お金がない

声の向こう側

声の向こう側

新潟県三条市の静かな住宅街に暮らす佐藤文恵さんは、夫に先立たれてからもう数年、ひとり暮らしを続けていた。彼女の年金は毎月の生活をなんとか支えるものであり、少しずつ貯めてきたわずかな貯金もある。しかし、将来の不安は消えず、彼女は毎日慎ましく暮らしていた。

10月2日の昼下がり、文恵さんがテレビを見ていると、電話が鳴った。画面には見慣れない番号が表示される。少し迷ったが、彼女は受話器を取った。

「もしもし、佐藤文恵さんでいらっしゃいますか？」落ち着いた声の男性が話し始めた。「私、三条市役所の者です。実は、文恵さんの年金が多く支給されてしまったことがわかりまして、その差額を還付したいと思い、お電話させていただきました」

文恵さんは、突然の話に戸惑いながらも、真面目な口調に信じてしまった。還付金が返ってくるなら、それは嬉しいことだと感じた。「でも、手続きはどうしたら…」

「ご安心ください。すぐに手続きできるよう、サポートセンターにおつなぎしますね」と男は言った。

電話の向こうで、別の「サポートセンター担当者」に繋がると、その男もまた同じく丁寧な口調で指示を続けた。「文恵さん、今から最寄りのATMコーナーに行っていただき、私が案内いたします。電話は切らずに、そのまま操作をしてください」

文恵さんは言われるがままに銀行へと向かった。ATMに着くと、「振り込み」を指定された通りに操作し、送金を行った。まさかこれが詐欺だなどと夢にも思わなかった彼女は、安心した気持ちで帰路についた。

だが、それは始まりに過ぎなかった。その後も何度か「還付金の手続きに追加で振り込みが必要」と連絡が入り、そのたびに彼女はATMで指示通りに操作を続けた。振り込み回数が増えるたび、不安が募るものの、「市役所の人だから」と信じ込んでいた。

10月10日、文恵さんがようやく真実に気付くきっかけが訪れた。彼女の銀行から電話がかかってきたのである。「佐藤様、連続した高額な送金をされておりますが、詐欺の可能性があるかと思われます」と、金融機関の担当者が告げた。

その言葉に、文恵さんは初めて足がすくむような恐怖を感じた。「詐欺…？そんな、あの市役所の人が…」文恵さんは現実を受け入れられず、思わず震える声で答えた。

半信半疑のまま、彼女は警察に連絡し、事情を説明した。警察の捜査員が訪れ、彼女の話を聞き取ると、「残念ですが、これは典型的な特殊詐欺です。市役所の職員がATMを使って振り込み操作を指示することはありません」と告げられた。

文恵さんは茫然自失の状態に陥った。彼女が大切に積み上げてきた546万円は、すでに見知らぬ誰かの手に渡ってしまっていたのだ。

その夜、彼女は一人、暗い部屋の中で涙を流した。何度も何度も振り込んだあのATMの画面が頭に浮かび、耳には詐欺師の落ち着いた声が残響する。「還付金」や「手続き」といった言葉の裏側に潜む悪意を思うと、悔しさと恥ずかしさで胸が押し潰されそうだった。

彼女は深いため息をつき、心の中でこう決意した。「もう、こんな電話には二度と騙されない。私のような思いを他の人がしないよう、周りに話して注意を呼びかけなくては…」

翌日、文恵さんは友人たちが集まるサロンに向かい、この出来事を語ることにした。涙ながらに語る彼女の姿に、友人たちも言葉を失った。彼女は最後にこう締めくくった。

「皆さんも、電話でお金の話が出たら、絶対に一度電話を切って確認してくださいね。私のように大事なお金を失わないために」

文恵さんの経験は、静かな町の住民たちの間で話題になり、少しずつ広まっていった。そして、彼女の語った言葉は、次第に三条市内の人々の耳に届き、詐欺の被害を防ぐための警鐘となった。

それでも、文恵さんの心に刻まれた傷は消えることなく、彼女は日々を慎ましく生きることを決意した。そして、彼女の経験から生まれた「注意の声」は、彼女が心から願うように、同じ悲劇を防ぐ一助となることを祈っていた。