お金がない

お寿司と集会

「お寿司と集会」

彩香は、小さなアパートの扉を開けると、部屋に漂うわずかな香りに気づいた。テーブルの上に置かれたパック寿司が目に入る。家族が買ってきてくれたものだ。数日間、食事はほとんどインスタントラーメンで済ませていた彩香には、この贅沢なご馳走が目の前にある光景が信じられなかった。

「お寿司…久しぶりだなぁ…」

つぶやきながら、寿司パックに手を伸ばす。心の中で感謝が溢れる。最近の彩香の生活は、極力節約の日々だった。仕事も忙しく、財布の中身はいつも心許なかったため、簡単に済ませられるインスタント食品が彼女の主な食事となっていた。

そのうえ、体力も限界に近づいていた。仕事に追われ、帰宅しても疲れが取れず、心に余裕を持てない日々が続いていた。だからこそ、この寿司が何倍も価値を感じる。

冷蔵庫を開けると、そこには夜中に自分で買ったビールもどきが並んでいるのが見えた。お寿司とビール――その組み合わせは、疲れた体と心を癒す理想の晩餐になるはずだ。彩香の喉が一瞬鳴り、ビール缶を取り出そうと手を伸ばしかけた。

だが、ふと時計を見る。午後6時30分を指している。今日はクリスチャンの集会が19時から予定されていたのだ。彩香は、数年前からその集会に参加しており、いつも礼拝の時間には真剣に心を傾けるようにしていた。ビールを飲んでしまったら、礼拝中に気が緩んでしまうだろう。

「ぐっと我慢、我慢…」

彼女は、自分に言い聞かせるように冷蔵庫のドアをそっと閉じた。ビールは礼拝が終わったあとに飲むことに決め、今は心を落ち着けることを優先するべきだ。せっかくのご馳走を前にして、飲みたい気持ちを抑えるのは辛いが、彩香にとって集会は心の平穏を保つための大切な時間だった。

テーブルに向かい、パック寿司のフタを開けると、色とりどりのネタが美しく並んでいた。マグロ、サーモン、エビ、そしてイクラ。どれも新鮮で、目にするだけで心が躍る。お金がなくて苦しい時期を乗り越えてきた彩香には、こうしたご馳走がまさに夢のようだった。

一貫を手に取り、口に運ぶ。酢飯の柔らかさと、ネタの新鮮さが口の中で混ざり合い、豊かな風味が広がる。ほんのり甘い醤油が全体を引き立て、一瞬で心が満たされていくのを感じた。

「本当に美味しい…ありがとう」

家族が彩香のために寿司を買ってきてくれたその気持ちが嬉しくて、思わず独り言のように感謝の言葉が口をついて出た。こんなふうに心から感謝できる瞬間は、最近の彩香にとって少し珍しいことだった。

普段は忙しさに追われ、日々の些細な喜びを感じる余裕がなかった。だが、今この瞬間だけは、全てが特別に思えた。お寿司の一つ一つが宝物のようで、家族の温かさが伝わってくる。

「ビールはあとでね…」

彩香はもう一度冷蔵庫の方向をちらりと見やった。お寿司を食べ終えたら、集会に向かうための準備をしなければならない。クリスチャンとしての集会は、日々のストレスを解消し、自分自身を見つめ直す大切な時間でもあった。

寿司をゆっくりと味わいながら、心の中で少しずつ明日のことを考え始めた。集会が終われば、また明日がやってくる。厳しい仕事、忙しい生活、そして絶え間ないプレッシャー。それでも、こうして小さな幸せを感じる瞬間があるからこそ、前に進んでいける。

午後7時前、彩香は部屋を出る準備を整えた。少し背筋を伸ばし、礼拝のために気持ちを切り替える。ビールは冷蔵庫の中で静かに待っている。お寿司の残りを少しラップに包み、冷蔵庫の中にしまった。

「あとで飲むから、待っててね」

彩香は冷蔵庫に向かって、冗談めかしてつぶやいた。礼拝が終わったあと、家に帰ってから、また少しだけお寿司を楽しもう。ビールを飲みながら、今日の出来事に感謝しつつ、静かな時間を過ごす。それが彼女のささやかな楽しみだった。

外に出ると、秋の夜風が心地よく彩香の頬を撫でた。少し肌寒く感じたが、その冷たさが彼女の体に心地よく染み渡る。心の中は、すでに寿司で満たされた温かさと、これから迎える礼拝の静けさが入り交じっていた。

「美味しいお寿司を食べられて、集会にも行けるなんて、今日はいい日だな」

彩香はそう思いながら、ゆっくりと集会の場所へと歩みを進めた。