お金がない

無欲の富

「無欲の富」

田村隆一は、都内の一流企業に勤めるサラリーマンだった。毎日電車に揺られ、忙しいオフィスで時間に追われる生活。休日は高級なレストランで友人たちと食事を楽しみ、ボーナスが出れば海外旅行やブランド品に散財する。彼は自分の人生を成功していると思っていた。大手企業に勤め、誰もが羨むような生活を送っていたからだ。

だが、ふとした瞬間に心の中に小さな違和感が生じることがあった。

「これが本当に幸せなのか？」

ある日、田村は大学時代の友人である坂本との再会を果たした。坂本は学生時代から自然が好きで、都会を離れ山村に住んでいた。会うのは久しぶりだったが、田村は坂本に興味を持ち、彼の住む山奥の村を訪れることにした。

訪れた村は、田村にとって非日常そのものだった。都会の喧騒とは無縁の静かな風景が広がり、山々に囲まれた小さな集落には、家々が点在していた。坂本は、その村の一軒家で自給自足の生活を送っていた。

「隆一、久しぶりだな！こんな遠いところまでよく来たな」と坂本は笑顔で迎えてくれた。

「いやぁ、こっちはすごいな。東京とはまるで別世界だ」と田村は驚きつつも、どこか懐かしさを感じた。

坂本は、都会の喧騒を嫌い、数年前にすべてを捨ててこの村に移り住んだのだという。彼は庭で野菜を育て、鶏を飼い、周りの自然と共に生きていた。その生活は質素でありながら、どこか豊かさを感じさせた。

「何でここに住むことにしたんだ？」と田村は尋ねた。

「都会で働いていた頃、ずっと満たされない気持ちがあったんだ。どれだけ稼いでも、どんなに良い物を手に入れても、心のどこかで何かが足りない気がしていた。でも、ここで自然と共に暮らすようになってから、それが消えたんだよ」と坂本は答えた。

その言葉に、田村は強い衝撃を受けた。自分は高い給料を得て、贅沢な生活を送っている。それなのに、どこかで坂本のような充実感を感じていなかった。坂本が話す「無欲の富」が何なのか、田村は理解できずにいた。

夕方、坂本は自分の畑で採れた野菜を使って、シンプルな食事を用意してくれた。新鮮なトマトやキュウリ、焼いた鶏肉がテーブルに並んだ。田村はその質素な料理に驚きつつも、一口食べた瞬間、これまで食べたどんな豪華な料理よりも美味しく感じた。

「美味い…これが本当に自分で作ったのか？」

「そうだよ。手間はかかるけど、その分、食べるときの満足感が違うんだ。自分で作ったものには、他のものにはない特別な価値があるんだよ」と坂本は微笑んだ。

その夜、田村は坂本の家に泊まり、夜空を見上げた。都会では見られない満天の星が広がっていた。田村は、何か大切なものを忘れていたような気がしてならなかった。

翌朝、田村は坂本に別れを告げる前に尋ねた。

「坂本、お前は本当に幸せなのか？」

「もちろんさ。ここには金銭的な豊かさはないかもしれないけど、心が満たされている。無欲であることが、自然の富を感じさせてくれるんだ。隆一、贅沢を追い求める生活は、実は人工の貧困だってことに気づいていないんじゃないか？」

その言葉は田村の胸に深く刺さった。坂本は、自分の選んだ道を信じていた。それは物質的な豊かさではなく、心の豊かさを追求する道だった。田村はその違いに気づき始めていた。

東京に戻った田村は、以前と同じ生活を続けながらも、心の中に大きな変化を感じていた。坂本との再会をきっかけに、彼は贅沢や物欲に支配された自分の生活が、実は人工的な貧困だったことに気づいたのだ。

田村は少しずつ、自分の生活を見直し始めた。まず、無駄な買い物を控え、自然と触れ合う時間を増やした。都会にいても、自分の心を満たすものは何かを考えるようになった。

そして、田村は思った。坂本の言葉通り、無欲は自然の富であり、贅沢は人工の貧困なのだと。心の豊かさを見つけるために、必ずしも物質的なものが必要ではない。田村は今、新しい生き方を模索していた。物質的な贅沢を追い求めるのではなく、心の満足を求める生き方を。