お金がない

堤帝国の崩壊

「堤帝国の崩壊」

俺は子供の頃から西武鉄道に乗っていた。家族と一緒にデパートに行くのは楽しみだったし、特に池袋の西武デパートはその象徴だった。巨大なビルに並んだ高級品や人々の喧騒、鮮やかな照明が作り出す非日常の空間。それが俺にとって「大人の世界」だった。

しかし、あれだけの繁栄を誇っていた堤帝国――西武鉄道と西武デパートを中核とする巨大グループが、今は過去の栄光となっている。どうして堤家が築いた巨大な帝国は、こうもあっけなく崩壊してしまったのか。そんな疑問が頭をよぎるのは、俺の目の前に広がる現在の池袋が、かつての賑わいを失い、すっかり様変わりしてしまったからだ。

かつての栄華の影には、いくつもの問題が隠されていた。西武グループは一見盤石に見えたが、その内部には危機の種が芽生えていたのだ。

堤義明――西武鉄道とプリンスホテルを中心にグループを率いていた男は、一代で日本屈指の経済帝国を築き上げた。その経営手腕は確かで、革新的なアイデアを持ち、観光業を含む多角的な事業展開を成功させた。しかし、その一方で、堤家の影響力は次第に外部とのバランスを崩し、内部での緊張も高まっていた。

長年の栄華を享受する中、グループの成長は自然と歪みを生じ始めた。特にバブル崩壊後の90年代、堤家のやり方が時代と乖離していくのが鮮明になっていた。西武鉄道がバブル時代に展開した開発プロジェクトは、その巨大な負債を隠す形で抱え込み、経営が次第に難しくなっていく。だが、堤家はその巨大な財力と威光を信じて、あくまで強気な姿勢を貫いていた。

当時の堤義明は、従業員に対して厳格で知られたが、同時に彼自身もまた、決して現実を直視することができていなかったのだろう。鉄道事業やホテル業でのシェアは守られ、観光業やスポーツビジネスでも業績をあげていたが、裏で膨らむ負債の存在が大きくのしかかっていた。さらに、新しい世代の消費者がデパート文化から遠ざかっていく現象も、誰も止めることができなかった。

「堤帝国が崩壊するなんて、誰も思ってなかったよな」と、友人の佐藤がある日、池袋駅で俺に話しかけてきた。俺たちはかつての西武グループの栄光を知る世代だ。佐藤は西武デパートの常連だったし、俺も小さい頃は父親に連れられて何度も足を運んだものだ。

「そうだな。俺もまさかあんなに大きな会社が、こんな風になるとは思わなかったよ」と俺は返した。

西武デパートは、今やかつての輝きを失っていた。店内を歩く人々はまばらで、かつての高級感は見る影もない。新しい消費の形――ネット通販やショッピングモールがデパート文化を打ち砕いたのだ。

「だけど、堤家がやり過ぎたんだよ。あれだけ多くの事業を抱え込んで、負債が膨らんでたんだろ？」佐藤はそう言って、肩をすくめた。「義明さんは確かにすごい人だったけど、一人で抱えすぎたのかもしれないな」

その言葉を聞きながら、俺はかつての栄華の影にあった問題点を思い出していた。特に、プリンスホテルやスキーリゾートの事業が赤字を出し続ける中で、鉄道事業や不動産事業がそれを支えるという構造が限界に来ていた。そして、何よりも堤家の独裁的な経営スタイルが、内部の軋轢を生み、崩壊を早めたのだろう。

最終的に、堤義明は西武グループを去り、彼の手による帝国は終焉を迎えた。西武鉄道も、西武デパートも、多くの資産が売却され、グループの事業は解体された。栄華の時代は、完全に幕を閉じたのだ。

しかし、それでも俺はかつての西武デパートの輝きを忘れることができない。あの頃の池袋の象徴的な風景、輝くショーウィンドウ、そして子供心に感じた非日常の世界。それらがすべて過去のものとなり、今はただの記憶の中にしか存在しない。

「でもさ、あの頃の西武はやっぱりすごかったよな」

佐藤の言葉に、俺は頷いた。確かに、あの栄華を享受できたのは特別なことだった。しかし、どんな大きな帝国も、いずれは崩壊する。それが現実なのだろう。西武の栄光も、堤義明の夢も、すべては時代の波に飲み込まれていった。

池袋の駅を出ると、俺はふと、西武デパートの正面を見上げた。かつては多くの人々が行き交い、その巨大なビルが街の象徴だった場所が、今では古びた外観に寂しさが漂っている。どこかで工事の音が響き、ビルの一部が改装されるのだろうと気づく。だが、かつての輝きを取り戻すことはないだろう。あの豪華絢爛なデパートが、時代の変遷とともに静かにその役目を終えていくように見える。

俺はふと、堤家のことを考えた。堤義明の成功と失敗。その手腕で日本を代表する企業グループを築き上げたが、その巨大な帝国は一代限りで崩れてしまった。しかし、あれだけのスケールで夢を追いかけることができたのもまた、彼の類まれな才能と情熱があったからこそだろう。

「やっぱり、どんなに大きな夢でも、一人で背負うには限界があるんだな」

そう呟きながら、俺は駅に向かって歩き始めた。何かを成し遂げるには、仲間や後継者との協力が必要だ。どんな天才でも、一人の力では時代の流れに逆らうことはできない。それを堤義明が理解した時には、もう遅かったのかもしれない。

雨がぽつぽつと降り始めた。驟雨のように急に降り出す雨は、まるで栄光が突然終わりを告げた西武グループの姿と重なるようだった。だが、雨が止んだ後には、また新しい季節が巡ってくる。それが歴史の流れというものだろう。

西武デパートの跡地がどう変わっていくのかはわからない。しかし、あの場所には今も、かつての栄光を知る者たちの記憶が残っている。それだけは、時代が変わっても消えることはないだろう。

俺は再び肩にバッグをかけ、池袋駅に向かう歩みを早めた。