お金がない

囁きの罠

「囁きの罠」

川村直子は、自身のスマホに届いたメッセージに視線を落とした。穏やかな日々を送っていた彼女にとって、SNSを通じた新しい出会いは、少しの刺激と期待をもたらしてくれていた。そのメッセージの送り主は、ジョンと名乗る外国人男性だった。彼は丁寧で誠実そうな印象で、優しい言葉を交えながら、彼女の生活や趣味について聞いてくれた。

数週間が経ち、直子とジョンの会話は日常の楽しみとなっていた。ジョンは「将来を共に考えたい」と語り、彼女も「この人は本当に私を想ってくれているのでは」と思うようになっていった。そんな時、彼は投資について話し始めた。「君のために、資産を増やして安心した生活を共に送りたいんだ」と。彼の言葉に、直子の心は揺れた。

ジョンは巧みに、投資に詳しいふりをしながら彼女に「初めてみようか」と提案してきた。「これは絶対に安全な投資だから安心してほしい」と繰り返す彼の言葉に、直子は最初の疑念を抱かなかった。彼の指示通りにお金を送金すると、しばらくして「利益が増えたよ！」と彼から報告が届き、直子は自分の決断に少しだけ自信を持った。

しかし、次第に話は変わっていった。「手続きのために追加の資金が必要だ」とジョンは言い始め、送金の額は次第に大きくなっていった。何度も送金を求められる中で、直子はようやく違和感を感じ始めた。ジョンに問いただすと、彼は「もう少しだから、ここで諦めたら今までの努力が水の泡だよ」と彼女を説得し続けた。愛と信頼を利用して、彼女の不安を打ち消そうとする巧妙な手口だった。

心配になった直子は、ふとしたタイミングで、地元の交番で配布していた詐欺防止ハンドブックを手に取ることにした。それは福岡県警と地元の大学が協力して作成したもので、近年増加しているSNSを通じた「投資・ロマンス詐欺」の手口や注意点が詳細に記されていた。直子はページをめくりながら、そこで記載された詐欺の特徴に、自分の状況がぴったりと一致することに気づいた。

直子の手は震え、体中に冷や汗が流れた。今まで信じていたジョンが、ただの詐欺師だった可能性を目の当たりにした瞬間だった。彼のメッセージは優しく、愛に溢れているように見えたが、それらは全て計算された言葉だった。彼女は深呼吸をしながら、冷静さを取り戻し、詐欺被害を未然に防ぐために、ハンドブックに記載されている助言に従うことに決めた。

まず、警察に相談し、すべてのやり取りと送金の詳細を提供した。捜査が進む中で、彼女が送金した資金の大部分は既に別の口座に移されていたものの、一部が凍結されて返金の可能性が出てきた。警察からは「あなたの行動がなければ、もっと大きな被害が出ていたでしょう」と感謝され、彼女の中でほのかな安堵が広がった。

その後、直子は詐欺防止のための講座に参加し、同じ被害に遭わないよう地域の人々に呼びかける活動を始めることにした。彼女が持っていたハンドブックを手に取ったとき、ビジュアルデザインや心理学の知識を取り入れて詐欺の危険をわかりやすく伝えるための工夫が施されていることに気づき、制作者たちの思いに感謝の気持ちを抱いた。

講座で直子は語った。「私も信じてしまったんです。でも、こうして気づけたのは、あのハンドブックのおかげでした。詐欺師は私たちの心を利用し、巧妙に近づいてきます。一人で悩まずに、必ず誰かに相談してください。」

彼女の言葉は、参加者の心に響き、会場には拍手が湧き起こった。詐欺師の囁きに惑わされることのない、未来への防波堤となるようにと。