お金がない

逃れの代償

「逃れの代償」

　梅雨のじめじめした午後、森下玲奈はオフィスの自席で資料を見直していた。彼女の目の前にあるのは、今週のプレゼンテーションの準備。大切なクライアントとの打ち合わせが迫っているのに、上司の佐々木課長は未だに資料の確認をしていない。

　「森下さん、この数値、違ってるよ。」

　突然、課長が背後から声をかけてきた。玲奈は心臓が飛び出しそうになりながら振り返る。

　「すみません、課長。それは...」

　「いやいや、こんな基本的なミスを見逃すとは思わなかったよ。しっかりしてくれよ、森下さん。」

　玲奈は言い訳をしようとしたが、課長の冷たい視線に圧倒され、言葉が出なかった。この数値のミスは確かに彼女の見落としではあったが、そもそもデータ入力を担当していたのは課長自身だった。

　その日の夕方、玲奈は同僚の村田と居酒屋で一杯やりながら、課長の言動について愚痴をこぼした。

　「佐々木課長、ほんとに酷いよな。自分のミスを全部人に押し付けるなんて。」

　村田は同意しながら、玲奈の話に耳を傾けていた。

　「そうなんだよ。私だって完璧じゃないけど、彼のミスまで背負い込むのは納得いかない。」

　その後も玲奈は仕事で課長の責任を負わされることが続いた。プレゼン当日、玲奈は緊張しながらも自分の部分をしっかりと説明した。しかし、質疑応答の時間に課長が再び彼女のミスとして問題点を指摘し、玲奈は困惑した。

　「この点については、私が確認したところ、データの入力に誤りがありました。」

　クライアントの視線が玲奈に集中する。彼女は冷静さを保ちながら、丁寧に説明し直したが、心の中では課長に対する怒りと失望が渦巻いていた。

　数週間後、会社の内部調査が行われ、課長の責任回避の事実が明らかになった。玲奈は調査委員会に対して正直に証言し、自分が背負った不当な責任についても話した。その結果、課長は処分を受け、玲奈は無実が証明された。

　「森下さん、本当にありがとう。あなたのおかげで、真実が明らかになったよ。」

　調査委員会の主任から感謝の言葉を受けたとき、玲奈は初めて心からの安堵を感じた。自分の責任を逃れるために他人を犠牲にする人間の行動は許されない。玲奈はこれからも正直に、誠実に仕事を続けることを決意した。

　雨上がりの夕暮れ、玲奈はオフィスの窓から差し込む夕陽を眺めながら、新たなスタートを心に誓った。彼女の心にはもう、不正の影はない。