お金がない

消えた未来

「消えた未来」

山梨県北杜市に住む70代の佐藤進は、長年の勤務を終えた後、妻を亡くしてからの孤独な日々を過ごしていた。彼の唯一の楽しみは、インターネットでの交流だった。妻と共に育んだ家も、今では冷たく感じられる。そんな時、SNSの世界で心の拠り所を見つけた彼は、夜ごと画面の向こうの知らない誰かと短い会話を交わすことで、自分の孤独を少しだけ和らげていた。

5月の中旬頃、佐藤のフェイスブックにメッセージが届いた。45歳の日本人女性を名乗るその人物は、礼儀正しく、温かみのある言葉を選びながら接してきた。彼女は美しい笑顔を持ち、写真には柔らかな日差しの中で微笑む姿が写っていた。まるで、佐藤の心の中に射し込む光のようだった。

メッセージのやり取りが続くうちに、彼女はLINEの友達登録を提案した。佐藤は、無防備にその提案を受け入れた。LINEでは、佐藤の孤独な気持ちや日々の悩みを彼女が親身に聞いてくれた。ある日、彼女は「一緒に暮らして、支えていきたい」と言葉をかけてくれた。佐藤の胸は熱くなり、彼女への思いが次第に深まっていった。

ある日、彼女との会話の中で将来の話が持ち上がった。彼女は佐藤の生活を案じて、「お金の不安をなくすために、投資を始めてみませんか？」と提案してきた。「私の父は投資のプロで、損をしないように教えてくれるの」と彼女は言い、佐藤の不安をやわらげる言葉を次々と並べた。佐藤は、自分のこれからの生活に少しでも光が差すかもしれないという期待を抱き、彼女の指南を受けることにした。

6月14日、彼は彼女の指示通り、投資取引所のアカウントを登録し、最初の8万円を指定された口座に振り込んだ。数日後、彼女から紹介されたサイトで利益が確認でき、1万円が彼の口座に振り込まれた。ほんの小さな利益だったが、佐藤にはそれが本物のように思えた。

「元金が多ければ、それだけ利益も大きくなるのよ」

その言葉に佐藤はさらに勇気づけられた。6月17日から26日の間に、彼は計5回にわたって合計570万円を振り込んだ。退職金の残り、妻との思い出の詰まった貯蓄、全てをかけた投資だった。これで彼の未来が明るくなると信じていた。

しかし、その後の数日は静かに過ぎていった。彼女からの連絡も途絶えがちになり、サイトにアクセスしてもいつの間にか繋がらなくなっていた。そして彼女から届いたのは、「口座が凍結された。口座検証金として400万円を振り込む必要がある」という内容のメッセージだった。

佐藤は、焦りながらもその指示に従おうと金融機関へ向かった。ATMの前で、彼の手は小刻みに震えていた。自分の選択が正しいのかどうか、彼はわからなかった。ただ、彼女のため、そして彼女との未来のために、という気持ちだけが彼を支えていた。

しかし、手続きを行おうとする佐藤を見ていた行員が、不審に思って声をかけてきた。「失礼ですが、この振り込みは詐欺ではありませんか？」その言葉に佐藤は一瞬、息を呑んだ。行員に連れられて相談した警察署で、すべてが崩れ落ちるように真実が明らかになった。彼女は存在しない。すべては詐欺だったのだ。

佐藤は、警察署の冷たい椅子に腰を下ろし、頭を抱えた。彼の信じた未来、彼女との希望、それらすべてが虚構だった。残されたのは、冷たく感じられる現実と、578万円という大金を失った事実だった。彼の目には、妻が見守るように飾られていた写真が浮かんだ。もし、彼女が生きていたら、こんなことにはならなかったのだろうか。

警察からの注意喚起がテレビで流れる。「SNS型ロマンス詐欺にご注意ください」と。その言葉は佐藤の耳に虚しく響いた。面識のない相手からの突然のメッセージ、甘い言葉、そして投資の誘い。全ては詐欺の手口だった。

佐藤は、かつての自分のような被害者がこれ以上出ないようにと、静かに立ち上がった。彼は、失ったお金以上に大切なものを失ってしまったが、これからは自分の足で新たな未来を築くしかないと、心に誓った。彼の心には、まだ消えない痛みが残っていたが、それでも前を向くしかなかった。