるで無意味であるかのようだった。ただ彼を待つ、その一点のために心が支配されていた。

彼女は着物の袖を軽く握りしめ、もう一度紐を確かめた。秋風がまた吹き抜け、木々の葉がさやさやと音を立てる。彼女は深呼吸をし、夜の冷たさを肌で感じた。彼が現れないかもしれない、そう思うと胸が苦しくなるが、それでも彼女は心のどこかで彼が来ると信じていた。

やがて、月が完全に西の空に傾いた。庭先の松の影が伸び、夜が深まる。彼女の心は焦りと共に、少しずつ静かな諦めへと変わりつつあった。だが、その諦めは完全ではなかった。彼が遅れることはいつものことであり、それでも彼女を思って手紙を寄越してくれたことを思い出すと、胸がじんと温かくなった。

やがて、遠くから小さな音が聞こえてきた。彼女は耳を澄ませ、その音が近づいてくるのを確かめた。心が急に高鳴り、彼女は立ち上がった。松の向こうから現れたのは、待ちに待った彼の姿だった。

「遅くなってしまったね。」彼が微笑みながら近づいてくる。彼女はその声を聞くと、すべての不安や焦燥が霧散するのを感じた。彼の言葉ひとつひとつが、彼女の心に染みわたる。

「ううん、大丈夫よ。」彼女は微笑み返しながら、彼に近づいた。二人は静かに見つめ合い、夜の静寂の中で再会の喜びを共有した。待つことの楽しみが彼女の中で満ちていたのは、この瞬間のためだった。

秋の風が二人の周りを優しく包み込み、庭には月の光が柔らかく降り注いでいた。月がかたぶくまで、彼女は彼を待ち続けた。そして、その待ち続けた時間が、二人の再会を一層甘美なものにしていたのだ。