お金がない

清貧

「清貧」

田中（たなか）夫妻は、小さな田舎町の一角に住んでいた。夫の信二（しんじ）は地元の小さな農場で働き、妻の美咲（みさき）は家で野菜を育てたり、編み物をしたりして過ごしていた。二人は贅沢をしない暮らしをしており、家も古く、物も少ない。しかし、心には満足と感謝があった。

田中家の近くには広がる田んぼや畑があり、季節ごとに景色が変わっていく。春には緑が広がり、夏には稲が黄金色に染まり、秋には収穫の時期を迎える。そして冬になると、一面が雪に覆われる。信二と美咲はこの自然の移り変わりを心から楽しんでいた。

信二は毎朝、早くから農場に出かけ、土の香りに包まれながら黙々と働いていた。農作物の成長を見守り、収穫する喜びは彼にとって何よりの生きがいだった。しかし、農場の仕事は決して楽なものではなかった。天候に左右されるため、収穫量が少ない年もあったし、病害虫に悩まされることもあった。

それでも信二は不平を言わなかった。彼は常に感謝の気持ちを忘れず、どんなに少ない収穫でも「ありがたい」と口にしていた。美咲も同じだった。家庭菜園で育てた野菜が収穫できると、その日の食卓には新鮮な野菜料理が並ぶ。美咲の作る料理は質素でありながら、どれも愛情がこもっていた。

ある日、都会から訪れた親戚が田中家を訪れた。彼らは田中夫妻の家の様子を見て驚いた。古びた家、質素な家具、そしてささやかな食卓。親戚の一人が思わず「もっと贅沢な暮らしができるだろうに」と口にした。

その言葉に対して、信二は微笑みながら答えた。

「贅沢が幸せとは限らないんだ。僕たちには十分な食べ物があり、暖かい家がある。それに、美咲と二人で過ごせる毎日が何よりの宝物さ。」

美咲も静かにうなずき、続けた。「私たちは物が少ないかもしれないけど、その分、心が豊かなんです。自然の中で暮らし、季節を感じながら日々を過ごせる。それが私たちにとっての幸せです。」

親戚はその言葉を聞き、しばらくの間黙っていた。都会での忙しい生活と比べて、田中夫妻の暮らしはまるで時間がゆっくりと流れているように見えた。物質的な豊かさよりも、心の豊かさを大切にしている二人の姿に、親戚たちは次第に考えさせられるものがあった。

その夜、親戚が帰った後、信二と美咲は縁側に座って夕焼けを眺めていた。空が茜色に染まり、風が優しく頬を撫でる。

「彼らには、僕たちの暮らしが理解できたかな？」信二がぽつりとつぶやいた。

「きっと、少しは伝わったんじゃないかしら。」美咲が微笑んで答えた。「でも、無理に理解してもらおうとする必要はないわ。私たちは私たちのペースで、生きていけばいいの。」

信二は静かにうなずいた。彼らは、豊かさを競い合うのではなく、日々の小さな喜びを大切にすることを選んできた。そして、その選択は決して間違っていないという確信が二人の間にあった。

彼らにとって、幸福とは豪華な暮らしでもなければ、物質的な成功でもなかった。清貧という言葉があるように、彼らは必要最低限のものしか持たずとも、心が満たされていることを知っていた。

信二はそっと手を伸ばし、美咲の手を握った。お互いに言葉は必要なかった。ただ、一緒にいるだけで十分だった。

「今日も、感謝しよう。」信二が優しく言った。

「うん、ありがとう。私も同じ気持ちよ。」美咲が笑顔で答えた。

空は次第に暗くなり、星が一つまた一つと輝き始めた。田中夫妻の暮らしは、これからも変わることなく続いていく。物は少ないけれど、その分、心に多くの幸せを抱えて。