お金がない

影の中で

影の中で

田中智子は、東京の郊外にある古びたアパートの一室で息を呑んでいた。彼女はひとり親として、長年にわたって息子の翔太を育ててきたが、最近、その生活がますます厳しくなっていることを実感していた。

翔太はまだ中学生だが、学校では周りの友達と遊ぶ時間もなく、家にいることが多かった。それは智子にとって、少しずつ心の中で芽生えている不安を表していた。翔太にとって、学校は次第に居心地の悪い場所になり、智子はそれが生活の中で感じられるストレスの一因だとわかっていた。

智子は毎日、パートタイムの仕事に明け暮れていた。昼間はカフェで働き、夜はスーパーでのレジ打ちをしている。しかし、時給が上がることはなく、仕事を掛け持ちしても、生活の基盤がしっかりと支えられているとは言えない。

月末になるたびに、智子は家計簿を開くときのため息をついた。家賃、光熱費、食費、それらすべてを支払うのがやっとで、時には支払いが遅れることもあった。そのたびに、心のどこかで罪悪感が芽生えていった。翔太においしい食事をあげられないこと、必要な物を買ってあげられないことが、何より辛かった。

ある日、翔太が智子に小さな声で言った。「お母さん、今日は学校に行きたくないな。」智子は驚き、息子をじっと見つめた。翔太の瞳には、疲れきったような表情が浮かんでいた。

「どうして、翔太？」智子は優しく尋ねた。

翔太は少し躊躇した後、言った。「学校で、みんなが新しいゲームを買ったって話してたんだ。僕、そんなの買えないから、みんなと話すのが恥ずかしいんだ。」

智子の胸が痛んだ。翔太はまだ子供だ。物質的なものを求める年齢なのに、そんなことを考えなければならない現実が、智子にとっては何より苦しかった。

その日の晩、智子は一人で台所で夕飯を作りながら、ふと窓の外を見た。そこには、同じように毎日を生き抜く人々がいることを感じた。だが、そのすべての人々が笑顔で生きているわけではないのだ。経済的な困難は、見えないところで静かに人々の心を蝕んでいるのだろうか。

智子の家の近所にも、ひとり親家庭や高齢者世帯が多く住んでいた。そうした人々は、生活が苦しいことを口にすることなく、毎日をなんとか乗り切っている。だが、それぞれが直面している問題は、他人の目には見えにくい。智子もまた、自分の貧困を隠し、周囲の人々に心配をかけたくなかった。

翔太の小さな胸の中で、また新たな不安が芽生えたことを考えると、智子はこの先どうなるのか不安で仕方がなかった。翔太は将来、どんな夢を持ち、どんな道を歩むのだろう？ もし今、何もできなければ、その夢を潰してしまうことにならないかと心配になった。

数日後、智子は支払いが遅れている家賃をどうしても払わなければならなかった。だが、金銭的な余裕がない。そんな時、彼女の元に一通の手紙が届いた。それは、生活保護の申請書類だった。

「こんなことになったのか…」智子は手紙を手に取り、少し涙を浮かべながら呟いた。彼女はこれまで、生活保護のことを考えたこともなかった。しかし、今はその申請をするべきなのだろうと感じていた。

それでも、彼女は心の中で葛藤していた。自分が生活保護を受けることで、何か自分に対する誇りが傷つくのではないかという恐れがあった。それに、翔太にどう説明すればいいのかが分からなかった。子供には、「お金が足りないから支援を受けるんだ」と言うべきなのか、悩みながらも考え続けた。

その夜、智子は寝室で翔太と向き合いながら、話を切り出すことに決めた。「翔太、これからちょっとだけ、家計が厳しくなるかもしれない。だから、みんなで頑張らなきゃいけないんだよ。」

翔太はしばらく黙っていたが、やがて静かに言った。「大丈夫だよ、お母さん。僕も、もっと勉強して、早く大きくなって、お母さんを助けるよ。」

その言葉を聞いた瞬間、智子は泣きたくなった。翔太はまだ子供だというのに、自分を支えようとしている。智子は強くなければならない、そして、翔太にできる限りのことをしてあげなければならないと心に誓った。

だが、貧困という現実の重さは、簡単には取り除けるものではない。智子は生活保護の申請をし、少しでも生活が安定するよう努力し始めた。将来への不安は消えることなく、日々を生き抜く力をどこから得るのか、その答えを見つけるために戦い続けるのだろう。