お金がない

春秋花壇

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命の価値

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「命の価値」

夏が近づく6月のある日、田中洋子(仮名)は、古びたエアコンのリモコンを手に取り、ため息をついた。電気代が高騰し続ける昨今、洋子の年金生活ではエアコンを使うことは贅沢に感じられた。去年の電気代が14,000円を超えたとき、彼女は心底驚き、節電を決意した。しかし、その代償が命を脅かすことになるとは、彼女はまだ気づいていなかった。

洋子は一人暮らしをしていた。夫は数年前に亡くなり、子どもたちは皆それぞれの家庭を築いて遠方に住んでいる。日々、近所の人とのわずかな会話や、たまに来るヘルパーの訪問が彼女の生活の中でのつながりだった。最近、夏が近づくにつれて暑さが増していたが、洋子はエアコンを使うのをためらっていた。

「エアコンなんか、もったいないわ。扇風機で十分よ。」洋子はいつも自分にそう言い聞かせ、送風機能だけでなんとかしのいでいた。

だが、その日は特に暑かった。午後3時を過ぎ、外の気温は30度を超えていた。洋子は窓を開けて風を入れようとしたが、ほとんど風はなく、ただ蒸し暑い空気が室内に漂っていた。それでもエアコンを使わずに過ごす決意を固めた彼女は、身体に汗を感じながらもリビングのソファに腰を下ろした。

「こんな暑さ、すぐに慣れるわ。大丈夫…」そう自分に言い聞かせていたが、心の中では不安が少しずつ膨らんでいた。電気代が気になり、毎月の支払いが頭をよぎる度に、エアコンのスイッチを押す勇気が出なかった。

その日、彼女は少し体調が悪いことにも気づいていた。頭がぼんやりして、立ち上がるのがしんどくなっていたが、ただの疲れだと思っていた。水を飲む気にもならず、ただ暑さに耐えるだけの時間が続いた。

夕方近く、洋子は突然のめまいに襲われた。視界がぐらつき、立ち上がろうとした瞬間、身体がぐらついてリビングの床に倒れ込んだ。動けなくなった彼女の周りには、暑い空気が重たくまとわりついていた。

「誰か…助けて…」洋子は弱々しい声でつぶやいたが、誰にも届くはずがなかった。携帯電話はテーブルの上、手の届かないところにあり、助けを求めることもできなかった。暑さが彼女の意識を次第に奪い去り、洋子はそのまま静かに意識を失っていった。

翌日、彼女の家を訪れたヘルパーが、床に倒れている洋子を発見したときには、すでに手遅れだった。救急隊が到着したものの、熱中症による命の危機はあまりにも急速で、彼女は二度と目を覚ますことはなかった。

ニュースには「高齢者がエアコンを使わずに亡くなった」という短い記事が載り、彼女の名前は他の数多くの熱中症犠牲者とともに忘れ去られていった。

だが、この出来事は洋子の娘、田中美咲(仮名)の心に深く刻まれていた。遠方に住んでいた美咲は、母が節電のためにエアコンを使わなかったことを知り、強い後悔と怒りに襲われた。

「どうして母さん、そんな無茶なことを…」

美咲は後悔の念に苛まれた。母ともっと頻繁に連絡を取るべきだった。もっとしっかりと母の生活を気にかけていれば、こんなことにはならなかったかもしれない。彼女は家計の問題や節電の意識にとらわれすぎた結果、母親を失ってしまったという痛みを感じていた。

その後、美咲は自分の家に戻り、エアコンを点ける度に母のことを思い出した。電気代が高いのは事実だが、そのお金で命を守れるのであれば、それは安いものだと彼女は感じるようになった。

ある日、美咲はふと母の古いリモコンを見つけた。手に取ると、指の跡が薄く残るそのリモコンには、母の生活の痕跡がしっかりと刻まれていた。母が最後までエアコンを使わなかったことに対する後悔が再び胸を締めつけた。

「お金なんて、命に比べたら安いものだったのに…」

美咲はそう呟き、涙をこらえた。そして、彼女は決意した。自分が高齢になったとき、同じ過ちを繰り返さないようにすること。そして、これからも周りの高齢者に対して、エアコンの使用や適切な熱中症対策を強く呼びかけていくことを。

「命のためなら、電気代なんて安いものよね。」

美咲はそう言ってエアコンを強めに設定し、室内を涼しく保つことを忘れなかった。それは、母が命を懸けて教えてくれた大切な教訓だった。






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