お金がない

静かなる罠

静かなる罠

真由美は60代の主婦で、夫と二人で穏やかな日々を過ごしていた。彼女の一日の始まりは、庭の手入れから始まり、午後には近所の友人たちとお茶を楽しむ、そんな平凡な日々だった。しかし、その平和は一本の電話で崩れ去った。

その日、真由美はキッチンで夕飯の支度をしていた。鍋の中ではカレーが煮込まれ、心地よい香りが部屋中に漂っていた。その時、固定電話が鳴った。振り返って電話に出ると、低い男性の声が聞こえた。

「もしもし、警察の鈴木と申します。」

その声は落ち着いていて、何の疑いも抱かせない冷静なトーンだった。真由美は一瞬、何かあったのかと胸がざわついた。

「実は、あなたの口座が特殊詐欺に関与している疑いがありまして、調査のために確認が必要です。」

真由美の心臓が一瞬止まり、次に猛烈な速さで鼓動し始めた。そんなはずはない、自分の口座が詐欺に関わっているなんて。だが、電話の向こうの声は確かに警察官を名乗り、彼の話し方はどこか信頼できるものに感じられた。

「詳しいことをお聞きしてもいいですか？」真由美は動揺を隠しながら聞き返した。

「現在、あなたの口座が犯罪者たちのマネーロンダリングに利用された可能性があります。早急に対応しないと口座が凍結されてしまう恐れがありますので、指示に従って行動してください。」と、鈴木は冷静に告げた。

真由美はさらに動揺したが、一方で不信感も湧いてきた。彼女はふと、以前見たニュースのことを思い出した。最近、警察官を名乗る詐欺が増えていると報じられていたのだ。警察が電話でお金に関する話をすることはない、という言葉が脳裏をよぎる。

真由美は一瞬、ためらったが次の瞬間、スマホを手に取り110番にダイヤルした。固定電話はまだ耳に当てたまま、警察と名乗る鈴木との会話を続けていた。

「警察ですか？詐欺の疑いがある電話を受けています。」とスマホに向かって話した。オペレーターは即座に対応し、冷静な口調でこう言った。「落ち着いてください。相手の話を聞き続けながら、こちらで確認します。」

真由美は固定電話の鈴木に、何かしらの質問をしながら時間を稼いだ。「では、どのようにすればいいのでしょうか？具体的な手続きは？」と訊ねる。鈴木は即座に詳細な手順を話し始めたが、その内容はますます怪しさを増していた。

「まず、銀行に行って現金を引き出し、それを指定の場所に送金してください。」と鈴木は指示する。まるで手慣れた口調で、次々と指示を出してきた。その間、真由美はスマホのオペレーターに助けを求め続けた。

「どうすればいいのかしら？彼は警察だと言っているのに……」

オペレーターは冷静に、「絶対に指示に従わないでください。そのまま電話を続けてください、すぐに警察が対応します。」と指示をくれた。

数分後、真由美の家の前に警察の車が到着した。インターホンが鳴り、警察官が駆けつけたことを告げられた。真由美はドアを開け、警察官が入ってくるとほっと胸をなでおろした。

固定電話の鈴木は依然として話し続けていた。「急いでください、口座が凍結される前に行動しないといけません！」と、焦らせるような言葉を繰り返した。しかし、警察官が電話を受け取り、「こちらは大阪府警です。あなたの電話番号は追跡されており、すぐにお話しする必要があります。」と言うと、電話の向こうの鈴木はしばし黙り込んだ後、突然電話が切れた。

警察官は真由美に向かって、「おそらく詐欺グループの一員でしょう。このような電話は決して信じないでください。警察が電話でこのような対応を求めることはありません。」と丁寧に説明してくれた。真由美はようやく事態の全貌を理解し、冷や汗をかいた手でスマホを握りしめた。

「本当に、危うく騙されるところでした。あなたたちがすぐに来てくれて、本当に助かりました。」と真由美は警察官に感謝の言葉を述べた。

その後、真由美はその日あった出来事を振り返りながら、自分の無防備さに反省した。同時に、自分だけでなく、多くの人々がこのような詐欺のターゲットになる可能性があることを痛感した。彼女は近所の友人たちに、今日の出来事を話し、同じような電話がかかってきたら警戒するようにと注意を促した。

平穏な日常の中にも、いつどこから危険が忍び寄ってくるかわからない。真由美はこれからも注意深く、そして冷静に対応することを心に誓った。そして、スマホに表示された110番の履歴を見つめながら、自分が咄嗟に判断できたことに少しだけ自信を持つことができた。

それからの日々、真由美は何度もその出来事を思い出し、同じような電話がかかってきたときの対応を頭の中でシミュレーションするようになった。平和な日々を守るためには、自分自身の警戒心と冷静な対応が必要だと、改めて思い知らされたからだった。彼女の中に芽生えたその警戒心は、彼女の家族や友人たちの平穏をも守る盾となっていくのだろう。