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8歳 ドラクエの世界へ
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ドラクエの世界へ
夜が静かに更けていく。窓の外には暗闇が広がり、時折、遠くの車の音が微かに聞こえるだけだった。僕は8歳。小さな部屋の片隅に座り、分厚い毛布にくるまって、膝の上にゲーム機を置いていた。手の中で操作するボタンの感触が、少しだけ心を落ち着かせてくれる。
画面の中では、勇者がドラゴンと戦っていた。僕は、その勇者に自分を重ねていた。現実の僕は、小さな子供で、ただ一人夜遅くまで家にいるしかないけれど、ドラクエの中では僕は強い戦士で、悪を打ち倒し、世界を救うことができる。だから、ゲームの中にいる時だけは、少しだけ安心できた。
最近、お母さんは家にいないことが多くなった。以前は毎晩一緒に夕食を食べて、寝る前に絵本を読んでくれていたけれど、今はその代わりに、帰りが遅くなったり、家にいる時でもどこかぼんやりとしていたりすることが増えた。僕が学校から帰ると、冷たい家が待っている。家はいつも静かで、ただお母さんが帰るのを待つだけの時間が過ぎていく。
お母さんがアルコール依存症になったことを知ったのは、つい最近のことだ。お母さんは、夜遅くまで飲み続けていた。そしてある日、近所の人が救急車を呼ぶ騒ぎになった。それから、お母さんは自助グループに通うようになり、少しずつ生活が変わった。けれど、僕が感じる孤独感は変わらなかった。夜遅くまでお母さんが帰らない時、僕は不安で胸がいっぱいになる。
「お母さん、どこにいるの?」と何度もつぶやいたことがあった。だけど、答えは返ってこない。だから僕は、自分を守るために、ドラクエの世界に逃げ込むようになった。ドラクエの中では、何もかもが僕のコントロール下にある。勇者になって魔物と戦い、仲間を助け、村を救う。その瞬間だけは、僕は強く、そして必要とされる存在になれる。
ある晩、いつものようにゲームをしていた僕は、ふと顔を上げて部屋を見回した。薄暗い部屋の中、僕の足元には、乱雑に置かれたおもちゃや本が転がっていた。毛布に包まれた僕の姿は、まるで別の世界に閉じこもっているかのように見えた。この部屋が、僕の現実。だけど、今はそれを認めたくなかった。だから、再び画面に目を向け、ボタンを押し続けた。
突然、玄関のドアが静かに開く音がした。僕の心臓が一瞬で跳ね上がる。お母さんが帰ってきたんだ。いつもならすぐに駆け寄る僕だけど、その夜はなぜか動けなかった。お母さんがまた、どこか遠い場所に行ってしまうような気がして、怖くてたまらなかった。
やがて、お母さんの足音が廊下を通り、リビングへと消えていった。僕はまだ画面を見つめたまま、勇者を操作していたけれど、集中できなかった。お母さんが家にいるのに、何も言葉を交わさないのが、なんだか寂しかった。
数分後、リビングからお母さんの声が聞こえた。「ごめんね、遅くなって。今日はどんな日だった?」
その声は、少し疲れたように聞こえた。僕は答えたくて口を開こうとしたけど、何も言えなかった。代わりに、ゲームの中で勇者が勝利を収めた音が部屋に響いた。画面の中では、世界が救われたと告げられたけれど、僕の心には重い何かが残っていた。
お母さんは僕の部屋のドアをそっと開け、優しく話しかけてきた。「眠る前に、少しお話しようか。」
僕は少し迷ったが、毛布を脱ぎ捨てて、お母さんの元に向かった。リビングに座ると、お母さんは僕の隣に腰を下ろし、ゆっくりとした口調で話し始めた。
「今日は、自助グループの集まりでね、みんながいろんな話をしてくれたの。自分がどうしてお酒に頼ってしまったのか、どうやってそれを克服しようとしているのか。」
僕はじっとお母さんの顔を見つめた。お母さんの目には、涙が浮かんでいた。彼女は続けて話した。
「でも、そこで気づいたの。あなたと一緒に過ごす時間が、私にとって一番大切なんだって。お酒じゃなくて、あなたの笑顔が私を救ってくれるんだって。」
その言葉を聞いたとき、僕の胸に温かいものが広がった。お母さんは僕のことを、ちゃんと考えてくれていたんだ。その事実が、僕を少しだけ安心させた。
お母さんは僕をぎゅっと抱きしめ、「ごめんね、今まで一人で辛い思いをさせて。これからは、一緒にいろんなことを乗り越えていこうね」と言った。その抱擁に、僕は涙が止まらなかった。お母さんがそばにいてくれるだけで、こんなにも安心できるんだ。
その夜、僕はお母さんの隣で眠った。ドラクエの世界にはもう戻らなかった。現実の世界で、お母さんと一緒にいる方が、もっと大切な冒険だと気づいたからだ。
次の日から、お母さんとの生活は少しずつ変わっていった。自助グループから帰ってくる時間が早くなり、僕たちは一緒に夕食を作り、テレビを見ながら笑い合った。お母さんは時々つらそうな顔をすることもあったけど、そんな時は僕がそばにいると、お母さんも安心してくれた。
ドラクエの世界は、僕にとって一時的な逃避場所だったけれど、今ではそれ以上に現実の世界が好きになった。お母さんと過ごす時間が、何よりも大切だと感じるようになったからだ。
僕は、強い勇者じゃないかもしれない。でも、お母さんを守るために、どんな困難にも立ち向かう勇気を持っている。これからも、お母さんと一緒に歩んでいく。たとえどんなに夜が長くても、僕たちは一緒だから、怖くない。
そして、いつか本当にドラクエの世界にワープしなくてもいい日が来ることを、僕は信じている。お母さんと一緒に過ごす現実の冒険が、僕にとって一番素晴らしいものだから。
夜が静かに更けていく。窓の外には暗闇が広がり、時折、遠くの車の音が微かに聞こえるだけだった。僕は8歳。小さな部屋の片隅に座り、分厚い毛布にくるまって、膝の上にゲーム機を置いていた。手の中で操作するボタンの感触が、少しだけ心を落ち着かせてくれる。
画面の中では、勇者がドラゴンと戦っていた。僕は、その勇者に自分を重ねていた。現実の僕は、小さな子供で、ただ一人夜遅くまで家にいるしかないけれど、ドラクエの中では僕は強い戦士で、悪を打ち倒し、世界を救うことができる。だから、ゲームの中にいる時だけは、少しだけ安心できた。
最近、お母さんは家にいないことが多くなった。以前は毎晩一緒に夕食を食べて、寝る前に絵本を読んでくれていたけれど、今はその代わりに、帰りが遅くなったり、家にいる時でもどこかぼんやりとしていたりすることが増えた。僕が学校から帰ると、冷たい家が待っている。家はいつも静かで、ただお母さんが帰るのを待つだけの時間が過ぎていく。
お母さんがアルコール依存症になったことを知ったのは、つい最近のことだ。お母さんは、夜遅くまで飲み続けていた。そしてある日、近所の人が救急車を呼ぶ騒ぎになった。それから、お母さんは自助グループに通うようになり、少しずつ生活が変わった。けれど、僕が感じる孤独感は変わらなかった。夜遅くまでお母さんが帰らない時、僕は不安で胸がいっぱいになる。
「お母さん、どこにいるの?」と何度もつぶやいたことがあった。だけど、答えは返ってこない。だから僕は、自分を守るために、ドラクエの世界に逃げ込むようになった。ドラクエの中では、何もかもが僕のコントロール下にある。勇者になって魔物と戦い、仲間を助け、村を救う。その瞬間だけは、僕は強く、そして必要とされる存在になれる。
ある晩、いつものようにゲームをしていた僕は、ふと顔を上げて部屋を見回した。薄暗い部屋の中、僕の足元には、乱雑に置かれたおもちゃや本が転がっていた。毛布に包まれた僕の姿は、まるで別の世界に閉じこもっているかのように見えた。この部屋が、僕の現実。だけど、今はそれを認めたくなかった。だから、再び画面に目を向け、ボタンを押し続けた。
突然、玄関のドアが静かに開く音がした。僕の心臓が一瞬で跳ね上がる。お母さんが帰ってきたんだ。いつもならすぐに駆け寄る僕だけど、その夜はなぜか動けなかった。お母さんがまた、どこか遠い場所に行ってしまうような気がして、怖くてたまらなかった。
やがて、お母さんの足音が廊下を通り、リビングへと消えていった。僕はまだ画面を見つめたまま、勇者を操作していたけれど、集中できなかった。お母さんが家にいるのに、何も言葉を交わさないのが、なんだか寂しかった。
数分後、リビングからお母さんの声が聞こえた。「ごめんね、遅くなって。今日はどんな日だった?」
その声は、少し疲れたように聞こえた。僕は答えたくて口を開こうとしたけど、何も言えなかった。代わりに、ゲームの中で勇者が勝利を収めた音が部屋に響いた。画面の中では、世界が救われたと告げられたけれど、僕の心には重い何かが残っていた。
お母さんは僕の部屋のドアをそっと開け、優しく話しかけてきた。「眠る前に、少しお話しようか。」
僕は少し迷ったが、毛布を脱ぎ捨てて、お母さんの元に向かった。リビングに座ると、お母さんは僕の隣に腰を下ろし、ゆっくりとした口調で話し始めた。
「今日は、自助グループの集まりでね、みんながいろんな話をしてくれたの。自分がどうしてお酒に頼ってしまったのか、どうやってそれを克服しようとしているのか。」
僕はじっとお母さんの顔を見つめた。お母さんの目には、涙が浮かんでいた。彼女は続けて話した。
「でも、そこで気づいたの。あなたと一緒に過ごす時間が、私にとって一番大切なんだって。お酒じゃなくて、あなたの笑顔が私を救ってくれるんだって。」
その言葉を聞いたとき、僕の胸に温かいものが広がった。お母さんは僕のことを、ちゃんと考えてくれていたんだ。その事実が、僕を少しだけ安心させた。
お母さんは僕をぎゅっと抱きしめ、「ごめんね、今まで一人で辛い思いをさせて。これからは、一緒にいろんなことを乗り越えていこうね」と言った。その抱擁に、僕は涙が止まらなかった。お母さんがそばにいてくれるだけで、こんなにも安心できるんだ。
その夜、僕はお母さんの隣で眠った。ドラクエの世界にはもう戻らなかった。現実の世界で、お母さんと一緒にいる方が、もっと大切な冒険だと気づいたからだ。
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僕は、強い勇者じゃないかもしれない。でも、お母さんを守るために、どんな困難にも立ち向かう勇気を持っている。これからも、お母さんと一緒に歩んでいく。たとえどんなに夜が長くても、僕たちは一緒だから、怖くない。
そして、いつか本当にドラクエの世界にワープしなくてもいい日が来ることを、僕は信じている。お母さんと一緒に過ごす現実の冒険が、僕にとって一番素晴らしいものだから。
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